![]() |
兵庫県立歴史博物館 館長 藪田 貫 |
講談師旭堂南海さんと隠岐で大塩を語る 2017年10月15日 |
秋の特別展「ひょうごと秀吉」が始まりました。新発見の自筆文書が相次いで公開され、新聞各紙で大きく取上げられたこともあり、10月7日(土)の開会式には、小雨の中、200名を超える来館者がありました。見応えたっぷりの展示ですが、注目して頂きたいのは11月12日(日)に開催される特別行事。ひとつは脇田修大阪歴史博物館前館長と北川央大阪城天守閣館長を迎えての館長鼎談「豊臣秀吉を語る」、いまひとつは、その前座として公演される講談師旭堂南海さんの講談「難波戦記」の一席です。
その南海師匠とは2年前の秋、出石永楽館で開かれた「ひょうご歴史文化フォーラム2015」のなかで、新作講談「逃げの小五郎」を披露していただくなど、館としても個人的にもお世話になっています。積極的に新作を語られるのも魅力的ですが、十八番は「難波戦記」で、DVDなども出されています。当日の出し物は「難波戦記」から「片桐且元と方広寺梵鐘」の一席とか。大いに楽しみです。
9月末、その師匠と隠岐に、ご一緒する機会がありました。島根県隠岐郡隠岐の島町文化振興財団主催の隠岐ゼミ「大塩平八郎の乱180年と隠岐」に、揃って講師として招かれたからです【写真1】。きっかけは、飯島和一氏の司馬遼太郎賞受賞作品『狗賓童子の島』(2015年1月刊行)をもとに本年7月、師匠が、新作講談「大塩異聞―西村常太郎物語」を公表されたことにあります。講談は、天保8年2月19日に起きた「大塩平八郎の乱」に参加した父親に連座して、15歳になって流人の島隠岐に流された西村常太郎少年の成長物語を講談に仕立てた物ですが、前座として、二人して「大塩の乱とは何であったのか」を語り合う企画が組まれたのです。
|
はじめて訪れた隠岐は、晴天でわれわれを出迎えてくれました。対談と講談に前後して、常太郎が150年以上も前に目にした光景を確認するべく、現地の郷土史家小室賢治氏の案内で、島後の各所を見学しました。隠岐世界ジオパーク空港の近くにある岬からの西郷港の遠景【写真2】、玉若酢命神社の境内の樹齢千数百年といわれる八百杉【写真3】、隠岐造りの社殿、名物行事牛突きの行われる場などで、刈入れの終わった田圃からは、米作りの豊かさを感じました。
|
|
この絶好の機会に、もう一カ所、行ってみたいところが隠岐にありました。島前を構成する四島のひとつ海士町(中ノ島)です。西郷港から高速フェリーで西ノ島の別府港、さらに島内連絡船に乗り換えて海士町菱浦港に着くと、乗り場と一体となった観光協会に、わたしの探していたポスターがありました。「ないものはない」と書かれたこのポスター、過疎地再生の町として海士町を近年、超有名にしているものなのです【写真4】。
|