淡路だんじり唄 「岸壁の母」
志知高生による 淡路だんじり唄 「岸壁の母(mp3)」
(解説)
1941年(昭和16年)12月8日未明、日本軍はハワイ真珠湾を奇襲攻撃、宣戦布告。太平洋戦争へ突入しました。
しかし、1945年(昭和20年)8月15日、あの玉音放送でついに無条件降伏。
日本が命運をかけた戦争に負けました。
その戦争に命をかけた兵隊が、シベリアの抑留生活からつぎつぎと舞鶴の港へ引き揚げてきました。
その引き揚げ船が着くたびに岸壁に立つひとりの老婆がいた。
端野新二の母である。
しかし、待ちこがれた我が子の姿は、ついに見えず、悲願10年母の叫びは空しく岸壁に消えていくのであった。
端唄 悲願
ツ レ 十年昭和の半ば、雪と氷に閉ざされた ソ連の港ナホトカから
語 り 祖国のために命をかけた
解 説 昭和25年1月半ばもやがて過ぎる頃、御国のために戦った
我らの同胞を乗せ、第一次引き揚げ船高砂丸が帰ってくる
母 「ごめん下さいませ。ごめん下さいませ。ちょっと通してやって
下さいませ・・・・」
唄 母はきました 今日も来た この岸壁に今日も来た
届かぬ願いと 知りながら もしや もしやに もしやもしやに ひかされて
フリオトシ 帰らぬ
ツ レ あの子が忘らりょう 姿の見えぬナホトカの 空に向って声をあげ
「新ちゃーん」
表具語り 声を限りに名を呼べば 帰らぬこだま空蝉の 清く真白くありありと
大 フ リ 母は
泣 キ いとどせき上げ せき上げ
ツ レ 呼んで下さい 拝みます 海山千里 というけれど
なんで 遠かろ 母と子に 涙こらえて とぼとぼと
なぜに届かぬ我が願い こがれ慕うた
泣き入り 母の気は
息 子 「拝啓、お母様・・・・・」
語 り ハッとばかりに 母親が
フ リ こりゃまあ
ツ レ どうしよう悲しやと 狂気の如く身をもだえ
ほんに思えばこの身ほど はかないものは
泣 キ あろうかいのう
母 「桜の花の咲く頃には帰ってくるだろうか・・・・・」
歌謡浪曲 悲願十年この祈り 流れる雲より風よりも
ツ レ つらい定めの杖一つ 神様だけが知っている せがれ帰れよ
泣 キ この胸に
フリオトシ 怒涛
ツ レ くだける荒波を 浴びてきました 今日もまた この岸壁に
泣 キ 今もなお
ハ リ 人生
ツ レ 流転のやるせなさ 別れを惜しむ舞鶴港 遠くにかすむ
異国の空に 再び合う日を 生き甲斐と
ハ ヤ シ ヤア、サア、サカエマショ、サア、ヨイ