ブナの山へ


 近頃(ちかごろ)、5月としては記録的な暑さが続いているというのに、兵庫県北部、但馬の山には、未だに雪が残る場所があります。上の写真にあるように、立ち並ぶブナの根元が雪解け、丸く開いた光景は、今もなお早春の佇(たたず)まいを見せています。しかし、一度、光が入れば、ブナは雪の反射板で照らされ、季節がぐっと進んだように感じます。
 この林にはいくつか雪のトンネルがあり、そこからしみ出す雪解け水を集める細い沢(さわ)が、水音も軽やかに、下へ下へと流れて行きました。

 ここで一番立派なブナを見上げれば、まだ芽吹(めぶ)きはなく、天に向かって伸(の)びた幹や、力強く張り出した枝に目は奪(うば)われ、それは仁王立ちをした金剛力士像(こんごうりきしぞう)のようで迫力満点(はくりょくまんてん)です。

 周辺には、すっかり終わったと思っていたタムシバの花が、スーツの胸に飾(かざ)られるポケットチーフのように咲(さ)き、いくらか離(はな)れた土手では、フキノトウが顔を出すなど、季節が平地と比べて二ヶ月以上も差があるように感じました。

 しかし、雪が残るこの周辺は別世界で、但馬の山にもしっかりと季節は巡(めぐ)っています。道中で目にするブナは黄緑の若葉を装い、道端(みちばた)にはキケマンが細長い花を揺(ゆ)らせば、コウモリの羽に似た葉の上に、丸いつぼみを乗せたサンカヨウも芽を出しています。

 地面の植物に目を向けていたその時です。私の後ろから、アスファルトが敷(し)かれた林道を駆(か)け抜(ぬ)けていくものがありました。余りに突然(とつぜん)のことに呆気(あっけ)にとられていると、何を思ったか、50mほど先でピタッと止まったではありませんか。急いで双眼鏡(そうがんきょう)を目に当てると、その動物は久しぶり出会うノウサギです。ノウサギは毛繕(けづくろ)いをするような仕草を見せてから再び駆け出し、林道の奥(おく)へ姿を消して行きました。

 ノウサギが走り去った先に広がる、北向きの斜面(しゃめん)に、ニリンソウの群生を見つけました。直径2pほどの白い花を、空に向かってパラボラアンテナのように突(つ)き上げた様子は見事です。
 どう見ても白い花びらに見える部分は萼(がく)で、4枚のものや5枚のもの、中には10枚の花もあり、バリエーションに富んでいます。最後に赤紫に染まった萼にシャッターを切り、ゆっくりと季節が進むブナの山を後にしました。

文責 増田 克也


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