★★1997年の日本★★
数ヶ月にわたり、複数の被害者が殺傷された事件であり、その被害者はいずれも小学生である。通り魔的犯行や遺体の損壊が伴なったこと、特に少年の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれたこと、地元新聞社に「挑戦状」が郵送されたことなど、強い暴力性が伴なう特異な部分が多い事件である。
犯行の声明文から容疑者の少年Aを「酒鬼薔薇聖斗」と称したり、俗に「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれる。
1997年2月10日午後4時頃、神戸市の路上で小学生の女児2人がハンマーで殴られ、1人が重傷を負った。
「犯人はブレザーを着て、学生鞄を持っていた」と娘から聞いた女児の父親は近隣の中学校に対し犯人が解るかもしれないので生徒の写真を見せて欲しいと要望する。
しかし学校側は警察を通して欲しいとして拒否した為、父親は警察に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求したものの、結局開示されることは無かった。
この事実により、犯人逮捕後学校側に対し「この時点で何らかの対応をしていれば第二・第三の事件は防げたのではないか」「「結果的に犯人を庇っていた事になる」との批判が起こった。
3月16日午後0時25分、神戸市内の公園で、付近にいた小学生の女児に手を洗える場所はないかと尋ね、学校に案内させた後「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」(少年Aの日記による)と言い、振り返った女児を、八角げんのうで殴りつけ逃走した。女児は病院に運ばれたが、3月27日に脳挫傷で死亡した。
更に午後0時35分頃、別の小学生の女児の腹部を、小刀(刃渡り13センチ)で刺して2週間の怪我を負わせた。
5月14日午後、神戸市に住む男児を殺害。男児は祖父の家に行くと言って昼過ぎに家を出た後、少年Aと偶然出会ったとみられる。少年Aは男児に対し「青い色の亀がいる」といって近所の高台に誘い出し、その場で絞殺して遺体を隠した。男児は少年Aの兄弟の友人であり、たびたび少年Aの家に訪れていた。
5月25日、少年Aは前日の殺害現場を訪れ、男児の遺体の首を金のこぎりで切断、頭部のみ家に持ち帰った。
5月26日、男児の行方不明事件として警察が捜索開始。
5月27日早朝、被害男児の頭部が市内の中学校正門前で発見。頭部には二枚の紙片(犯行声明文)が添えられていた。この中で少年Aは自らを「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばら・せいと)と称し、捜査機関等に対する挑戦的な文言を綴っている。
警察は記者会見で「酒鬼薔薇聖斗」を「さけ、おに、ばら…」と文字ごとに分割して読み、何を意味するか不明と発表、報道機関も警察発表と同じ表現をしていた。テレビ朝日の特別報道番組でジャーナリストの黒田清が「サカキバラセイトという人名ではないか」と発言。これ以降、マスコミや世間でも「さかきばら・せいと=人名」という解釈が広がっていった。
6月4日、神戸新聞社宛てに「酒鬼薔薇聖斗」から、赤インクで書かれた第二の声明文が届く。内容はこれまでの報道において「さかきばら」を「おにばら」と誤って読んだ事に強く抗議し、再び間違えて読んだ場合は報復するとしたものだった。また自身を「透明なボク」と表現、自分の存在を世間にアピールするために殺人を犯したと記載している。
6月28日、少年A逮捕。
警察は聞き込み捜査の結果、少年Aが動物への虐待行為を度々行っていたという情報や、被害者男児と顔見知りであることなどから、比較的早期から少年Aに対する嫌疑を深めていたが、対象が中学生である為、極めて慎重に捜査は進められた。
一方マスコミは、頭部が発見された早朝に中学校近くをうろついていたとされる「黒いポリ袋を持った20代から30代の体つきのがっしりした男性」について繰り返し報道していた。