静御前の墓
源義経との恋に生きた静御前の墓は日本各地に存在するが、この地も江戸時代から有名な場所である。2基並ぶ宝篋印塔(ほうきょういんとう)のうち、右が源義経、左が静御前の墓と言われている。静は鎌倉で義経との子を殺されたが、命を助けられ、頼朝の妹の夫、一条能保に預けられたという。一条家の荘園が志筑にあったためここに隠れ住み、1211(建暦元)年の冬に47歳で没したため、供養として宝篋印塔が建てられたと伝えられている。
現在周辺は静の里公園として市民に親しまれ、多くの観光客が訪れている。墓に詣でれば技芸に熟達するとされ、また美貌の児を授かるとも言われている。
現在周辺は静の里公園として市民に親しまれ、多くの観光客が訪れている。墓に詣でれば技芸に熟達するとされ、また美貌の児を授かるとも言われている。
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