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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第22回:狩野一信 弐福神図 嘉永6年(1853)   2012年1月15日

学芸員 五十嵐 公一

 

 去年の春、一気に知名度をあげた江戸の絵師がいる。狩野一信である。

 東京の芝・増上寺のため、一信は嘉永7年(1854)39歳の時から「五百羅漢図」を描き始めた。一幅に羅漢五人を描き、100幅で五百羅漢とする構想だった。ところが10年後、一信は90幅程描いたところで力尽き亡くなる。そこで残りは弟子の狩野一純らが描き、ようやく100幅が完成した。その「五百羅漢図」を紹介する展覧会が江戸東京博物館で開かれ、それにあわせて多くの美術雑誌で一信の特集も組まれた。覚えておられる方も多いだろう。

 一信の五百羅漢図の魅力は、高い技術で描かれた妖しくアクの強い画面にある。その色彩は強烈で、画面が発するエネルギーは凄まじい。常識破りの羅漢図と言ってもよい。こんな作品を精魂込めて描けば寿命も縮まるはず。一信が途中で力尽きたのも、分かるような気がする。

弐福神図

 この「弐福神図」は、一信が「五百羅漢図」を描き始める前年春の作品である。この頃、一信は日本橋横山町(JR馬喰町近く)に住んでいたというから、ここで描かれたものなのだろう。

 画面を見ると、すぐに技術の高さに気づく。服の細密文様、魚籠の編み目、鯛の鱗、小槌の木目など細密表現が冴えている。新年を祝うために描かれた作品なのだろう。そのためなのか五百羅漢図とは全く違い、穏やかな画面となっている。一信以外の絵師が手伝っているのかもしれない。ニコニコしながらくつろぐ恵比寿さん、大黒さんは見る者を幸せな気分にしてくれる。