高校生と淡路人形浄瑠璃


三原高校郷土部、ハンガリーで初の海外公演

ハンガリー迎賓館でハンガリー大統領(左から3番目)と河野前外務大臣より直接激励の言葉を受ける郷土部員

三原高校郷土部のホームページへようこそ。今回はハンガリー公演の様子をお知らせします。 是非最後までご覧ください。

兵庫県立三原高等学校郷土部

兵庫県三原郡三原町市円行寺345-1

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淡路人形座のホームページ

兵庫県高等学校文化連盟郷土芸能部門 


淡路人形浄瑠璃の歴史

 淡路人形浄瑠璃は400年以上の歴史をもつ全国的にも知られた伝統芸能で、昭和五一年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。 淡路人形の起源は中世にさかのぼり、伝承によると西宮戎神社に仕えていた傀儡師・百太夫が、淡路の三条村(三原町市三条)に人形操りを伝えたとされています。淡路人形は野掛けの舞台で上演されるのが普通で、そのため人形も文楽に比べて一回り大きく、動きも大きい特徴があります。亨保年間の全盛期には淡路には四十以上も人形座があり、全国各地を興行していましたが、明治初年に十四座、大正初年に十一座、昭和三十年にはわずか三座にまで減少しました。現在では淡路人形座の一座のみがプロの座として継承活動を行っています。

淡路人形座による公演の様子

危機に瀕した淡路人形を守るため、昭和四五年に淡路一市十町によって(財)淡路人形協会が設立され、後継者育成など、保存と普及のための活動が行われています。


郷土部の活動

 三原高校郷土部は1952年に創立されて以来、淡路島で400年以上の伝統をもつ郷土の伝統芸能、淡路人形浄瑠璃の保存と普及に努めてきました。戦後淡路人形の伝統は絶滅の危機に瀕しましたが、郷土部は伝統を守るため幾多の困難を克服してきました。郷土部の公演活動は広範囲にわたっています。全国高等学校総合文化祭や日本各地での公演活動などがそれです。1993年には郷土部は埼玉県で開催された第17回全国高校総合文化祭郷土芸能部門で優秀賞を受賞しました。その結果、名誉なことに国立劇場で公演することができました。また、1994年の成人の日にはNHK「青春メッセージ'94」に招かれ、皇太子ご夫妻をはじめ全国の皆様に郷土部の人形浄瑠璃をご覧いただいたことはたいへん光栄なことでした。1996年には日本ハンガリー友好協会のお招きによりハンガリーでの郷土部初の海外公演を行い、ハンガリー大統領をはじめとするハンガリー国民の方々に人形浄瑠璃を見ていただき、大変喜んでいただきました。


ハンガリー公演

 郷土部は創部44年目にあたる1996年8月には、ハンガリー建国1100年を記念して開催される「日本ハンガリー友好フェスティバル」に招待されました。郷土部は今まで昭和三三年に二年生の神代初美さんが淡路源之丞座のソ連公演に参加して、「おかっぱ太夫」と人気を博したのをはじめ、その後、部員数名が淡路人形座の海外公演に参加しましたが、郷土部としての海外公演は、今回が初めてになります。

 日本からは「佐渡おけさ」、「合唱」などの分野で合計五団体参加し、ブダペスト・ニレジハーザー・ケチケメートの三都市で公演活動をしました。 今年、ハンガリーは建国1100年の記念すべき年にあたるので、外題としてもおめでたい「戎舞」を新たに修得し現地でお披露目をしました。もう一つは「三十三間堂棟由来」で、親と子の別れと愛情を描いた物語を上演しました。さらに幕間にはより日本の人形浄瑠璃を理解していただくために、人形の構造や操作法をコミカルに解説をしました。

○国際民族舞踏フェスティバル参加

1996年8月20日(火)
ニレジハーザ市、野外民族博物館村にて「戎舞」上演。
 

−人形と観客一体に−
 8月19日関西国際空港を発ち、ハンガリー到着。第1回目の公演は、初の野外ステージ。ステージ上では、各国の舞踏グループが、民族衣裳を着て、軽やかに踊っていました。

民族舞踊フェスティバルの様子(wav)

 私達の出番は、舞踏が全て終了した後で、「戎舞」を上演しました。私たちの芸は、舞踏と比べると、まったく雰囲気が変わり観客の反応が心配でした。また、語りも、日本独特の義太夫節で、ハンガリーの人の耳にどう聞こえるのか不安でした。しかし、芝生の斜面は、観客でぎっしりと埋まり、拍手の波がどっと押し寄せ人形が太鼓の音に合わせて拍手するシーンでは、リズムに合わせて、観客が拍手を始め私たちと観客は見事に一体となりました。思わぬ出来事に私は感動し、私は目に涙を浮かべて人形を操りました。日本の伝統芸能が国境を越えて伝わった事に驚き、一段と人形浄瑠璃が好きになった気がします。
 また、太夫が戎の台詞をハンガリーの言葉で、「ハンガリー建国1100年を祝って乾杯」とか「日本ハンガリーの友好を祈って乾杯」などを語った時には会場から割れんばかりの拍手をいただくことができました。

戎の台詞(マジャール語)と観客の反応(wav)

○ジャパンデー(日本の人形浄瑠璃上演)

