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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第2回:城郭談義(その1)「城山の樹林について ―もう一つの城史―」

 2010年5月15日
学芸員 堀田浩之

 3月28日の日曜日、ユニークな研究発表が当館で開かれました。兵庫県高等学校教育研究会生物部会(西播磨支部)主催による「姫路城自然調査中間発表会」がそれで、当日、私もコメンテーターとして会に参加させていただき、城山の樹林についてじっくり考える機会を与えられたのでした。人文系を主体とする歴史研究では、理科系の成果を生かした発想で姫路城を捉えてみることは少なく、随分と斬新で刺激的なひとときでした。

 標高40m余りの二つの小山「姫山」と「鷺山」に立地する姫路城は、城山の高低差を利用した巧妙な縄張で有名です。「姫山」の頂部に連立式天守が置かれ、備前丸や上山里の各曲輪が雛壇状に幾重にも連なる一方、「鷺山」には大きな西ノ丸が唯一つ削平され、その間の谷筋に展開する葛籠折れの動線が複雑な迷路を現出させます。自然地形と人工造作が融合した大胆な空間設計の在り方にこそ、姫路城の魅力が秘められているのでしょう。

 ところで、二つ並んだ「姫山」「鷺山」の山容を確認するためには、大手とは反対の北側へ回ってみる必要があります。こちら側は人工の手の入らなかった急斜面の崖が残され、直下に広がる「勢隠(せがくし)」と呼ばれる細長い曲輪に沿って歩いてみますと、照葉樹の多いこんもりした城山の景観を目にすることができます。「鷺山」には、文字通りコサギやゴイサギの群棲地があって、城山の足元を仕切る野趣あふれる「勢隠」堀の風情のなか、白鷺城へと進化する以前の姫路城の原像を感じさせます。平成22年を迎え、天守の修理工事が本格的に始まった姫路城では、搦め手方面から鉄骨の足場が組上がり、クレーンの動きと共に日々の姿を変えつつありますが、一度足を延ばして、城山の樹林を指呼の距離に臨める「勢隠」の付近まで、散策してみては如何でしょうか。

城山北側の樹林景観

 姫路の城山には、照葉樹の「タラヨウ」の木が数多く認められるという特色があります。鳥により種が運ばれて、それが成長するに至った偶然のシナリオ以上に、火に強いとされる「タラヨウ」を構成主体とする特異なその植生には、防備のための意図的な植樹行為の可能性を否定できないようです。土壌や気候・風土などの自然環境の細かな検証も求められるのでしょうが、築城以来しばらく人が立ち入らない結果成立した城山の樹林は、たくさんの謎めいた問題を内包しているらしく、高校生の生物部員の協力のもと、40年の間を経て行われた樹林の再調査は学術的に高く評価されたのでした。

 なお、私に寄せられた質問としては、400年前の姫路築城時の城山の状態を尋ねるものでありました。まずは、「原生林」もしくは「原始林」と称される城山の樹林のルーツを知るための第一ステップと言えます。残念ながら、確固たる史料がないので明言できないのですが、築城工事に際しては、やはり、城山南側の緩斜面の造成にともなう或る程度の樹林の伐採が認められるように思います。その際、足場の確保が難しい北崖の急斜面では、どのような工事作業の影響を受けたかで、手付かずの樹木が保たれるか否かの差が生じて来るのでしょう。樹林が切り開かれて日当たりの良くなった城山の殆どは、植生の面では松が茂る浮世絵などでも馴染みのある風景となりやすく、戦前の絵葉書や古写真を見ても城内には、かなり大きな松の木の所在した様子が確認できます。

 もっとも、今日と比較すれば姫路城の建物群を取り巻く樹木の数は減少しており、当然のことながら、戦前の姫路城を知る人と、現在の私たちとでは既にイメージの相違をもたらしているのかもしれません。各世代の間でそれぞれ微妙に異なった姫路城の映像が投影されていたとすれば、城郭認識の観点からは非常に興味深い問題が看取されます。他城の事例からみて防火機能のほか、建材・食糧・武具・燃料など、戦術マニュアルを介しての有用な植樹が行われたと想定されやすい城山の樹林ですが、具体的にどのようであったのかは相変わらずわかりません。実態はまさに藪の中なのです。

 発表会での専門家の見解では、現在の「タラヨウ」中心の樹林は今後の城山の姿を固定するものではなく、しだいに「アラカシ」や「ヤブニッケイ」へと植生を変化させていくとのことです。百年後は、確実に現在の景観とは異なるというわけで、人間の物差しでは捉えきれない自然界の大きさには感心させられます。一見動いていないようでも、静かに次の新しい時空への変化が進行しているのであり、私たちはその一場面に立ち会っているに過ぎないのです。ところで、今回の城山の樹林調査では、なぜか「シュロ」の木の増加が指摘されました。地球の温暖化の影響が無きにしもあらずですが、姫路の城山での生育が本来的に考えられないものとして、想定外の要因が気になるところです。参加した生徒たちに引き継いでもらえるであろう、次回の樹林調査の報告が待たれます。

姫路城の工事風景(平成22年3月)