こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。
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第17回:飾磨港線と尼崎港線と高砂線―陰陽連絡線の終点― 2011年8月15日
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学芸課長 神戸 佳文 |
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当館では、平成23年7月16日から9月25日の会期で、特別企画展「ひょうごの鉄道−鉄道新世紀へ−」を開催しており、その担当をしています。
展覧会のテーマのひとつに「陰陽連絡」があります。これは山陽側と山陰側を結ぶ鉄道の中で、兵庫県内を通る路線を取り上げたものです。大阪を出発し尼崎から北上して舞鶴を目指す阪鶴鉄道、姫路と山陰線の和田山を結ぶ播但鉄道などを紹介しています。両鉄道とも明治時代に私鉄として建設されましたが、後に国有化され、現在はJR西日本の福知山線と播但線になっています。
かつて福知山線には、塚口(尼崎市)から尼崎港へ伸びる「尼崎港線」〔1982(昭和57)年4月旅客営業廃止〕、播但線には、姫路から飾磨港へ伸びる「飾磨港線」〔1986(昭和61)年11月廃止〕と通称される支線がありました。日本海側・内陸部の物資などを港に運ぶために建設された路線で、どちらも1895(明治28)年に開通しましたが、廃止間際には旅客用の列車が、朝晩一往復する程度の超ローカル線となっていました。
今から約30年前の学生時代、四国旅行の行きがけに夕方の飾磨港行に乗りました。気動車2両で、終点までの乗客はわずかでした。そのとき撮った写真が以下のもので、「陰陽連絡」のコーナーにパネルで掲示しています。学生時代に撮影した写真が、この展覧会に役立つことになりました。
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ありし日の飾磨港線 |
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尼崎港行きは福知山線の川西池田が始発でした。旧形の客車2両を貨物入れ替え用のジーゼル機関車が牽引していました。塚口を出た列車は、福知山線から分岐して東海道線の上を渡り、尼崎駅に停車しますが、東海道線の尼崎駅とは、かなり離れたところにありました。そして終点に着いた客車は、翌朝までホームに留められ、切り離された機関車はそのまま入れ替え作業に従事していました。
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ありし日の尼崎港線 |
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高砂線(加古川−高砂港)は、播州鉄道によって1914(大正3)年に営業が始められ、後に播丹鉄道へ譲渡、1943(昭和18)年に国有化されました。この路線も丹波(山陰道)と山陽道を結ぶ陰陽連絡線といえます。高砂線は朝晩のみでなく日中も列車が運行され、野口駅で別府鉄道(廃止)に接続し、国鉄高砂工場(廃止)などへ回送列車や車両・資材を運ぶなど、前述した2路線と比べるとかなり運用され、以前、山陽電鉄沿線に住んでいた折りには、山陽高砂で高砂線に乗り換えたことも何度かありました。1984(昭和59)年12月に廃止となりましたが、尾上から加古川の東堤までの間は、今も線路が敷かれていた当時の雰囲気を残しており、野口・尾上・高砂駅跡には気動車の台車や動輪がモニュメントとして置かれ、鶴林寺公園には蒸気機関車「C11」が保存されています。
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高砂線野口駅跡のディーゼルカー台車 |
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高砂線跡に残る鉄橋跡(加古川市) |
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鶴林寺公園のC11 |
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乗車した当時、廃線間際であった路線が、ひょうごの鉄道の歴史の中で、かつては重要な役割を担っていたことを、この展覧会は再認識させてくれました。
