学校概要

校訓

校訓碑の画像

自主

自由を尊び自己の責任において主体的に考え行動し得る自主独立の人間たることを目指す。

協同

協同を旨とし、他人の人格を尊重し常に共同体の一員として他人とよく調和し得る社会人たることを目指す。

善意

善意にみち、お互いがよく親和のうちに共存し得るという人間性への信頼を基礎として明るい人生観をもって生きる人間を目指す。

校歌

草野心平先生の直筆歌詞

草野心平先生の直筆歌詞

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日輪は 天にあまねく
鳥羽台に 陽はふりそそぐ
朋がらよ 眉あげよ
摩耶六甲を はるかにのぞみ
自主独立の 理想に燃えん
おお明石南 われらが母校
燦として 未来かがやく

淡路島 白き雲沸き
コバルトに 海はかがやく
朋がらよ 腕組まん
協同親和の 輪をつくり
高鳴らさんか 若き胸ぬち
おお明石南 われらが母校
大いなる 未来ぞ展く

作曲 小山 清茂
(1914~)

新音楽の会に属し、信濃の民謡を基盤とし、大衆に愛され、芸術作品としての風格を保つ好作品を発表しつづけている。主要作品として「管弦楽のための木挽歌」・「管弦楽のための信濃囃子」(音楽コンクール第1位)

作詞 草野 心平
(1903~1988)

大正十年頃から詩作を始め、昭和三年「第百階級」を発表、昭和十年から発行された雑誌「歴程」では、中心的な存在となり、詩壇に確固たる位置を固めた。特に蛙の詩人として名高い。昭和62年文化勲章を受章、昭和63年逝去

校歌由来

 昭和40月1月、市立から県立に移管され、大蔵谷の桜ヶ丘から鳥羽台の現在地に移転。 その時、新しい学校に新しい校歌をと、当時高校の教科書にもよく詩が掲載され、 生徒もよく知っていた草野心平先生に作詞を依頼した。先生は校歌作詞を快諾され、 昭和40年4月6日、現地調査のために来校された。(この日は良く晴れた日であった)

 春の陽光に照り映える白亜の新校舎屋上から、先生は東の摩耶六甲の山並み、南の白き雲湧く淡路島を眺め、 しばし佇んでおられた。(昭和40年当時、本校の周辺はほとんど農地で、 現在のような高い建物もなく、東西南北その眺望は素晴らしいものだった)

 昭和40年6月10日、本校開校式において、「日輪は天にあまねく~」の新校歌が発表された。

 草野先生は作詞にあたって「校歌を書くのは私ではありますが、 その私は生徒諸君の代弁者であるべきだ。つまり私が諸君の立場、諸君の気持ち、諸君の未来などを洞察したうえで、 諸君が自分達の歌だという自負をもっていただけるようなものを書きたかった」と述べられている。

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校舎案内

校舎内画像

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