仮設住宅でのくらし阪神・淡路大震災を語り継ぐじ震所設かひふ不便設をたたかじ司気きしんなんじょべんこうせつせつゆう81「地のバカヤロー。」と、どなっていた。 ふと父を見ると、取りこわされていく自分の家の一点を、まばたきもしないでじっと見ていた。父の目にはなみだが光っていた。そんな父を見ていると、ぼくはなみだがあふれ出てきた。 ひ難にいたとき、「家族だけで住めるところが早くほしいな」と思っていたから、仮も、いつまでも住んでいるところではない。 夏の暑さといったら言いようがない。部屋の中はまるでサウナのようで、40度をこえることがしばしばあった。冬は冬でとても冷なことも多い。電気をたくさん使えないので、一つのこたつに家族みんなが足を入れてねた。 それにこのごろ、新しい家がいっぱい建出ていく家族がいると、ぼくも「家がほしいなあ」と思う。いつになったら、ぼくたちの家ができるのか。ぼくたちには、まだ当てがない。そんなことで、ときどきいらいらすることがあった。「しんぼうだよ。がんばっていたら、 きっといいことがあるから。」と、母は言う。父も、「浩、心配せんでもええぞ。何とかするから。」と、毎日、元気に仕事に出ている。父や母の気持ちを考えると、ぼくはしっかりしなければと思う。 学校に行くと、友だちがいる。みんな、それぞれにたいへんなことを乗りこえて、元気を出しているのだ。そう思うと、ぼくにも勇てきた。っている。家を建えるし、てて仮がわいに入れたときはとてもうれしい気持ちだった。で
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