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兵庫県立歴史博物館 館長 藪田 貫
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5度目のグラーツ・エッゲンベルク城 2016年7月15日 |
出勤の途次に見上げる見事な世界遺産・姫路城―そんな姫路城と同様、世界遺産の城があります。ドイツのノイシュバンシュタイン城ではありません。オーストリア第2の都市グラーツにあるエッゲンベルクEggenberg城です。
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グラーツという地名は、スラブ語のグラデツ=小さな城に由来するそうですが、文字通り、町の中心に「城の丘」とよばれる高台があります(写真1)。往時はそこを中心に星形に城壁が巡らされ、貴族も市民も、その中に住んでいました。最大の目的は、ヨーロッパに向けて膨張する隣国オスマントルコの侵略を防ぐためです。今日、城壁はなくなり、公園やトラムの電車道になりましたが、シュタイヤマルク州政府の傍にある武器庫(博物館のひとつ)は、16〜17世紀の軍事的緊張を物語っています。三万点に及ぶ武器がピカピカの状態で、1階から4階まで展示されているのです(写真2)。
こんな軍事的な緊張のなか、新興勢力として力を付けた貴族エッゲンベルク家に、とてつもない日本の芸術品がもたらされました。それは17世紀前半のことと推測されている一枚の屏風です。2007年に調査に赴いたわたしを含む関西大学の研究チームによって「豊臣期大坂図屏風」と名付けられた逸品です。
2007年6月に初めて足を踏み入れ、その後、学術協定締結やシンポジウム、さらにNHKBSの取材に同行するなどして赴く機会があり、今年5月、関西大学楠見晴重学長に随行して、5度目の訪問となりました。
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雨上がり、グラーツの郊外にある世界遺産エッゲンベルク城の広大な庭園にはバラやボタンが咲き、クジャクが羽を広げています(写真3)。城内に入り、2階の一室「日本の間」に静かに歩を進めると、自然光の中から8曲の屏風が、8枚の絵として浮かび上がってきます。18世紀後半に解体され、2000年に屏風の形に復元され、写真を撮られて以降、決して二度と屏風の形に戻ることのない屏風が、目の前にあるのです(写真4)。