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兵庫県立歴史博物館 館長 藪田 貫
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ベルギーと姫路(2)−淳心会カトリック本部− 2014年10月15日 |
淳心・賢明という宗教系の学校が、なぜこんな城跡にあるのか?とくに淳心学院の校内には、淳心会カトリック本部との看板が掛かる小さな洋館があり、近代建築好きにはたまらならい(写真参照)。できれば是非、内部を見せてほしいと思っていたところ、5月下旬、研究仲間である淳心学院の教諭菅良樹さんとバスの中で遭遇。この時とばかり、厚かもしくも見学の希望を出しました。幸い、淳心学院林正彦学校長の了解を得て、6月29日放課後、学校を訪問。面談ののち、校長先生の斡旋で理事長アントニオ・マルゴットさんに案内してもらい見ることができましたが、マルゴットさんはベルギーの出身です。
本部には、宗教法人カトリック淳心会CICM−JAPANで作られた日本語のパンフレットが備え付けられてあり、そこに本部建物の来歴が書かれています。それによると1898(明治30)年、姫路城の一帯に陸軍第10師団司令部が置かれ、その後、関連する建築物が100棟余り建てられたそうです。その一つが現在の本部建物で、大正13(1924)年の市内地図には、これらの建物が確認されます。
しかし、1945(昭和20)年6月22日と7月3日の二度の米軍空襲を受け、ほとんど焼失、現存する建物は二棟。ひとつが現在、市立美術館として活用されている赤煉瓦の倉庫、もうひとつが淳心会本部に転用された師団長の官舎です。たしかに、開館30周年記念特別展『名城ふたたび ようこそ姫路城』ガイドブックに載せられた戦前の絵図を見ると、姫路城一帯に展開する多数の軍事施設が確認されます。市立美術館と淳心会カトリック本部は、姫路が「軍都」であった時代の行き証人なのです。
その軍都が敗戦とともに解体され、平和都市として再生していくとき、どういう経緯で淳心会カトリック本部が本町筋に置かれたのか。帰り際に頂いた英文の小冊子YAMANOIに詳しく記されています。
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