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絵解き 源平合戦図屏風

「源平合戦図屏風」とは?

屏風について

源平合戦図屏風

 この屏風は、江戸時代前期(17世紀)に、源平の生田森・一の谷合戦(いくたのもり・いちのたにかっせん)を画題として描かれた屏風です。当時の絵画の世界で主流を占めていた加納派(かのうは)の絵師たちが腕をふるった力作で、本来は、同じく源平の屋島の合戦(やしまのかっせん)を描いたもう一隻と対になる作品だったと考えられています。

 生田森・一の谷合戦は、平安時代の最末期、寿永3(1184)年2月に、現在の神戸市街地を舞台に戦われた合戦です。源義経(みなもとよしつね)の「坂落とし」をはじめとするこの合戦のエピソードは、『平家物語』をはじめとする多くの文学作品や、そこから生まれた絵画・演劇作品などを通して、古くから広く親しまれてきました。

 この屏風もそうした『平家物語』をもとにした絵画作品の一つで、『平家物語』に記されているエピソードも数多く描きこまれています。ただし、この屏風の場合は、ほかの一の谷合戦図屏風と比べると、こうしたエピソードを描いた場面よりも、多人数が入り乱れる戦闘場面を詳細に描き出している点に特徴があります。

 こうした特徴は、この屏風を描かせた人物にとっての「武士の理想像」を示しているようです。画面の中では、数多くの武者たちが、激しく戦い合う様が躍動的に描き出されています。人物描写は的確で、細かく見ると凄惨な場面までもが念入りに描かれていることに気付きます。こうした描写には、描いた絵師たちの腕のよさが存分に示されているのですが、それゆえにかえって、現代人の眼で見ると、戦場の生々しさ、悲惨さを想像させる作品とも言えます。

『平家物語』について

版本 平家物語 江戸時代、当館蔵
版本 平家物語
江戸時代、当館蔵
琵琶法師 「七十一番職人歌合」、江戸時代、当館蔵
琵琶法師
「七十一番職人歌合」、江戸時代、当館蔵

 『平家物語』は、鎌倉時代前半(13世紀前半ごろ)に、京都の貴族社会の中で成立した文学作品です。平清盛(たいらのきよもり)ら平家一門が一度は全盛を極めながら、やがて源氏との戦いに敗れて滅んでいくまでのありさまを、主に平家方の立場に力点をおいて描いた物語です。

 『平家物語』の記述は、大筋では事実を基礎としながら、そこから離れた物語としての性格も含んでいます。戦には敗れながらも人間らしい輝きを見せた平家一門の人々や、人並みはずれた活躍を見せた源義経(みなもとのよしつね)をはじめとする武勇に優れた東国武者の姿は、多くの人々の共感を呼びました。『平家物語』からは、さまざまな文学・絵画・演劇作品などが生み出されてきています。

 なお、『平家物語』には、できあがっていく過程やその後に受け継がれていく歴史の中で数多くの別バージョンが発生しています。それぞれの内容の違いには重要な意味があるのですが、詳しく紹介するととても読みづらくなってしまいます。このためこのコンテンツでは、現在もっとも広く読まれていて、また作品としての完成度も高く、さらにこの屏風の画像ともよく一致する、「覚一本(かくいちぼん)」(南北朝時代成立)と呼ばれるバージョンをもとに紹介しています。

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