マーキュエル・ストーリー

 宇宙という名の海に、1つの惑星が浮かんでいた。
 そこは、人々に、後に「ユートピア・プラネット」と呼ばれる、青い星。
 全体の8割が海に覆われ、陸は小さく、いくつにも分かれている。
 人々は、漁と交易で生計を立て、争いを起こすことが無い。
 平和で、静かな世界。
 星の名を、「セーラス」。
 …物語は、この星にある、小さな島から始まる。

  
FIRST STORY・天使たちの場所へ

 少年が、両親と遊んでいた。
 乗っていた船の甲板を、全力で走り回る。
 海に潜って、魚を捕ってみたり、さんご礁に触れたりする。
 …楽しい、日々。
 と。
 景色が割れる。
 次の瞬間、炎に包まれる漁船が目に入った。
 逃げ惑い、海に次々と飛び込んでいく漁師達。
 音を立てながら、海へ引きずり込まれていく漁船。

 海の中で、少年はもがく。
 漁船に、少しでも近づこうと。
 …だが。
 信じられないほどの速さで、船は完全にその姿を消した。
 −瞬間。
 凄まじい音を伴い、水柱が上がる。
 船の、爆発だった。
 少年は、それに飲み込まれ−

 一粒の涙が、彼の頬をつたって行った。

 少年−シオ=アヤノの両親、ショウとエナが、彼とその祖母−ミナギをこの世に残して、3日が経った。
 漁船の調整不備による、ここ十年無かった、爆発事故。
 乗船していた漁師の半数が命を落とし、その中に、ショウとエナが入っていたのである。
 彼らの死を嘆く者は数多く、葬儀には次々と人がやってきていた。
 だが、シオとミナギは、空の棺の中を、2人と考えたくなかった。
 遺体は、体の一部分さえ、発見できなかったのだ。
  −ねえ、婆ちゃん。父さんと母さんは、海の底に行ったのかな?
  −…そうだと思うよ。きっと、マーキュエルが迎えてくれるさ…。
  −マーキュエルって…海の中に住んでいる、天使のこと?
  −ああ。…もしかしたら、ショウとエナは、マーキュエルになっているかも知れないねえ。
  −どうして?
  −澄んだ魂は、マーキュエルになれるんだよ。魚が死んだ後、マーキュエルに。鳥が死んだ後、エアキュエル(風の天使)になるように…ね。
  −マーキュエル…か。

 ザパッ…。
 月明かりを反射する海面。その一部が、小さく揺れる。
 続いて現れたのは、シオの頭部。
 「…はぁっ、はぁっ…。」
 10分以上水中にいても、平気な身体。
 彼の母親、エナから受け継いだ能力だった。
 最も、銀色に輝く髪と、エメラルドグリーンの瞳は、父親譲りであるが。
 シオは、全身の力を抜き、海面にその身を委ねる。
 セーラスの海は、昼夜間で温度がそれほど変わらない。彼が夜中に泳げるのも、それゆえである。
 「…マーキュエル…か。海の天使らしいけど…。」
 「そうだよ?」
 「!?」
 いきなり横から聞こえた声に、シオの心臓は跳ね上がり−
 ドボゴォ!
 思わず力が入った身体が、海に沈んだ。
 海中でしばしもがいた後、顔を出し、激しく咳き込む。
 「…大丈夫?」
 「…いきなり声、かけないでよ。びっくりし…げほっ!」
 「ごめん。マーキュエルの話だったから、つい…。」
 マーキュエル、好きなの?
 そう言おうとして、声のほうを向いたシオは、動けなくなった。
 そこにいたのは、彼と同じくらいの年齢の、少女。
 青色の長髪と、瞳。水の青に酷似したそれらは、まるで、海水がそのまま身体に溶け込んでいるように思える。纏っているローブにも、同じことが言えた。
 だが、シオの瞳は、彼女の肘に吸い寄せられていた。
 「…え…?」
 「? どしたの?」
 「そ…、その手…。」
 「…?」
 少女が、シオの言いたいことを理解するのに、数秒かかった。
 −彼女の肘は、海面に突いていたのである。
 あたかも、机に、肘をついているかのように。
 「…あ、そっか。人間は、こういうこと、出来ないんだったね。癖って、直らないなあ。」
 「そ、それと…。」
 シオが次に目を奪われたのは、彼女の肩甲骨の辺りから伸びる、一対の鋭角的な翼だった。
 それを例えるなら、トビウオのひれ…というのが、最も近いだろうか。
 その後で、彼女の手に水かきがあることにも気づく。
 「…あ〜、そうだった。人間に、これ、無いんだった…。」
 肯定と否定。相反する気持ちがぶつかり合い、シオを混乱させる。
 疑問の言葉が、するりと彼の口から滑り出てきた。
 「…マーキュエル…?」
 「…天使っぽくない…って、思ってるんでしょ? 固定観念を捨てられないのよね、人間って。」
 「…じゃあ…!」
 彼女はうなずき、
 「私は、セーメ。正真正銘の、マーキュ…」
 「だったら!」
 シオは、彼女の肩を掴み、
 「きゃっ!?」
 「俺の父さんと母さん、知らない!? 知っていたら、教えて! 3日前に死んで、シュウとエナって名前で…」
 「や…っ!」
 ドン!
 思わずシオを突き飛ばす、セーメ。
 拍子に、彼のバランスが崩れ−
 ゾボォ!
 シオは再び、海の中でもがくはめになった。

