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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第18回:城郭談義(その5) 方・円の縄張とその効用―図形の戦略― 2011年9月15日

学芸員 堀田 浩之

 

 古今東西/およそ世界の各地で、趣向をこらした城郭の形が考案されてきました。四角い城もあれば、丸い城もあります。例えば、外国の城砦にそびえ立つ塔の平面形でも窺えることですが、四辺を厳格に組み合わせた方形と、滑らかな曲線を描いた円形を意図するものとでは、明確な印象の違いが見て取れます。同じ日本国内でも、本州の姫路城と沖縄の首里城とでは、既に石垣のシルエットや曲輪を展開する縄張の考え方において、各々の築城観念の背景となった、固有の歴史文化の位相を強く感じます。そもそも方形と円形とでは、城郭の機能や性格にどのような差異が認められるのでしょうか?

 中心の一点から360度すべての方向に、等しく一定の距離で広がりを保つ理想の図形は円に他なりません。境界を分ける仕切りの遮断線を以って外部からの侵入を防ぎ、その内側を守られるべき空間へと特化する城郭の原理から考えても、円形はベーシックな軍事区画としての普遍性を示します。因みに、ヨーロッパの石造城塔では、方形から円形への移行に顕著な傾向があったようです。前後左右に直交する四辺の組み合わせの結果、城外への自由な視界が隅部において制限される方形の施設に対して、あらゆる方向からの攻撃に正面からの応戦が可能な円形は、死角のない防御上の有用な図形との認識がなされていたように思われます。また、構造物の破壊を目的に外部から放たれる物理的な衝撃に備えるため、受け止める側の城塁が曲面であることの利点(エネルギーを受け流す効果)も、ある程度は知られていたかもしれません。異文化間での軍事/築城技術の出会いと淘汰。まずは、実戦での効果を踏まえた形の選択が行われたものと捉えておきたいところです。攻防の要所となる城塁の四隅や出入口を固める門の両脇などに、ことさら円柱状の城塔が配備される理由は、おそらく彼の地では自明のことだったのでしょう。

 一方、日本の城郭で扱われる方形と円形の比較については、軍学での理論化が図られた縄張(平面プラン)の事例があります。すなわち、円形で城郭の空間を仕切った方が、同一外周の長さで四角く曲輪を構成するものより、内部に囲い込んだ面積が大きくとれるというもので、敷地利用での有用性を前提にした数値テクニックの概念と言えるでしょう。もっとも、曲輪内に効率的な施設配置の計画を施すためには、二次元座標のX軸・Y軸をもとにした、グリッド(方眼)パターンでの空間設定を行う下地作業が求められ、そこに具象化される建造物の編成は、直線と四角を主体とした図形上の(タテとヨコの直交する2方向で規定・表現される)必然のスタイルとなるのです。兵庫県内でも、篠山・明石・尼崎といった江戸時代に入ってからの新城に、とりわけ方形が多用された縄張が看取できるのですが、外界に接する城塁の在り方に関心を寄せる以上に、内部の構成要素の収まり具合と全体のバランスを優先させた築城計画にあっては、曲輪自体も方形を組み合わせたグリッドな展開を見せるのでした。社会の安泰に向けた礼秩序を、新時代に相応しい形で体現させるべく、城郭の価値のスタイルに一大転換のあったことが窺えます。

姫路城/帯郭櫓下の石垣
姫路城/直線で構成される縄張

 ところで、もともと傾斜地の土留めの機能を託された石垣が、織豊期以降の本土の城郭では多用されるようになります。ただし、城地の自然条件も大きく異なるのでしょうが、沖縄の城(グスク)に見られる精緻な石加工と石積みによる曲線の城塁が、本格的に登場することはありませんでした。両者の発展形の違いに興味がもたれますが、本土の石垣の場合、折れ曲がりを直角の座標に整えるための算木積みの石組みが構築され、その上から睥睨する天守や櫓などの人目を惹く建造物と共に、仰ぎ見る者を圧倒しつつ周囲に見栄えの総合力を誇示し始めます。いわば、築城者の超越した権力を視覚表現する戦略のもと、石垣の柔和な連続「面」より、厳しく尖った「角」の部位の方に、城郭としての価値観が偏在しているのでした。片や、沖縄の石垣は、円弧状の曲線の情景が織り成す感覚により、自己主張を控えた、どこか受身の優しい印象が漂ってきます。しかしながら、図形の効用について原点に返って再考してみると、峨々とした算木積みに外敵を寄せ付けない造形の雰囲気を認めるとしても、実は稜線部の個々の築石では、直方体の六面のうちの各二面がいつも表出しているのであり、強度の面で大丈夫かと一抹の不安が過ぎるのです。

首里城の石垣/柔らかな造形
首里城/曲線で構成される縄張

 曲面に波打つ石垣では、どのような急カーブにあっても、組み込まれた築石は隣同士と連続しつつ一面しか外側に顔を出しません。これに対し、二面を出す算木積みの稜線部の築石では、仮に、そこを打ち欠くような銃弾の集中砲火をあびた際、石垣へのダメージがどのようになるのかは、余り検討されることはありませんでした。これまで本土の石垣の評価については、主に築石の加工度や積み方の完成度などで、技巧面での類型的な優劣の解説が図られてきたのです。さらに、グリッドパターンをベースに方形状の縄張を展開する屏風折れの塁線では、横矢の掛かる効果が期待されるという特殊な言説が中心でした。一見すると、まさに完全無敵の城構えのようなのですが、いったん軍事シミュレーションの視角を変えてみたいと思います。例えば、算木積みの稜線部に向かって斜め45度からの攻撃を受けたとして、円形とは違う有効な対処がとれるのかは全く不明です。状況によっては豪快に見える算木積みの石垣が意外に脆弱であったり、全方向からの攻勢を受容する沖縄の石垣の方に、むしろ自然体のしたたかな戦略を感じたりします。はたして方形の構造物にとって、斜め45度に対する防御正面は想定されていたのでしょうか?

姫路城/内堀の北東部(南望)
姫路城/同所:角欠石垣(西望)

 姫路城の内堀の北東部に隅の面取りを施した石垣が所在します。当館のすぐ南側です。コーナーを直角に尖らせることがなく、時に“鬼門除け”に配慮した石垣だと解釈されることもあります。斜め45度に対する防御正面が考案されるなら、ここでの石垣の事例が紹介できるかな・・・と、いつも想像をたくましくして眺めていました。姫路平野に到来する市川の水が、まさに北東から南西へと大地に流路を走らせ、それが城山麓に行き当る場所において、やはり、然るべきパワーを受け止める特別な形が必要とされていたのでしょう。四角であって、丸くもある/天円地方の思想を表した孔あき銅銭の形と同様、方円の縄張とは、天地/世界の調和を意図した壮大な概念であるとすれば、城郭の図形もまた無限の戦略をその中に秘めているのかもしれません。