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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第7回:本町68番地界隈 2010年10月15日

館長補佐 小栗栖健治

 皆さんは姫路市本町68番地という住所を御存知ですか。兵庫県立歴史博物館がある場所です。この本町68番地は107ヘクタールという広大な面積を持った地番で、その大きさは日本でも有数だそうです。なぜ、こんなに大きいのかその理由について私は知りません。ただ、本町68番地は国の史跡になっている姫路城と姫路城跡があるところ、つまり、世界文化遺産そして国宝である姫路城と大変ゆかりが深い地番だということです。この68番地には、姫路城はもとより著名な施設として姫路市立美術館、姫路市立城内図書館、国立姫路病院、姫路郵便局、イーグレ姫路、淳心学院、賢明女子学院、兵庫県立姫路東高等学校、兵庫県立姫路聴覚特別支援学校などがあります。

 本町68番地が広い地番であることを分かっていただいたかと思いますが、その歴史にも特色を見ることができます。姫路の地名の由来となった「日女道丘」の故地は姫路城が築城されている姫山です。姫路郵便局と播磨国総社のあるあたりは本町遺跡と呼ばれています。この遺跡からは8世紀から16世紀にかけての建物、井戸、瓦、お金などが発見されています。この遺跡、播磨国の国衙に関連した遺跡ではないかということで注目を集めています。

 国衙のあるところを国府といい、その国の政治・経済・文化の中心として栄え、国府の近くには国分寺や総社がありました。

播磨国総社・射楯兵主神社

 姫路城の東部に鎮座する射楯兵主神社は、『延喜式』の神名帳に登載された古くからの由緒を伝える神社です。そして、この射楯兵主神社のことを、姫路で暮らしている多くの人は、「総社(そうしゃ)」と呼んでいます。『延喜式』には、播磨国の16郡に174の神々の祀られていたことが書かれています。播磨国では射楯兵主神社にこれらの神々を養和元年(1181)に勧請したと伝えています。そうしたことから、地元では射楯兵主神社のことを総社と呼んでいるわけです。

 このように見てくると、本町68番地のあたりが古代以来播磨国の中心地であったことが分かってきます。

 姫路城が現在の場所に築城されるのは、もちろんこれまでの歴史的な経緯を踏まえてのことであったと思われますが、そこには但馬や中国地方を見通すことができる交通の一大拠点としての立地をあげなければなりません。姫路城は、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦を経て姫路城に入った池田輝政が、豊臣秀吉の姫路城を解体し、新たに縄張り、つまり、姫路城の設計を行い、私たちが見ている姫路城を築城しました。姫路藩の藩主(城主)は江戸時代を通じて播磨の国主としての位置を占めていました。

大修理の準備が進む姫路城大天守

 最後に、播磨国の総社で行われる「三ツ山大祭」のことを書いておきましょう。このお祭りは20年に1度のお祭りです。二色山、五色山、小袖山と呼ばれる大きな造り山が総社の門前に築かれます。山の高さは約16メートル、底部の直径は約10メートルという、巨大な山です。それぞれの山の上に播磨国の大小明神、天神地祇、九所御霊などを勧請して祭礼が執り行われます。古代的なイメージを伝える祭礼ですが、池田輝政によって姫路城と城下町が整備されると、播磨地方を代表する祭礼へと発展していました。この次の三ツ山大祭は、平成25年(2013)に行われます。ぜひ御覧いただきたいと思います。

 姫路市本町68番地。私たちは普段何気なく歩いているところですが、播磨の中核としての歴史が連綿と息づいていました。本町68番地の歴史、皆さんも探索してみませんか。