学校長挨拶



阪神淡路大震災 校長講話 原稿

令和2年1月17日(金)
生徒の皆さん、おはようございます。

 25年前の平成7年1月17日午前5時46分、兵庫県南部地震が発生。これが阪神・淡路大震災を引き起こしました。わずか20秒間の揺れによって、6,434名の尊い命が失われ、53万棟を超える家屋の倒壊・焼失がありました。当時の様子やその記憶は、年月が経つに連れて薄れていきます。あのような未曽有な自然災害について、当時の神戸に住む方々には、地震の備えははっきり言ってなかったと思います。

 物理学者であり、特に地震学の分野である地球物理学に顕著な実績を残している寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」と言っています。少し時間をもらって、当時の様子と、寺田寅彦が残した言葉に対して、これから皆さんに今後の備えについても考えてもらいことを伝え、本日の震災追悼行事にしたいと思います。

 震災当時、私の自宅は地下鉄名谷駅近くの集合住宅で、建物に亀裂が入る程度の一部損壊で済みました。

 地震発生時は突然、下から突き上げるような揺れで目が覚め、その直後、横にガタガタと揺れが続き、隣の部屋から箪笥の上からは物が、本棚から本が落ちる音が聞こえてきました。外はまだ暗く、カーテン越しにピカピカとスパークしているような閃光も見えました。寝ていた部屋には倒れてくるような家財道具はなく、子どもはまだ3歳で熟睡していたようで、揺れには気づいていないようでしたが、妻は起き上がろうとしたのでが、揺れが収まるまで布団の中にいるように言いました。

 私は大学で地質学、その中でも活断層を研究していたこともあり、自分が研究していることがすぐ地面の下で起こっていることに驚きました。この揺れは大きく、震度4程で震源は山崎断層か、ひょっとして六甲山から淡路島に連なる六甲断層帯の一つの活断層が動いたのではないか、とも冷静に考えていました。

 実際は明石海峡直下が震源でしたが、神戸では地震は起こらない、という今にしてみれば何の根拠もない神話を神戸の人は信じていただけに、地震への対応は全くの受け身だったのでしょう。

 大きな余震がくるかも知れない、と思って暫くは布団の中でじっとしていました。外が明るくなってきたので、テレビをつけてみると地震速報をアナウンサーが伝え続けています。まだその時点では深刻な被害は分からず、時間だけが過ぎていきました。7時過ぎに家を出ようとすると、名谷駅から帰ってくる人から「地下鉄は動いていないよ」と知らされ、車で学校へ出勤しました。名谷付近は特に被害は見受けられなかったのが、長田に近づくにつれてブロック塀が倒れていたり、一戸建ての家が傾いていたりと、被害が見受けられるようになってきました。

 学校に着いてみると既に5~6人の先生方が来られており、近隣の方々がパラパラと本校へ避難して来られていました。当時は現在の北棟と西棟は完成して使用していましたが、昔の校舎も残っている状況でした。昔の体育館は壁に多数の亀裂があり危険なため、避難者には現在の会議室に入ってもらい、その後どの部屋を避難所とするか検討しました。結局、本校には地域周辺から1586名の避難者が来られました。当初の避難所としての本校は、避難してこられた方々の不安と混乱で騒然としていたことを覚えています。兵庫や長田の南の地域では火事も発生し、古い映像や画像で見る戦時中の空襲後のような情景でした。

 当時は避難所運営には何のマニュアルもなく、おられた先生方が知恵を出し合って運営しました。幸い本校の電気ケーブルは一般家庭のケーブルとは別だったらしく、停電はしなかったのですが、水道、ガスは止まってしまったので、トイレの排水が最も課題となり、グランドに溝を掘って用を足したら順に土をかけていく方法を真剣に考えていました。

 そのような時、西神中央の造園会社の方が、ボランティアで川や池から水を汲んでタンク車で毎日運んできてくれ、こちらの用意したポリタンクに蓄えて、それを各トイレに配置して排水としました。このようなボランティアや、避難所運営のために本県各地区の先生方、他府県の先生方が本校にも来てくださり、お弁当などの食べ物の配給やポリタンクへの水の給水、清掃作業など、様々な仕事を手伝っていただきました。そのような方々にも助けられて、避難所運営は大きな揉め事もなく進められたのです。

