気になる木
山の急な斜面(しゃめん)に芽吹(めぶ)きを待つ1本のトチノキが立っています。大木に成長するトチノキにしてはさほども大きくはなく、何の変哲(へんてつ)もない木ですが、山から吹(ふ)き下ろす風向きを示すように伸(の)びた枝振(えだぶ)りや、幹の中ほどに空いた、小動物がぴょこっと顔でも出しそうな洞(ほら)が気に入り、山側に延びる林道を行き来する度に無意識のうちに目をやる不思議な木です。
4月下旬(げじゅん)のある日、この場所を通りかかると、トチノキの幹にうごめく小さなものが目にとまりました。双眼鏡(そうがんきょう)をのぞくと、茶色いチョッキを着たようなヤマガラが、垂直な幹にしがみつき、巣材にするコケをくわえ込もうと奮闘(ふんとう)しています。何度もコケをつつき、ようやく納得できる量が採れたのか、満足そうに顔を上げると、近くの枝に飛び移りました。
「さあ、コケをどこへ運ぶのだろう」目を皿にして見ていると、約20メートル離(はな)れた林道の壁面(へきめんに空けられた穴の中に持ち込んでいます。しばらくすると、再びトチノキにもどってコケを採り、壁面の穴をめがけて一直線に飛び出します。穴の手前では大きく羽を広げて減速し、次に脚(あし)を前に突き出し着地の体勢をとります。そして、ピタッと貼(は)り付くように穴の縁(ふち)につかまると周りを確認してから中へ入っていきます。
翌日もヤマガラの様子を見に行くと、トチノキに異変を感じました。黒っぽい幹の上部に、昨日まではなかった赤茶色の部分がわずかに見て取れます。双眼鏡で確認すると樹皮がはがれ地肌(じはだ)が露出(ろしゅつ)していることがわかります。さらに拡大するとビックリしました。樹皮がはがれた部分には、多くの爪跡(つめあと)があり、右上の黒く窪(くぼ)んだ穴に、ニホンミツバチが出入りしていました。
これだけの手がかりがあれば、トチノキに何が起こったのかすぐに察しが付きました。推理はこうです。トチノキの幹に巣を設けたニホンミツバチがせっせと蓄(たくわ)えた蜂蜜(はちみつ)を狙(ねら)って、昨夜ツキノワグマがやってきたようです。
トチノキによじ登った ツキノワグマは、巣穴を渾身(こんしん)の力で掻(か)きむしったものの、頑丈(がんじょう)な幹に阻(はば)まれあえなく断念。目の前にあるご馳走(ちそう)にありつけなかったツキノワグマは、さぞかし悔(くや)しい思いをしたことでしょう。逆にニホンミツバチはトチノキに守られ、危うく難を逃(のが)れたという訳です。
今回、トチノキに残る痕跡(こんせき)から、人知れず僅(わず)か一晩のうちに起きた自然の営みを垣間見たように感じました。
ところで、ヤマガラの様子はというと、トチノキにまつわる昨晩の事件を知ってか知らずか、この日もせっせとコケ採りに精を出していました。
文責 増田 克也
* 今回、紹介したトチノキのお話しは、南但馬自然学校から遠く離れた床尾山中での出来事です。
“自然のページ”のご意見ご感想をメールでお寄せください