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兵庫県立歴史博物館 館長 藪田 貫
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戦争と文化財 2014年8月1日 |
少し前まで「集団的自衛権」という堅い言葉が、紙面に踊っていました。戦後69年にして、あらためて、平和の意味が問われていると思います。3月末で退任された端前館長(名誉館長)は現在、滋賀県平和祈念館館長としてご活躍ですが、戦争と平和は、市民一人一人にとってと同様、博物館にとっても、大きなテーマです。
大河ドラマ「官兵衛」の撮影が行われた書写山園教寺に、6月後半、梅雨空の下、初めて訪れましたが、ドラマでは描かれなかったひとつの史実に出会いました。官兵衛の提案によって園教寺を毛利攻めの本拠としたのはドラマの語るところですが、秀吉軍の山内乱入を、同寺では「天正六年の乱」と呼んでいます。しかも、山内の食堂(重要文化財)に展示された朱塗りの密壇(応永30〔1423〕年制作)には、秀吉軍によって持ち去れ、平成12年、400年ぶりに買い戻された、とのキャプションが添えられていました。驚くことに、他にも持ち去れたまま、今も、近江長浜市の寺院に鎮座している仏像もある由。天下統一に向けた戦争は、貴重な文化財の争奪戦でもあったのです。
その場でただちに、5月のれきはくアカデミーを思い出しました。れきはくアカデミーは、本館学芸員が、日頃の調査研究の成果を発表する場ですが、5月のアカデミーでは、兵庫県養父郡今滝寺(こんりゅうじ)所蔵の「十六羅漢図」(鎌倉〜室町時代の制作)が紹介されました。さらに「十六羅漢図」を寄進した八木宗頼が、山名軍に属して文明年間、赤松氏と播磨の支配をめぐって戦い、勝者となった記念に、松原八幡社の鰐口(応永23〔1416〕年制作)や「八幡垂迹曼荼羅」を地元八木に持ち帰り、今滝寺に奉納していたという事実が披露されました(鰐口と曼荼羅は、館内の歴史工房で展示されています)。
昨今、議論される「返還文化財」という言葉は、人ごとではないようです。