 「げほ、げほっ! …ごめん。」
 ひとしきりむせた後、セーメに謝るシオ。
 「あ…ううん、こっちこそ。…ショウに、エナ、ねぇ…。」
 「聞いたこと…無い? こっちで、遺体が見つからないから、てっきり…」
 「…あのさ。鳥がエアキュエルになったら、鳥の亡骸は見つからないわけ?」
 「…。」
 頭を掻く、シオ。
 「まあ…でも、魂はいつの日も、やって来るから…。あってもおかしくはないわね。」
 「…そっか。」
 「そんなに、気になる?」
 「どうしても、2人に…渡したいものがあって。」
 「…ふうん。」
 セーメは、しばし考え込み−
 「…よし!」
 「?」
 「じゃあ、私の仲間に、聞いてみる! あなたの両親が来ていないかって!」
 「…えっ!?」
 「で、もしもいたら、渡してあげる!」
 「…いいの…!?」
 彼女は、笑顔でうなずき、
 「私たちの住んでいる所って、人間じゃ来れないから。…で、渡したいものって?」
 「あ…、…。」
 「?」
 「…父さんと母さんが見つかったら…で、いいかな?」
 できれば、自分で渡したかった。気まずそうなシオの表情が、言葉を物語っていた。
 セーメはそれを察し、
 「…分かった。見つかっても、聞かないことにする。」
 「…! ありがとう…!」
 「いいっていいって。…あ、そうだ。君、名前は?」
 「…シオ。シオ=アヤノ。」
 「シオ、か。…じゃあ、見つかったら、知らせに行くね!」
 バシャッ。
 音とともに、彼女は、海中へと消えた。
 …重大な事実にシオが気づいたのは、彼が陸に上がったときだった。
 「…彼女…セーメ、だったよな…。…彼女、俺の家とか、知ってたっけ?」

 「へえ…マーキュエルに、そんな子がいるんだねえ。」
 シオの話を、ミナギは、笑って聞いていた。
 「本当に、天使なのかなぁ…って思った。俺たち人間と、ほとんど変わらないよ。」
 「初めのうちは、そうなんだよ。」
 「初めのうち…?」
 ミギナは、適度に冷めた茶を、音をたてて飲み、
 「マーキュエルに限らず、天使たちっていうのは、時がたって、力が強くなるにつれて、人の目からは見えなくなるのさ。」
 「…そうなんだ…。」
 ガン…、ガンガン…。
 窓ガラスを叩く音がしたのは、その時だった。
 「?」
 怪訝な顔をする二人だったが−
 窓の方を見て、シオは、すぐにその疑問を払拭した。
 窓に近寄り、開けて、
 ゴッ。
 「!」
 さらに窓を叩こうとしたセーメの拳を、鼻に受ける。
 「あっ! ご、ごめん!」
 彼は、鼻を押さえ、
 「…ううん、大丈夫。にしても、家の場所、よく分かったね…。」
 「この島の人が、親切でよかった。」
 「…水かきと、翼は?」
 「海から上がると、消えるようになってるの。」
 ちなみに、今の彼女の服も、島民のそれと全く変わらない。
 ミナギが、シオのそばにやってくる。
 「…この女の子かい? セーメっていう、マーキュエルは。」
 「うん。…あ、こっち、俺の婆ちゃん。」
 「あ、どうも。…それより、あなたの両親って、何者なの?」
 「へ?」
 「仲間に、色々と聞いてきたんだけど…確かに、ショウって人と、エナって人は、こっちに来たことがあるって。」
 「…そっか…。」
 シオは、悲しみの色を、表に出さなかった。
 二人の生存を、密かに期待していたのだが−
 「…でも…『フーティ』として迎え入れられてる、なんて…。聞いたときは、冗談だと思ったわ。」
 「!? フーティ!?」
 「え…あの、知っているんですか? シオのお婆さん…。」
 ミナギはうなずき、
 「ああ。あんたが『ティクス』で、『フーティ』に会うことが出来ないってこともね。」
 「!」
 「…?」
 話がわからない、という顔をしているシオを見て、セーメが説明する。
 「私たちは、3つのランクに分かれているの。最初、マーキュエルとして生まれた頃は、『ティクス』。その次が、『ノルム』。普通は、その中から選ばれた1人2人が、最上クラス『フーティ』になる、って具合にね。」
 その後を、ミナギが続ける。
 「…けど、クラス内のマーキュエルは、別クラスのマーキュエルと、接触できないのさ。」
 「…! …じゃあ…。」
 「…シオ…ごめん。」
 「…あ…いや、…気にしないで。」
 何とか自分を取り繕おうとする、シオ。しかし、落胆の色を、隠し切れずにいた。

