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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第58回:豪雨災害でレスキューされていた鋳物師(いもじ)の古文書 2015年1月15日

学芸員 前田 徹

 

 今回は少し間の抜けた話ですが、重要史料を見ていたのに気づかなかったというお話をさせていただきます。

 

 今月10日から、当館では特別企画展 阪神・淡路大震災20年「災害と歴史遺産―被災文化財等レスキュー活動の20年―」を開催させていただいています。明後日17日で阪神・淡路大震災から20年の節目を迎えることにちなんで、この大震災以降活発化した被災文化財等のレスキュー活動の歩みと、兵庫県域を中心とした災害の歴史をご紹介することを目的としています。

災害と歴史遺産展会場入口

 展示資料の中で、佐用町平福の瓜生原家文書(うりゅうはらけもんじょ、佐用町教育委員会蔵)があります。この資料は2009年8月の台風9号関連豪雨災害で被災し、ご所蔵者からの連絡を受けた佐用町教育委員会がレスキューしました。そして、その後にご所蔵者から町教委に寄贈されたものです。

 内容は鋳物の製造・販売を生業の柱としていた鋳物師(いもじ)の権利の由緒を示す文書や経営関係の帳簿類が中心となり、近世における地域の鋳物師経営の一事例を知る上ではかなりよい資料になるはずのものです。また、展示資料4件のうち2件(10通分)には平安時代から室町時代までの中世の年紀が記されています。

災害と歴史遺産展で展示中の瓜生原家文書
(佐用町教育委員会蔵)

 2009年の豪雨災害では、阪神・淡路大震災以降、大規模災害時に歴史資料のレスキュー活動を進めてきた歴史資料ネットワーク(事務局:神戸大学文学部)という研究者のボランティアグループが活動し、佐用町や宍粟市などで、洪水の泥水に漬かった歴史資料を多数レスキューしました。このときは当館も若干のお手伝いをさせていただいています。

 

 さて、佐用町教委の文化財整理室には、私も2009年以降レスキュー作業や別の展覧会の調査などで何度もお伺いしています。今日お話しする瓜生原家文書も、2009年のレスキュー直後にご担当の藤木透さんから、「こういうものもありますよ」と一度見せていただいていたものでした。瓜生原家の資料は、河川氾濫の被害を受けた家屋とともに水損していたものもみられましたが、それとは別に木箱に入っていた江戸時代の古文書があり、これは高いところに置かれていたために水損は免れていました。

旧瓜生原家(2014年7月15日)

 木箱に入った文書について、私も一見して、「あぁよいものだな」ということはすぐにわかりました。鋳物師の由緒を記した江戸時代の文書がたくさんあるなと感じましたし、大切にしまわれていたようで、ほとんど虫損もありませんでした。しかし、2009年の時は木箱の中の一部だけを拝見したので、より重要なものがあることには気付いていませんでした。

瓜生原家近世文書のうちの1通(部分)
乍恐奉差上書上(おそれながらさしあげたてまつるかきあげ)

 さて、去年の夏になってから、今回の展覧会の準備として佐用町教委にお願いし、再び瓜生原家文書を調査・撮影させていただきました。すると、水損を免れていた木箱の中から「仁安2年(1167)」という平安時代の年紀が記された文書からはじまる中世文書9通が書き写された巻物と、室町時代はじめの応永7年(1400)の年紀が記された文書1通が出てきました。ただし、紙や文字からみると、両方とも明らかに江戸時代に写されたものではあります。

 鋳物師の由緒を示す中世文書というのは、一般的に偽作されたものが多いといわれてきています。私も、写真を撮りながら、「近世の写しでもあるし、これはよく調べないとな」と思ってしまいました。そして、そのほかもろもろの展覧会の準備にかまけて、そのまま秋まで放置状態が続きました。

仁安2年(1167)の年紀がある文書(部分)
蔵人所牒写(くろうどところちょううつし)

 ようやく秋になって、そろそろ図録やパネルの原稿を書かないと、という段階になってから、名古屋大学文学部国史研究室編『中世鋳物師史料』(法政大学出版局、1982年)という書物を開いてみました。そうしてやっと、夏に写真を撮影した中世文書の写し10通がすべて収録されていることに気付いたのです。この本には、中世史料として扱ってよい文書と、いわゆる偽文書として近世の鋳物師を考えるために扱うべき文書とが分けて収録されており、この10通はすべて大丈夫な方に掲載されていました。

 この本は、中世の非農業民の研究で広く知られている故網野善彦氏が編集を担当されたもので、中世の鋳物師を知る上では基本となる史料を集成された書物です。つまり、この本で大丈夫な方に掲載されているということは、ごく大まかにいうと、この瓜生原家文書の10通も、中世の鋳物師を知る上で基本になる史料の一角を占めるものと評価されてきた、ということになります。

 まさに不明を恥じるよりほかないのですが、鋳物師の基本史料として全国的にみても重要になる史料が2009年の豪雨災害からレスキューされていた、ということに去年の秋になってようやく気が付いたという次第でした。

 気付いてからあらためて10通の写真をみてみると、かなりの程度写し間違いなども見られますが、ひとまずのところ全体としてはやはり中世の史料として扱いうるものといってよいかと考えているところです。中世の鋳物師たちが、平安〜鎌倉時代の朝廷や鎌倉幕府、そして南北朝・室町期には地域の守護権力から、租税の免除、通行の自由などの特権を付与され続けてきた歴史を示す内容となっています。

応永7年(1400)の年紀がある文書
太田垣通泰書状写(おおたがきみちやすしょじょううつし)

 さて、この10通は、県域の中世史料を基本的には網羅している『兵庫県史』の史料編にも掲載されていない史料になります。また、内容についても今後もっと吟味してみたいところです。こうしたことも含めて、来年度の別の担当展覧会が終わって一息ついたら、またあらためてじっくり取り組んでみたい史料だなと思っています。

 

 それにしても、豪雨災害の後、ご所蔵者が佐用町教委にご連絡され、また佐用町教委が一括してレスキューしていただいたおかげで、この史料は残ることができたわけです。その史料としての意義に気付かないといけない専門分野の人間が気付かずにいたなかで、しっかりレスキューをしていただいていた関係者の皆様に深く感謝を申し上げます。

 

災害と歴史遺産展チラシ

 現在開催中の特別企画展 阪神・淡路大震災20年「災害と歴史遺産―被災文化財等レスキュー活動の20年―」は、3月15日(日)まで、兵庫県立歴史博物館で開催しております。休館日は毎週月曜日、開館時間は午前10時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)です。常設展示料金の大人210円などでご覧頂けます。今回お話しした10通の文書も全て会期末まで展示しておりますので、ご関心をお持ちになられたら是非ご観覧いただければ幸いです。