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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第46回:節目としての三ツ山大祭 2014年1月15日

館長補佐 小栗栖 健治

 

 この春、播磨国総社で20年に一度の三ツ山大祭が行われ、古式豊かな祭礼に多くの人が魅了されました。三ツ山大祭が行われる総社は、城下町姫路の鎮守社ですが、その一方で播磨一国の総鎮守です。三ツ山大祭の名前は、神門の南側に高さ18メートル、底部の直径10メートルという巨大な山が三基作られることに由来しています。色木綿が巻かれた二色山と五色山、小袖で飾られた小袖山は、大きいだけでなく華やかで、見る者を圧倒してしまいます。

 学芸員という仕事柄か文化財としての価値をすぐに考えて祭りをみてしまうのですが、三ツ山大祭については以前から気になっていたことがありました。というのは、20年という歳月、これを節目と捉えると、三ツ山大祭にはどのような意義を見いだすことができるのか、ということでした。

三ツ山大祭の山(2013年)

 

○禍と穢れ

 播磨国総社には射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)が祀られています。三ツ山大祭と結びつく神は兵主大神です。この神は欽明天皇25年6月11日(丁卯の日)に影向(ようごう)したと伝えられています。その縁起に随って毎年6月11日に影向祭が行われてきました。そして、およそ60年に一度、6月11日が丁卯(ていぼう)の日になります。その年に播磨国総社では天神地祇祭(てんしんちぎさい)が行われ、この祭祀は後に一ツ山大祭と呼ばれ、現在に至ります。

 三ツ山大祭は、10世紀に瀬戸内海で起きた藤原純友の乱を鎮圧するために行われた臨時祭が起源であると伝えられています。この臨時祭は天神地祇祭を臨時に執行した祭りで、後に20年に一度と定められました。このように、一ツ山大祭と三ツ山大祭はともに天神地祇祭として行われていたことがわかります。

 天神地祇祭は、播磨国の平安と繁栄を願って行われます。三つの山には三上山の大百足、大江山の鬼、富士山の大猪の人形が飾られています。これらは、社会の平安を脅かす存在、いわば災厄の象徴であり、勇猛な武将が大百足・鬼・大猪を退治する場面は、まさに平安を願う天神地祇祭にふさわしいものであったのです。また、小袖山には城下の町人が着古した小袖が使われます。この小袖は禍(わざわい)と穢(けが)れの象徴であり、御霊会(ごりょうえ)に端を発した京都の祇園会(祇園祭)と共通しています。

 三ツ山大祭は、神々が20年に一度人間世界の災厄を祓う節目として捉えることができるようです。

 

 ○娯楽と経済

 では、城下に暮らす人たちにとって、20年に一度の三ツ山大祭はどのような祭礼だったのでしょうか。戦後最初の昭和28年(1953)の三ツ山大祭には300万人の人が訪れたといわれています。ここでは江戸時代の末期、嘉永7年(1854)の三ツ山大祭を例に紹介してみたいと思います。

 播磨国を代表する三ツ山大祭は、町屋の屋根を飾る等身大の人形を用いた造り物と立ち並ぶ見せ物小屋、工夫を凝らした町人の俄(にわか)が人気を呼んでいました。テーマパークの様相を呈した城下町姫路へ、近国近在から娯楽を求めて老若男女が群参したのでした。大祭期間中の人出は1日10万人(晴天7日、降雨により1日順延、計8日間)、城下で使われたお金は1万両と見積もられるほどに商売は繁盛したのでした。1万両は、現在のお金に換算すると数億円、姫路の町に巨大な利益をもたらしたのでした。

 20年に一度の三ツ山大祭には、娯楽として、また、地元経済の活性という点に期待の集まっていたことが見えてきます。

造り物(2013年)

 

○人間模様

 今年の三ツ山大祭は大勢の人で、前回に増した賑わいとなりました。人混みの中を歩いていると、さまざまな声が耳に飛び込んできます。「20年前の三ツ山大祭の時に初孫が生まれた」、「あの頃は何をしていた」、「この三ツ山を見るのを楽しみしていた」、「次の三ツ山を見ることはできない」等々。また、20年後の自分の姿に思いを巡らせ、子どもや孫もこの祭りを見るのだろうかと未来が語られていました。あれからの20年、これからの20年、20年という節目はどうやら自分の人生の過去と未来を見据える、人生のメルクマールであったようです。

 

 20年に一度行われる三ツ山大祭ですが、節目として捉え直してみると祭礼の持つ特質がクローズアップされたように思えました。20年に一度という節目、このほかにももっとたくさんの視点があるように思えてなりません。何か思いあたられた方は、ぜひお知らせいただきたいと思います。