 夜。
 アヤノ家。
 「…それを…あの2人に、渡したかったのかい?」
 シオの手の中にある物を見て、ミナギが言う。
 「…うん。魂が、マーキュエルになって、この世にとどまるんだったら…何とか渡せるかもって、思ったんだけど…。」
 「…いい息子を持ったねえ、あの2人は。」
 「……。」
 ザ…。
 島の中心に近いとはいえ、彼らの家が海の近くにあることは変わりない。
 小さく、波音が聞こえてくる。
 「…。…もしかしたら…。」
 「?」
 「もしかしたら…渡せるかもしれないよ。」
 「え…?」
 「…フーティ達がいる所に、行けるかもしれない。」
 「…!?」
 言葉の意味を悟ったシオの目が、皿のようになる。
 「どういう…どういうこと!?」
 「…そのためには、協力者が必要だよ。」
 「…協力者?」

 月明かりが、海面で揺れる。
 周囲からは、波の音以外聞こえてこない。
 パシャ…ッ。
 出来るだけ波しぶきを立てないように、シオは泳ぎ始める。
 「(…昔は、俺の隣に、父さんや母さんがいたっけ…。)」
 胸中の思いを、僅かに起こる波に溶かすように、彼は静かに泳ぐ。
 「…。」
 感覚を研ぎ澄ませる。
 …先ほどのからの、妙な感覚が、よりはっきりと、彼の体に触れていく。
 それは、彼のちょうど右側から来るものだった。
 誰かが、一緒に泳いでいる。その波が、微かに、伝わって来ていた。
 「(…海中を泳いでいるはずなのに…、ばた足のような波が起きていない…。)」
 仮に、シオ以外の者がそれに気づいたとしても、巨大な魚と思うであろう。
 …マーキュエルという存在に、直に触れた、シオ以外には。
 彼は、泳ぎを止め、その場に浮かぶ。すると−
 ザパッ。
 予想に違わず、マーキュエルの少女が、顔を出した。
 「…人間にしては、随分慎重な泳ぎ方ね。」
 「…魚が眠っているから。」
 シオは、セーメに少し近づき、
 「…頼みが、あるんだ。」
 「?」
 「…<胎動の海>に、連れて行って欲しい。」
 「…。」
 彼女の表情が、一瞬の驚愕の後に、厳しいものに変わっていく。
 「君も、行くんだろ?」
 「…そこまで…そこまでして、<フーティ>に会いに行く気なの…!?」
 うなずく、シオ。その表情は、彼の決意を明らかにさせるものだった。
 「…あそこは…誰も近づかないし、おまけに、あまりにも遠い。マーキュエルでなければ、行くのは無理よ…。」
 「でも…<フーティ>に会うことが出来るのは、そこだけ。」
 「…どうするのよ…拒まれたら!」
 「構わない!」
 「…!」
 「2人が幸せなら…俺が拒まれても、構わない! …受け取ってもらえれば…それだけで、いいんだ!!」
 「…。」
 肩を震わせる、シオ。
 セーメには、彼の言葉が、虚勢に聞こえてならなかった。
 拒まれても、構わない。…本当に、そう思っているとは、信じられない。
 自分の両親だ。もしも、会いたくないなんて言われて、構わないと思えるだろうか?
 …しかし−
 それでも、渡したい。どうしても、渡したいものがある。
 「…そこまでして渡したいもの…私に見せて。」
 「…。」
 「…協力するかどうか、それで決めるわ。」
 微塵も譲る気配を見せない、セーメの顔。
 それを見て−
 シオは、ゆっくりと、しかし強くうなずいた。

 数日後。
 2人は、定期船の甲板で、海を見ていた。
 「この船に乗って、3時間。…そろそろ、次の町に着く。」
 「…もう一度だけ言っておくけど…。<胎動の海>って、そこから、何日もかかるからね。」
 うなずく、シオ。
 「…決意、揺るがず、か。」
 「…ああ。」
 「…シオ。」
 「?」
 気がつくと、セーメの顔が、海の方からシオに向けられていた。
 その瞳は、人を包み込むような、優しい色を湛えている。
 「…約束するよ。」
 「約束? …何を?」
 しばしの、沈黙。
 それを破ったのは−
 「もしも、あなたの両親が、あなたからの贈り物を拒んだら…。」
 「…。」
 「…私、その2人の横っ面張り飛ばして、何としても受け取らせてやる!」
 シオが思わずたじろぐほどの、屈託の無い笑顔を伴う、セーメの言葉だった。

 −To be continued

後書き

 I−novel第2作目「マーキュエル・ストーリー」を、ここにお届けします。
 前回の「サイバードガンナー」と違い、戦闘シーンの類を入れようとは思いません。
 肩の力を抜いて、書いていきたいと考えています。

 今回、重視するのは「海」。
 マーキュエル達が泳ぐ海の青さや、透明感を、何とか表現したいと考えているのですが…自分の拙い文章力で、一体何処までできるのやら。

 ストーリーも、おそらく、ひねり等は無いと思います。
 (ちなみに、3〜4回で完結の予定です)
 シオとセーメの行程を見守って下されば、幸いです。

 それでは−
 また、次回。


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