明治38年、日露戦争の際にロシアの バルチック艦隊が日本本土へ向かうの を島民が発見。しかし当時宮古島には 電信施設がなかったため、久松の漁夫 5人を電信施設のある石垣島へくり船で 派遣。5人は荒波の中、170kmの海路を 15時間で走破した。その後、陸路を5時間 かけて電信局から日本の連合艦隊に 打電した。