郷土の心を声高らかに
全国でも例のない
本校は「国生み神話」や「鳴門の渦潮」で有名なそして「阪神・淡路大震災で」でより知名度の増した淡路島の南部に位置しています。生徒数395名の小規模校で、学校の特色は、校外一斉清掃をはじめ老人ホーム訪問など20種類におよぶボランティア活動を積極的に推進していることです。
郷土芸能部では「淡路だんじり唄」を継承していますが、「淡路だんじり唄」は「淡路人形浄瑠璃」とともに淡路島を代表する芸能の一つです。
だんじり唄は全国に例を見ない特異なもので、20名前後のグループが太鼓と拍子木でリズムをとりながら、浄瑠璃や歌謡浪曲などの劇的場面を独特の節回しで感情豊かに歌い上げるものです。
また、だんじり唄は、2月下旬から5月下旬にかけて毎日曜日に行われる各地域の春の大祭で、各町から繰り出される豪華な「布団だんじり」の前で、子供や若者によって歌われ、神殿に奉納されるものです。
衰退から復活へ
「浄瑠璃くずし」と呼ばれるだんじり唄は、500年の伝統をもつ淡路人形浄瑠璃から派生したもので、明治初期から徐々に現在への形へと移り変わってきましたが、昭和30年代から若者たちの島外流出や、三味線や浄瑠璃を習う人の激減で、衰退の一途をたどりました。しかし、昭和50年代に入ってから南淡路を中心に、郷土芸能を守り地域を活性化させようとおい気運が高まり、各町で次第に祭礼団が復活したり、保存会が結成されるようになりました。そして、県立淡路文化会館と淡路一市十町が協力して、平成元年3月には「第一回淡路だんじり唄コンクール」を開催するまでになりました。
現在では、子供会、有志の会を含め、約80におよぶ団体がだんじり唄を楽しんでいます。
岸壁の母を
本校では、昭和63年度の文化発表会において、必修クラブで「だんじり唄」を選択した生徒が初めて全校生の前で発表しました。翌年6月、そのメンバーが中心となり、「だんじり唄」同好会を発足させました。以後、老人ホーム訪問など多岐にわたる活動を展開し、平成4年に「郷土芸能部」への昇格を果たしました。
だんじり唄の演目(外題)は、仮名手本忠臣蔵の各段を中心とした古典ものと、歌謡浪曲などを編曲した新作ものとがあり、その数は約100曲を数えています。その中で、本校では、若者が歌いやすく、しかも老人ホーム訪問活動では最適と思われる、室町京之助作・岡本幸雄編曲による新作ものの「岸壁の母」に挑戦しています。
郷土芸能部の練習は、「岸壁の母」の編曲者でだんじり唄の師匠でもある岡本幸雄氏を師匠に向え、週2回実施しています。練習の時間帯は、19目の部員の大半が他部とかけもちで活動しているため、それらの練習が終わってからになります。
年20回の公演
本校は兵庫県教育委員会により、郷土伝統文化継承校として、他の県立高校5校とともに指定されています。活動が新聞等で紹介されることも多く、公演回数は年々増えており、現在では年間20回の公演をしています。
生徒の感想
これらの公演活動や日頃の部活動に対する生徒の感想を聞いてみると、
「人前に出てもあがらなくなり、自分に自信が持てるようになった」
「一生懸命の姿勢が人を感動させる事がわかった」
「節回しがうまくできたり、その役になりきることができて拍手をもらったときは、最高の気分である。ますますやる気が出てくる」
「私たちの唄を聞き、涙を流す多くの老人に接し、戦争の悲惨さを少し理解できるようになった」
「地元の祭りをよく見に行くようになったし、他の芸能への関心が高くなった」
「ホランティア活動は、他人のためにしてあげるのではなく、自分が学び、自分を伸ばす場であることがわかりはじめた」などです。
出会い・ふれあい
これからの抱負としては、本校の特色として定着してきたボランティア活動とタイアップさせながら、多くの人たちとの交流を」深め、出会い・ふれあい・語り合いを大切にしていきたい。また、淡路島の誇るだんじり唄の素晴らしさをより多くの人たちに知ってもらったり、戦争の悲惨さを後世に伝えていくためにも、島外や大きな舞台での公演をぜひ実現させたい。具体的には私たちと同じ町内の県立三原高校郷土部が体験した国立劇場やNHKホールの大舞台で、声高らかに演じるのが私たちの夢です。
「ふれあい・感動・夢・挑戦」ー今日も日の暮れた練習会場の体育館から、メリハリのきいたあの独特のだんじり唄が聞こえています。
いきいきと 太鼓のリズムに声あわせ 唄え継げよ 郷土のこころ