学 校 長 通 信
第   6   号
平成19年10月1日

  天高く 馬肥ゆる秋とは?
― 運動会、近肢研、高等部説明会など ―


 昔から、この季節によく形容される言葉として「天高く 馬肥ゆる秋」 という定型句があります。空は澄み渡って晴れ、馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる秋というほどを意味しています。1年で最も好季節の秋をたたえる表現であります。先日、近畿地区肢体不自由学校長会役員会が、京都の呉竹総合支援学校でありました。平安京遷都の推進者・桓武天皇陵のすぐ西に位置し、京都市中が見下ろせる一等地でした。晩秋になれば紅葉が美しい一帯です。

 この呉竹総合支援学校は公立養護学校整備推進法施行の頃に出来た、やや古くなった校舎ですが、学校改編を積極的に乗りこえてきています。本校にとっても参考になる肢知併置校であります。今夏の全肢P連50周年記念大会を運営した力強さを感じましたが、来年の秋には、第47回全日本特別支援教育研究連盟全国大会を主管します。学びたいものであります。

 さて、私は9月に4つの運動会に出席しました。3つは来賓として招待され、1つは本校であります。滝野南小学校は「最後まで心を一つに全力で優勝めざせ 南っ子!」をスローガンに全校生180余名が紅白にわかれて、6年生がリーダーシップを発揮してがんばっていました。私の目を惹いたのは、小野特別支援学校の3年生が滝野南小の子らと共に参加し、競技し、演技していたことと、開会式で校長先生が彼のことを紹介したことであります。本校は第49回目の運動会で、今回は体育館で行うことにしました。「みんなでつくろう!力をあわせてたのしい運動会!!」をスローガンにしました。少ない全校生徒数ですが、その分一人あたりの出番が多く、先生方・保護者の細部にわたる支えのおかげで中身の濃い運動会になりました。三木精愛園の長岡園長、北山小の国宝校長、三木特別支援学校の佐野教頭、センターの上園看護部長、同窓会の藤本副会長が来賓としてこられ、激励していただきました。感謝したいと思います。

 本校に一番近い神戸市立北山小学校は、曇天で昨日までの蒸し暑さとは違って気温の低い運動会となりました。どの子どもたちも楽しく笑顔いっぱいに競技や演技をしていました。紅白対抗形式にし、5,6年生の風林火山という騎馬戦は盛り上がっていました。3,4年生のPLAY THE GAMEもボールを使った楽しい演技でした。そして何よりも保護者やお年寄り、中高生が多く来ていたことでした。

 本校と密接なつながりのある三木市立特別支援学校の運動会は少し趣きを変えて、ふれあいフェスティバルという形式で、運動会と文化祭を合わせたような大きな運営でした。あいにくの雨のため、体育館で実施となりましたが、ボランティアの中高大学生や、緑が丘町の多くの関係者がスタッ フとして参加していました。また近隣の小中学校長や教頭も多数参加していました。進行プログラムにはいろんな工夫がなされていました。昼食休憩時には三木北高吹奏楽部のミニコンサートがあり、午後にゲーム・バザー・屋台などが出店され、楽しい一日となりました。

 このように9月はそれぞれの学校の特色がある運動会を見たり、体験できて勉強になりました。来年からは高等部ができ、地域とのつながりが一層濃くなる中で、どんな運動会ができるか、楽しみであります。

 さて、10月に入りました。17日には近畿地区の45校ある肢体不自由教育学校の秋季研究協議会が、本校主管で行われます。三木のコープ協同学苑を会場に130名余の参加で、研究主題「自立と社会参加につながる特別支援教育の推進」、副題「これからの肢体不自由教育に求められるもの」として開催されます。記念講演として姫路市総合福祉通園センター「ルネス花北」の宮田広善所長に「特別支援教育に期待するもの」と題してお話をしていただきます。準備は順調に進んでいます。

 24日には、本校高等部の説明会があります。平成20年度に開設の肢・知併置の高等部説明会です。

もうすでに参加申込者が30名程度あるようで、関心の高さがわかります。県教委との協議で確定しているのは、―――平成20年度については@本校の通学範囲は、三木市・小野市・神戸市西区の一部(桜ヶ丘中、押部谷中、神出中校区及びさわらび学園生)。A全学年(新1年生を含む)対象。B給食実施。Cスクールバスについては協議中。最悪は自力通学もあり。(この件については協議続行中で、最終結論に至っていない)D教育課程などの教育内容は当日詳細を説明予定。―――以上です。 

 紅葉の進行とともに年度の後半に入り、来年度の足音が聞こえるようになってきました。秋の好季節はあわただしく過ぎていきますが、動物の多くは、厳しい冬に備え、食糧を様々な方法で蓄えます。広葉樹の多くは落葉してエネルギー消費を最小限の状態にすべく工夫します。四季の変化が微妙にゆらいでいる私たちの環境ですが、他の動植物に見習って、様々な工夫が必要な私たちの人間社会です。フィルターは環境・福祉・人権・平和というキーワードではないでしょうか。子どもたちを取り巻く学校環境のハード面・ソフト面の両面整備を1つ1つ着実にこなしながら、子どもたちの限りない可能性を、うまくひきだしていきたいものです。

学 校 長 通 信

第  5  号

平成19年9月4日  

        

       残暑の厳しさに負けず

        充実した2学期にしよう!