1996年8月21日(水)
 ニレジハーザ市、ヴァーツィ・ミハイ文化センターにて
 「戎舞」「三十三間堂棟由来」人形の解説

 午前中は、国際合唱祭を見学し、午後リハーサル開始。舞台関係者と、綿密に打ち合わせを行い、本番は、照明・舞台転換ともうまくいきました。

 人形の解説では、人形の仕組みや、操り方の説明に、通訳がつき、ユーモラスな仕草には会場大笑い。積極的な子供が多く、葉書にサインを求めてくる子もいました。

 

○ケチケメート市のジャパンフェスティバル

1996年8月23日(金)
 カルパチア盆地の中央に位置するハンガリー大平原中央部、ドゥナティサ地方最大の都市ケチケメート。市民劇場にて、「戎舞」、「三十三間堂棟由来」そして人形解説を行いました。

 ハンガリーを代表する作曲家コダーイの誕生地であるせいか、音楽・芸術に対する意識が非常に高く、大人はもちろん、小学生ぐらいの子が、身を乗り出して見ていました。人形の解説を真剣に聞き、実際に体験しようとする人が多く、公演後の交歓では、たくさんの交流の場がもてました。カーテンコールにこたえて、人形も観客と握手し、舞台の余韻の中で交歓が続きました。

 最初は、呪文のようだったマジャール語にも慣れ、帰り際に「ありがとう」という言葉を聞くと、とても嬉しくなりました。言葉の壁は厚かったけど、心はすぐに開け、国際交流使節としての使命を果たせたような気がします。

○迎賓館にて懇親パーティーに参加

1996年8月24日(土)
 政府迎賓館での歓迎レセプションは、グンツ・アーパルト大統領、河野洋平前外務大臣をはじめ、田中駐ハンガリー駐日大使など、約400名が出席されました。

 上に示した写真は「戎舞」のさわりの部分を演じている場面です。部員が現地語で「ハンガリー友好のために乾杯」とか「ハンガリー建国1100年を祝って乾杯」語った時には会場の皆さんから割れんばかりの拍手をいただくことができました。ハンガリーの人たちだけでなく、日本から来られている、文化・芸術関係の方々や、他の出演団体の人たちにも見ていただき、お褒めの言葉をいただきました。

 上に示した写真はグンツ大統領(写真中央)と郷土部員が記念写真をとっている場面です。グンツ大統領からは、直々に歓迎の言葉を受け、通訳の方を通じて会話した事や、河野洋平氏が笑顔で述べられた激励の言葉は強く印象に残っています。グンツ大統領は日本文学の翻訳者であるのが非常に印象的で、森鴎外や川端康成などの文学を現地語に訳しておられます。翻訳のできも、原典に非常に近いという専門家の評判があるそうです。

○JAPANESE HUNGARIAN FRIENDSHIP FESTIVAL BUDAPEST in Vigado hall

1996年8月25日(日)
 10日間の海外公演の最終公演は、ドナウ川に面した「ヴィガドーホール」。下の写真はヴィガドーホールの前での部員の記念写真。

 ここでは、日本から参加した5団体と、現地の合唱・民族舞踏のグループが参加し、両国のパフォーマンスが行われました。

 1920年代、30年代の古きよき時代に、ヴィガドーは、上流社会の社交の場で、ここの舞踏会に出席することが、当時の女性の憧れでした。あまりにも、立派な建物なので、リハーサルの為にステージ入りした時から、とても緊張していました。ハンガリーと日本の国旗を目の前にして、ジャパンフェスティバルのクライマックスにふさわしい公演となりました。ハンガリーの人形劇演出家、イレーシュ・アッティラ氏によると、ハンガリー人は一時間半以上も席に座っていることはないそうです。にもかかわらず、最後の最後まで声援を送ってくれました。

 事前に、マジャール語訳のパンフレットを配布していたせいか、三人が息を合わせて一つの人形を操るユニークさや三味線の響きだけでなく、ストーリーに魅せられた人もいる様です。

以上、私たちは3都市での公演の成功をおみやげに、帰国の途につきました。

−最後に−

 部活動の体験の中から、「ハンガリー建国1100年祭」に参加できたことは、私の高校生活の最大の思い出となりました。

 夏の暑い中、汗を流しながらの特訓はとても苦しかったけれど、淡路人形浄瑠璃を多くの人に知ってもらうことができ、日本の伝統芸能の持つ力を感じました。異文化に触れることにより、私の芸術に対する考えが少しずつ変わっている様な気がします。時間と戦いながら生活している日本のサラリーマンの皆さんも、時には仕事の手を休めて、劇場へ足を運んではいかがでしょうか。 


戎舞

「戎舞」はハンガリー公演で披露した外題のうちの一つです。
満面に笑顔をたたえた戎は福の神として、人々にもっとも親しまれた人気のある神さまです。
「戎舞」は、大漁・豊作・商売繁盛などを祈るおめでたい招腹芸として、祭りなどでは必ず上演された出し物で、人形の動きはユーモラスです。これを見ると、あなたにもきっと幸せがやってくるでしょう。村人らが集まって宴会をしているところへ戎が釣り竿をかついでやってきます。村長は大変喜んで、戎に酒をすすめます。盃を三杯飲み干すと、戎はおめでたい文句を連ねた歌を歌いながら舞を舞うのでした。酒の好きな戎はいろいろな祈願をしながら酒を飲み干します。何回も何回もいろいろな理由をつけて飲むものですから、さすがの戎も酒に酔い、よろよろとよろけながら福を授けます。興に乗った戎は舟に乗って沖に漕ぎ出し、釣りをはじめます。そして、大きな鯛を釣り上げるのでした。


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