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兵庫県立歴史博物館 館長 藪田 貫
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特別展「播磨と本願寺」と英賀城跡めぐり 2014年12月1日 |
特別展「播磨と本願寺」が終了しました。期末直前の11月28日午前には、観覧者が1万5千人を越えました。平日にもかかわらず、多数の来館者が、熱心に見ておられたのがとても印象的でした。仏教各派への信仰は、いまもそれぞれの家庭に息づいている―という思いです。
わたし自身も真宗門徒のひとりで、生家のある大阪(旧河内国)の小さな村には、東西本願寺の寺が合体した形であります。おそらく英賀御坊から、亀山・船場の両本徳寺に分かれた経緯と同様な事情があったものと思われます。
その英賀御坊跡の散策に、同行しました。11月16日(日)に開催された友の会との共催事業「歴史の旅」に参加したのですが、定員30名を超える70名の方々と広大な英賀城跡と御坊跡を歩きました。御坊跡は昭和16年(1941)、夢前川の付け替えで河川敷になってしまったという歴史が残酷に感じるほど、現地にはほとんど痕跡が残されていません。それに対し、地元の方々が一生懸命、史跡の確認と顕彰に努められてきたことが、昭和3年(1928)、英賀村青年団によって建てられた巨大な英賀本徳寺跡碑に伺うことができます。
英賀御坊と英賀門徒という誇るべき歴史への地元の強い思いを感じた巡見でしたが、もうひとつの収穫は、司馬遼太郎さんの祖父福田惣八さんが、夢前川の対岸広畑天満神社の一角に建立した標柱です(写真)。鳥居の左に見えますが、司馬遼太郎さんの『播磨灘物語』執筆の動機を物語る遺物に出会えた瞬間でした。
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