長かった夏休みも、やっと終わりとなりました。今年の夏休みは44日間と、いつもより少し長めの休みとなりました。さて子どもたちはどんな夏休みを過ごしたのでしょうか。

93日の始業式では、みんな元気で、中には日焼けした子もいました。よかったです。

 7月当初の頃は、冷夏ではないかといわれていましたが、予想に反して、猛暑とか炎暑という言葉で表現されるように、後半の気温は、かなり高めに推移し、ヨーロッパでは熱波と山火事が続発、北極では過去最小の氷の面積となりました。日本でも摂氏40度を超えるような日が何日かありました。異常気象とも地球温暖化の結果だとも言われています。

 さて、私は、それなりに充実した夏を過ごしたと思っています。まず、学校というか、仕事についていえば、@大規模改修について、すこしづつ進みつつあるかなあ、というところです。療育センターの改修はまだまだですが、肢知併置の高等部は具体化しつつあります。A玉津の小児リハは基礎工事がスタート。ソフト面の協議も始まったところ。B暫定の給食は何とかなりそう。スクールバスはもう少し協議。C通学区域もほぼ確定か?D教育課程についてもほぼできあがりつつあるところ。以上が現在の状況ですが、10月中には何とか関係の保護者・生徒諸君・特別支援学校・中学校・市町教委に高等部入試の説明会が開けそうになってきました。

 また夏の間に、様々な研修の機会がありました。学校内での先生方との研修や、県・近畿・全国レベルの特別支援教育関係の会に出席しました。その中でも感動の思いで聞いた全肢P連・全肢長合同研究大会での、文科省・下山調査官の全体講評でのお話でした。彼自身が出身の青森弁で、青森第一養護学校の生徒作文を引用しながら、訥々と、親を気遣う高等部生徒の思いを話されたことです。私は下山調査官が本気で、この特別支援教育に対峙しているなあと感じました。私もそうありたいと思いました。分科会では、「地域」に参加しましたが、新設11年目の岡山東養護学校の取り組みに学びたいと思いました。広い敷地を生かし、地域との交流を大切にしていました。また、三木特別支援学校であったタウンミーティングや三木精愛園の盆踊り大会に参加する中で、多くの保護者や関係者、三木市や精愛園の当局者にも、このような繋がりの大切さを学ばせてもらいました。単に立場や仕事だけではない、passionと入魂が必要だと思いました。

 また、この夏個人的にも、いくつかの研修の機会を得ました。1つは、数年来参加してきているアジア太平洋フォーラムで、今年のテーマは「エネルギー問題に直面するアジア」でした。コーディネートは五百旗頭 真さんで、パネリストは中国の周 大地さん、豪州のカレン・シュナイダーさん、トヨタの森光さんなどでした。エネルギー問題と地球の温暖化問題は年々深刻になっていると痛感しました。さらに、ひょうご大学講座で、「大国中国の行方」の連続講座も受講しましたが、シニアの熱心な受講生の意欲に強い刺激を受けました。さらに縁あって、マレーシアのコタキナバルとブルネイ王国に行きましたが、日本の著しい経済進出と石油・天然ガス確保のための経済活動に今更ながら驚きました。ジャングルめぐりのときの、あの下水のような水の臭いには、ウンザリしました。ブルネイはわずか40万人ほどの小国ですが、日本からは近年、閣僚が大勢訪問し、経済協定を結んで自由貿易促進の動きが急です。

 いろんな勉強の機会を得て、多くのことを学び、体験しました。これらの収穫を糧に、2学期の教育活動に生かしていきたいと思います。

  平成1994


                                    

学校長通信

第 4 号

 

    1学期も、あとわずか

――― 保護者の想い、教師の思い ――

農暦では6月のことを水無月といい、田植えに多くの水を必要とする月という意味だそうだ。今年は今のところ、雨が少なく夏以降の少雨と日照りを心配する農業関係者も多い。

さて6月から7月初めにかけて、いろんな勉強をする機会を与えていただいている。また、のじぎくのOBOG職員の集いにも参加させていただいた。それらのことにも詳しくふれてみたい。

