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兵庫県立歴史博物館 館長 藪田 貫
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陸前高田の一本松 2015年2月15日 |
わたしたちの歴史博物館で現在、展示中の企画展「災害と歴史遺産―被災文化財等レスキュー活動の20年―」のポスター・チラシには、倒壊した阪神高速道路と並んで、一本松の写真が掲載されています。背景が青々として朝日が昇る前のシーンだと思われますが、2014年3月11日の大震災と、その後の津波襲来に耐えた一本松として有名になったものです。実物を見る機会を得ていませんが、「耐える」、ということばを想起させてくれるかのように立っています。
一方、岩手県博物館の協力で展示されている文政5年(1822)の「高田村絵図」には、海岸線に沿って群生する松林が描かれ、震災以前は、青々とした松林であったことが伺えます。残された一本松も、たくさんの仲間と一緒に、浜辺で遊ぶ子どもたちを眺めていたのでしょう。そう思うと松の木もまた、震災と津波で仲間を失ったのだと悟らされます。
こんな感傷に耽ることができるのも、仙台藩の大肝入―関西では大庄屋といいます―吉田家の貴重な古文書群が、被災後、レスキューされ、洗浄・脱塩などの安定化処理が施されて展示できるようになったからです。企画展「災害と歴史遺産―被災文化財等レスキュー活動の20年―」には、そんな発見があります。同様の趣旨のもと、東京国立博物館で開催されている「3・11大津波と文化財の再生」展を見た日経新聞の記者は、こう述べています。
「「美」の向こうにある人々の生活が、いかにかけがえのないものか。そのことを、被災した文化財は強く伝える。美の結晶だけにとらわれてきたこちらの目の汚れを、洗い流すのである。」(日経新聞 1月24日朝刊)
とはいえ、実際、上野の東京国立博物館に行くと、関連展示「みちのくの仏像」には、1000円の入館料にもかかわらずたくさんの観客で混み合っていますが、隣の「3・11大津波と文化財の再生」展は人影もまばらです。観覧者事情は、わたしたちの歴史博物館でも全く同様です。そんな時、校外学習でやってくる小中学生は「福の神」です。展示を通じて「何か」を感じ取ってほしい、と心から願います。