 もちろん授業は2月に入っても暫くできません。本校は避難所としてごった返している一方、西神地域はすぐにライフラインも復旧したとのこと。保護者からは「なぜ生徒を登校させて授業をしないのか」といったお電話もありましたが、少し離れただけで被害に対する温度差があるのも事実でした。実際、地下鉄は板宿から東は動いておらず、山陽電鉄、JRも止まったままです。それに対して、大阪では当たり前のように交通機関が動いており、ライフラインに被害はなく、通常の生活を送っていることに我々は逆に違和感を覚えました。

 47回生の卒業式は無事現在の講堂で挙行できました。そして、本校の避難所も8月20日には解消しました。あれから25年が経ち、長田地域も整備された土地には新しい家が建っています。街は復興を成し遂げたかに見えますが、深く心に傷を負い、まるで心の時計が止まったままの方もいらっしゃいます。震災は、人々から最も愛する人や、愛するもの、思い出さえも奪い去ってしまうものかも知れません。

 しかし、私たちが暮らしている日本は、地球の地下のプレートが世界で最も複雑にせめぎ合い、ぶつかり合っている場所です。それによって、日本では必然的に地震が発生し、火山が噴火します。なかでも、兵庫県は活断層が多く走っていて、活発に活動した場所です。このプレート運動や活断層による地震が避けて通れないものであるならば、未来の震災に備えるとともに、そこからの復興を必ず成し遂げるよう、復興へのプロセスを記憶にとどめることを考えていきたいと思います。また、「地震が起こったとき、自分の命は自分で守る、自助」「一人ではなく周囲の人お互いに助け合う、共助」を常に心がけて減災に努めるなど、今日はそういった震災に対する意識を高める日、となることを願います。

 震災から25年が経過し、この兵庫県でも、皆さんのような阪神淡路大震災後に生まれた人が増えてきました。でも、止まった時計を動かし、時を未来につなげていくことは、皆さんだからこそ、できることと思います。

 震災を忘れないためにも、本校が避難所となり、1586名の避難者が来られたことを残す証として、中庭の南校舎側に石の腰掛があります。その長さは1586mmとして造られ、当時の卒業生が卒業記念品として残してくれています。皆さんも近くを通れば見てください。

 以上で、震災追悼行事を終わります。ありがとうございました。

令和元年度 三学期始業式 式辞

令和2年1月8日(水)
 短かった冬季休業も終わり、3学期が始まりました。
 1年の節目、始まりである元旦を穏やかに迎えられたことと思います。皆さんはどのような目標、計画を立てたでしょうか。

 今年はオリンピックイヤーとして、世間はますます盛り上がるでしょう。
一方、本校は11月7日に創立100周年記念式典を挙行します。当式典に向けて、本校は「ONE TEAM」になって、学校全体を盛り上げつつ充実した式典にしたいと願っています。生徒の皆さんの協力もよろしくお願いします。

 さて、話は替わって。
現在は便利な世の中になり何の不自由も感じませんが、この年末年始に私自身を振り返っていろいろと想うことがありました。そこで『足るを知る』について話をします。