6月はいろんな校長会やPTAの総会や研修会が引き続いた。障害児教育や盲聾養護学校が特別支援教育へと名称変更が進み、特別支援教育元年などと言われたりもしている。何となく右へ倣えのごとく言われるが、理念と中身を問いたい。理念と中身に新鮮味がなければ、やがて一過性のものとしてわき道へと過ぎていく。先日の全国特別支援学校長会で、伊吹文科大臣や銭谷初等中等教育局長のあいさつや講演も傾聴に値すると思いながら、強く印象に残った人物で下山特別支援教育専門官の発言がある。文教行政のエキスパートである。彼は特別支援教育のキーワードは「連携」と「子どもたちの持てる力を高める」であるとして、その立場から施策の細部にわたる説明を行った。私も同感である。子どもたちの可能性をいかにして伸ばすか、という視点をはずしてしまったら、教育活動の意味するところは無である。投資対成果のみを物差しにして教育を論ずることの危うさが表裏をなしているとすれば、厳しく対処せねば、とも思う。

6月19日の県肢P連の夏季研修会では篠山養護学校PTAOBである、いぬい福祉村の事務局長、山中信彦氏の講演があったが、学校卒業後の子どもたちの生き方・就労について、創意と熱意あふれる取り組みをされているのに感銘を受けた。自立支援法以降の授産所・作業所の運営が困難な中、積極的に運営されているノウハウなども紹介があった。

 7月1日に、のじぎく集まろう会があった。転退職された先生方の親睦会である。今回は石田先生と長谷川先生が幹事で、水船先生と神戸先生の退職を祝することも盛り込まれていた。お互いの近況報告の中で、ぜひとも今の、のじぎくと今後の行く末について話してほしい、との先生方の熱い思いに触れさせていただいた。前田先生からは、大事にしてきた幼稚部はなくさないでほしい、と涙ながらに言われたのには、私も胸を熱くした。鬼籍に入られた志方先生、大江先生、上田先生の話もだされ、のじぎくを愛された大勢の人々の思い出にふけった1日であった。

 7月2日は、学校評議員会があった。今年から、新たに兵教大の藤田先生と成田先生のお2人にきていただき、関西国際大の濱名先生と、強力な学識経験者の先生方にサポートいただき力強い限りである。藤田先生も成田先生も特別支援教育の分野では双璧をなす先生で海外の事情等にも造詣が深く、かつ親しみやすく、特別支援学校への転任時に大変お世話になる先生方である。大所高所からのアドバイスをいただいて、新しい学校づくりを、より具体的に進めていく体制が、また一歩前進したと実感している。本校の全体構想のプレゼンテーションをみていただいたあとのさまざまなアドバイス・サゼッションを咀嚼していきたい。

 新しい学校づくりには、教師の高いモティベーションと、保護者の熱い思い、地域の支えが必要である。これらのトライアングルが子どもたちを大きく飛躍させる。今、いろんな関係者から注目されている、のじぎくを、大きく花開かせたいと思う。

 

平成19年7月3日


学校長通信第 3 号

5月の風と、学校の動き
――― 子どもたちには最高の環境を! ――

5月は授業日数は21日でした。ゴールデンウィークがあったので授業日は思ったより少なく感じます。療育センターの入院生は連休明けに増加しました。新たに4名が入院。6月にも4名が入院予定と聞いています。転出は2名。入退院の回転が早くなっているように思います。

 5月に入って、学校の整備計画についても大きく動き出しました。新しい学校づくり推進部を中心に取りまとめた施設・設備に関する要望を2度にわたって県教委にも上げました。

 また5月下旬には、教育次長や特別支援教育課長も来校され、現況を見ていただきました。この間、推進部の先生方にはグランドデザインづくりや近隣の特別支援学校や地教委との連絡、子どもたちの実情把握などに当たっていただきました。地域の学校関係者や保護者のみなさん、そして子どもたちに平成20年度以降の知肢併置の高等部の概要を示すことができるよう、細部をつめていきたいと思います。今しばらくお待ち下さい。

 在校している子どもたちは、さまざまな教育活動を展開していますが、この時期、五月晴れのもと、校外学習や修学旅行など楽しい行事がたくさんありました。わかあゆ分教室では姫路動物園に行き、モルモットやヤギなどの動物と直に触れ合った新鮮な思い出が、週刊分教室だよりから伝わってきました。私が参加した東京ディズニーシーへの修学旅行では、中3のM君の様子に感動しました。彼は幼稚部から10年間、療育センターに入院しており、社会体験の機会が少ないのですが、タクシーに乗ったり、通勤電車での移動区間があったりしたことが、貴重な体験になりました。通勤電車が珍しく、しかも先頭車両で運転席をみることができました。そのときの彼は運転席が見える位置で、車椅子から立ち上がり、背伸びをして、つま先だちで長時間、運転席の様子を見続けていました。あとでその時見た運転席のディスプレイを使って運転していた様子を、うれしそうに話してくれる彼の笑顔に、新たな感動を覚えました。このために校外学習や修学旅行があるんだと。このために教育活動があるんだと痛感しました。

 子どもたちには、最高の環境を、教育活動を通じて提供することが、我々大人の責務だということを再確認し5月でした。

平成19年6月1


 

学校長通信

第 2 号

同窓会、参加者多く盛会裏に終了 !!

