祖父の死 ――森欧外「高瀬舟」を読んで――
祖父が死んだときのことを、今もよく覚えています。
そこであの高瀬舟をもう一度読むことになろうとは。
そしてそれに感想まで書こうとしているのですから、
見えざる力の介入を感じずにはいられません。
この本こそ死の存在を、その意味を私にわからせたのです。
高瀬舟は既に一度読んだことがありました。
しかし、当時昧わった気持ちは、恐怖とさえ言えるかもしれません。
当時の私にとって、これほど理解し難い作品は初めてだったのです。
庄兵衛の『足るを知る』をそのとおりと反省しつつ読み進めると、
話題がなぜか『安楽死』にすり替わり、剃刀を抜く場面が鮮烈に描写される
――のあまりに飛躍した場面転換と二つの主題の明らかな分裂、
そして鴎外故の細かすぎる描写に、
私は作者の意図に気づくどころか、
胸が詰まって苦しさすら覚えてしまったのです。
そして何よりも私にこの作品を拒絶させたのは、
鴎外が主張とするところの『死』に対する価値観でした。
私はこのとき初めて、安楽死の存在を知りました。