 昨年度、世界一幸せの国ブータンから前任校にリンジン君という男子留学生が来日し、生徒と一緒に半年間学びました。彼は国王に呼ばれて謁見し、「日本の文科省からの『高校生夢の架け橋プロジェクト』で日本へ一人派遣する。国内で成績一番の君が日本へ行きなさい。」と指示を受け、初めてブータンからの留学生として来日したのです。
 ブータンはGNP(国民総生産)でなく、GNH(国民総幸福)を国の発展を計る尺度とする、国民の97%が幸せと感じている国です。
 ブータンでは便利な電気製品やグッズは、日本ほど広く国民へは普及していません。でも精神的な幸福度は素晴しく高いと感じたのは、次のような話を聞いたからです。
 リンジン君は「日本では5家族のホストファミリーにお世話になり、お父さんやお母さんがそれぞれ5人増えて嬉しい。幸せだ。」と言っていました。さらに、教室では生徒が自分の鞄を机の横の床に置いていることについて、彼は先生に質問をしました。「先生、なぜ鞄を机の横の通路に置くのですか?置いていると、前へ行く時に鞄をまたがなければなりません。鞄の中には辞書やお弁当が入っています。ブータンでは食べ物をまたぐことをしてはいけません。食べ物に対して失礼なことです。また、辞書には文字が書いてあります。文字は知識の源。文字をまたぐことも、踏みつけることもいけません。私は道路に描いてある「止まれ」の表示が車に踏まれていることに、とても違和感があります。私はその文字を避けて歩いています。」と。
 この話を聞いて、「なんてお年寄が呟くようなことを言っているのか?」と思う人がいるかもしれません。今の日本では、これこそが違和感のある話に聞こえるかもしれませんが、ブータンは物とともに精神を大切にした国だからこその感想なのでしょう。
このことは、溢れた物質文化に埋もれて時間に流されるのではなく、当たり前の事にもその恩恵に感謝しつつ、今自分は何をすべきか、を考えて過ごすことも必要ではないかを、我々に示唆しているのだと思います。
 老子は『足るを知る者は富む』と言いました。そのまま解釈すると「満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福であるということ」といった意味ですが、もう少し深く読むと「自分の内面に、どれほど命や志など素晴しいものが備わっているかを知りなさい」ということではないでしょうか。
 京セラ会長の稲盛和夫氏は「物であふれ満ち足りた時代だからこそ、『足るを知る』心、また、それに感謝する心をもう一度見直す時代が来ている」と著書に書いています。
 私は「自分は何を持っているかを知ることが、真の豊かさである」と解釈しています。

 各学年それぞれで今すべきことや方向も異なりますが、皆さん個人はそれぞれが素晴しい能力や高い志を持っています。その志の実現に向けて、自分の内面にどれほど命、能力や志など素晴しいものを備えているかを意識して、自信を持って今年も有意義に過ごしましょう。
 特に3年生は体調を整えつつ、気持ちをしっかりと持って頑張ってください。健闘を祈ります。


年度当初の挨拶

 兵庫県立長田高等学校のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。

 本校は大正10年4月にその前身である県立第三神戸中学校が開校して以来、99年の歴史を重ね、来年2020年には創立100周年を迎えます。

 近藤英也初代校長が「神撫(しんぶ)教育」として、「智・徳・体の調和的発達による健全なる人格的基礎の形成」といった教育方針を掲げられてから現在まで、その3つの指針が教職員・生徒に脈々と受け継がれています。

 その一つは、「智・徳・体」のいずれにも偏らず、これを調和統一して発達を目指すこと。二つ目は、どのような人にも恵まれた一芸一才があり、個性を見いだし、個性を伸ばすこと。三つ目は、「学ぶ」ことによって人間としてのあり方を自分で考えることです。

 本校はこれら神撫教育を根幹として、学業はもちろんのこと、行事や部活動にも真摯に取り組み、個性を伸ばし、自主自律の態度と自己教育力を育成する教育の実現に力を注いできました。現在では、文武両道の公立高校として地域社会からも信頼され、県下のみならず、全国的にも「兵庫県に長田高校あり」と評されるところとなっています。

 時代は令和へと移り、国際化・情報化が急速に進む社会で活躍できるグローバルリーダーの育成が求められる中、学校教育を取り巻く状況は大きく変化しつつあります。そのためにも、学校の新たな魅力づくりや、県民の多様なニーズに対応する取組が一層求められています。

 本校におきましては、平成25年度より、魅力ある長田高校づくりへの取組の一環として、新たに文理融合の「人文・数理探究類型」を設置し、伝統ある「神撫教育」の理念に基づきながらも、時代の変化、社会の変化に対応した教育を進め、高い志を持った次世代グローバルリーダーの育成に力を注いでいます。

 「人文・数理探究類型」では、人文・社会科学や自然科学に対する興味・関心と、課題解決能力とコミュニケーション能力の伸長のために、各教科の基礎学習を踏まえて、英語によるコミュニケーション能力を高めながら「探究」活動を通して、科学的思考力・情報発信力・問題解決能力等を一層高める学習活動を行います。さらに、「人文・数理探究類型」のみならず、全生徒への高大・産学連携を軸とした社会のリーダーを育てる教育活動を展開し、地域と日本の明日を創るグローバル人材の育成を目指してまいります。

 これまでの保護者の皆様や同窓会の関係各位のご尽力・ご協力に対し、深く感謝申し上げるとともに、冒頭で申しました来年の創立100周年に向けて、このホームページをご覧の皆様にも、今後も温かいご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


兵庫県立長田高等学校長 中 村 晶 平