―――同窓生の想いを大切に、新しい学校づくりについて思う!―――

 

新学期が始まってから1ヶ月が過ぎた。淡いピンクの桜は過ぎて、野山は新緑から青葉に変化してきた。10万平米を誇る、のじぎく療育センターと学校のある緑ヶ丘の地は周辺の住宅街と比較すれば、贅沢なほどの緑に包まれている。

さる4月29日、学校の体育館や中庭で、200名近い同窓生や新旧の職員が集い同窓会総会とアトラクション・懇親会が持たれた。例年と比較しても多数の参加者であった。のじぎくがどうなっていくのかという心配もあってのことである。若い頃の私の教え子たちもひさしぶりの同窓会だといって参加してくれていた。うれしいものである。かつて本校で教鞭をとられた渋川先生や小嶋先生、三木特別支援学校の河津先生や岩崎先生、訓練の平岡先生や指導員の北田先生も駆けつけてくださり、盛会な1日となった。ありがたいかぎりである。1958年の学校創立以来49年目の今年は、いろんな思いに包まれた。私は同窓会の総会の場で、来年は創立50周年という大きな節目の年であり、のじぎくが大きく変わるターニングポイントの年になると挨拶させていただいた。総会のあとで岩崎同窓会長と今年の同窓会参加者の思いを引き継ぎ、もっと大きな夢を実現させたいと話し合った。

先日、県議会の本会議最終日。平成19年度予算可決直後に県教委の担当者と共に療育センターの細部を見て廻ったが、印象に残った光景がある。屋上から周辺の地を見渡した時のすばらしい景色である。南には雄崗山と雌崗山が対をなし、その奥には淡路島が望め、西にはいなみの平野が広がり、北には緑ヶ丘ニュータウン。その奥には播磨丘陵が遠く望める。東は丹生の山々がそびえる。環境は抜群である。目にはみえないが、淡河疎水のパイプラインが緑ヶ丘の地中を這い、いなみの平野に供給されていたが、今は呑吐ダムが代わりを務めている。

4月下旬には県の実務担当者が8名もお見えになり、療育センターをどのように学校に設置換えしていくか、再度来られた。案内しながら、いよいよ具体的に動き出したなあ、と思う。学校では、新しい学校づくり推進部を核として、いろんな作業を始めている。

施設・設備のフルモデルチェンジのプランニングや高等部の学級編成や教育課程の中身づくり。子どもたちや保護者にとっての魅力ある学校づくりをどのように具体化していくか。近隣の学校からも様々な声をいただいている。いよいよ正念場にさしかかったと思う。特別支援教育の最新のハードと最高の教育内容を創造していきたい。

  平成195月7日


学校長通信

第 1 号

エピローグとしての、のじぎく養護学校と

    プロローグとしての、のじぎく特別支援学校

 

 平成18年6月に学校教育法の一部改正に伴い、盲聾養護学校を中心に、従来、特殊教育 と呼ばれてきた教育が、特別支援教育というように変更になり、平成19年4月1日から法令全般にわたり改正施行されました。やや硬い表現かなあ、と思いつつ、慣れれば馴染めるのかなあ、と思ったりもしています。

  ――――― エピローグ(最終章) ―――――

  のじぎく養護学校としての期間は、上野ヶ原養護学校の分校時代を入れれば1958年から49年目をむかえていますが、平成19年度は、病院併設の学校としての役割を終える最終年度ということになります。多くの同窓生にとっては愛惜の募る思いです。

  ――――― プロローグ (序 章)  ―――――

  平成19年度から、学校の名前が、のじぎく特別支援学校と変わりました。中身は、まだ大きな変化はなく、在籍の子どもの人数が半減したことぐらいでしょうか。半減の最大要因は、療育センター移転に向けた受け入れ態勢の縮小に伴うものです。学校としては、平成20年度の肢知併置の高等部の設置と、教育相談や就学相談に対応できるセンター的機能をもつ役割を担えるよう、新しい学校づくり推進部を作って専任体制を立ち上げています。

 

  この時期、本校の置かれている状況を、ホームページをご覧いただいております皆様方に、できるだけ発信し、できれば双方向の意見交換や情報交換ができましたらうれしく思います。徒然なるままに月1回ぐらいのペースで発信したいと思います。

 

 

平成194月9日

兵庫県立のじぎく特別支援学校長  坂本 三好