おまえの名前は熊五郎?


 但馬の中央を南北に貫(つらぬ)く林道へ足を踏(ふ)み入れました。ここは、広葉樹林が広がる山で、度々訪れる馴染(なじ)みのある場所です。今日も普段(ふだん)と変わりない朝でしたが、気のせいかと思うほど、微(かす)かな獣(けもの)の臭(にお)いを感じました。

 すると、何やら動物がトコトコとやって来て、正面でピタッと立ち止まり、じっと私の方を見つめています。それは、中型犬ほどのイノシシでした。
 しばくして警戒(けいかい)を解き、鼻面を下に向けて地面を探り始めました。今まで薮(やぶ)の中で食べ物でも探していたのでしょう、朝露(あさつゆ)で背中が光っています。その後、いくらか辺りを嗅(か)ぎ回り、そそくさと茂(しげ)みに姿を消しました
 山に出かけても、近年激増したニホンジカは別として、獣を見かけるのは希なことなので、今回はうれしい出会いとなりました。

 イノシシの余韻(よいん)を残したまま、林道のカーブを曲がり視界が広がった途端(とたん)、その先にモソモソと動く黒い尻(しり)が遠ざかって行きます。「あれ、またイノシシか?」いいえ、これは先ほどのイノシシよりずっと大きなツキノワグマです。

 後ろから見るツキノワグマの歩みは、小さな半円を描(えが)き、足を外から内へ運ぶ、しなやかな内股(うちまた)です。
 写真を拡大すると、大きく幅広(はばひろ)な足の裏には、5本の指と僅(わず)かに凹(へこ)んだ土踏まずが見て取れます。尻の中央にちょこんと付いた、体に不釣(ふつ)り合いな小さな尾。辺りにはムンムンとした獣の臭いが漂(ただよ)い、これに引き寄せられた多くの虫を体の周りに従えています。
 どうやら先ほど感じた微かな臭いはイノシシものではなく、このツキノワグマの体臭(たいしゅう)だったようです。

 ツキノワグマのフットワークは思いの外、軽く、見る見るうちに小さくなっていきます。せっかくなので顔を見たいと思い、「パァーパァー!」車のクラクションを鳴らしましたが・・・無視。そこで声をかけることにし、とっさに出た言葉が「お〜い、クマよ〜!」しかし、またもや無視。しからば、「そこの熊五郎(くまごろう)よ〜!」と性別も分からないのに、適当な名前を呼んでみました。

 するとどうでしょう、「なんや?」と言わんばかりに、腰(こし)を前方に残したままふり返りました。そして二三歩進んで、もう一度こちらを見つめると、ゆっくり前を向き直し、慌(あわ)てる様子もなく、林道を外れ谷へ下りて行きました。

 これまで、出会ったツキノワグマは、私の姿を見るや否や、血相を変えて逃(に)げ出しましたが、今回のものは、実に堂々としていました。体格も立派なもので、目測では、体高約70センチ、体長100センチ以上。体に脂肪(しぼう)を蓄(たくわ)える秋には、体重100キロ前後になるのでしょうか。

 また、いつの日か、自然豊かな但馬の山で熊五郎に再会したいものです。ただし、出会い頭に鉢(はち)合わせをするのは、ご遠慮(えんりょ)申し上げます。

文責 増田 克也


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