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兵庫県立歴史博物館 館長 藪田 貫 |
長谷川等伯「大佛涅槃図」の開帳 2018年4月15日 |
初公開とか、85年ぶりとか、秘蔵品とかの謳い文句が付くと、普段、博物館・美術館に縁のない人々でも「おや」、と気になるものです。そういう点で、寺院をたくさん抱える京都は、他の都市とひと味違う強みを持っています。春の「非公開文化財特別公開」と銘打って行われる催しは、その象徴と言っていいでしょう。境内の桜や椿、庭園を見せた上で、しかも、ふだんは入れない本坊書院や、ふだんは展示しない重要文化財を特別陳列されるとなると、拝観料が高めでも、入ってみようかとなるのは人情ではないでしょうか。
というのも4月初め、教え子でもある韓国人の女性研究者二人と一緒に、思いがけず、長谷川等伯の名作「大涅槃図」(国指定重要文化財)を間近に見る機会があったからです。一人はドイツのハイデルベルヒ大学研究員、もう一人は愛知県立陶磁博物館学芸員ですが、昼食を摂っている間に、「茶道資料館に行きたい」という提案がありました。裏千家センター内にある私設博物館で、わたしも妻も含め全員、行ったことがないということで即決。観光客で混み合う市バスに乗って、堀川寺之内で下車。開会中の「むしあげ〜岡山に花開いた京の焼物〜」をしばし見学。さて次はどこに、というところで雨が降り、傘なしで遠くは・・と逡巡していると、すぐ傍にある本法寺の「長谷川等伯大涅槃図開帳」の案内が目に飛び込んできました。そこで再び即決。閉館直前に駆け込んで、大涅槃図の前に立ちました。
わたし自身、数年前に京都国立博物館でこの作品に見えているのですが、今回は、様子が違う。というのも縦8メートル、横5メートルの大涅槃図をわたしたち4人が独占して見上げ、さらに横たわる釈迦から上部の図柄を、二階から眺めるという、特別な展示室が用意されていたからです。「大涅槃図」を、専用の観覧席から眺めるという仕掛けが、二度目でありながら、全く異なった印象をわたしに与えたのでした。
ガイドの説明によると慶長4年(1599)に制作されたこの作品、当初は、作品を収めるように建立された本法寺本堂に架けられていたそうです。しかし、京都を襲った天明の大火(1788)で本堂は焼失。幸い「大佛涅槃図」は宝蔵・経蔵とともに焼失を免れましたが、以後、近年、専用の展示室が出来るまで「大佛涅槃図」は仕舞い込まれていました。そのために釈迦の柿色の衣をはじめ、嘆く象や麒麟・洋犬コリー、立ち並ぶ沙羅双樹などの退色が進んでいないそうです。
そう思って外に出て本堂を眺めると、とても8メートルの大作を収める高さではありません。反対に、寺院の屋根を突き抜けるようにして立つ長方形の展示室が目に飛び込んできました。
安部龍太郎氏の2013年度直木賞受賞作『等伯』は、七二歳となった等伯が、御用絵師として江戸に旅立つところで終わりますが、その前日、等伯は本法寺本堂を訪れ、大本堂に架けてもらった「大佛涅槃図」と、しばし対面しています。「等伯はこの仏涅槃図を、世の実相を表す曼荼羅として描いた」「さりげなく自画像も描き込んでいる。一番左の沙羅双樹の根本に座り込み、緑色の僧衣を着て頬杖をついている男がそれである」―その姿、二階観覧席からしかと確認することができました。
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