復興へ阪神・淡路大震災を語り継ぐなんさいじょううつつとしゃさいなんしゃかぶかぶようあしようしょうきゅうでんとうがわおうふくまんひつようすいしゃなんしゃあしがわなんじょしんかぶ78 1月17日、わたしが勤をこえるひ難事に追われる毎日となりました。 そんなある日、「きれいな花ですね。」という声にふり向くと、ボランティアの人が花だんに見とれていました。それは、全国花のコンクールで最はまったく手入れができていませんでした。「子どもたちにはかわいそうですが、水がないので、今年はもう花のなえづくりもあきらめているんですよ。」「さみしいなあ。こんなときだからこそ、子どもたちに花が必ないのにね。」 その一言が、わたしを目てなければと思いました。雨がふるとバケツなどに水をためましたが、3万株のなえにはとても足りません。といって、給とも使えません。川の水しかないと思いました。しかし、生活のための水にも自由しているひ難やることは、川の水といえどもできません。 そこで、真夜中になると、自動車にポリタンクを積いきました。頭とこしにかい中電プにくくりつけたバケツでくみ上げました。こうして持ち帰った水をじょうろに移し替え、一株め、何度も何度も幼めている幼でごった返していました。そのときから、わたしはひ難ゆうしゅう賞めさせてくれました。何としても、花のなえを育の気持ちを考えると、昼間、ひ難一株ていねいに水をやりました。多くのなえに水をやるたち園と芦の花だんでしたが、震の大切な水は1てきたりの目の前で花に水をんで芦ち園にかけつけたときは、すでに500人をとった自をつけ、2、3メートル下の川の水をローを往し、すべてのなえに水をやり終えるこの仕者所慢じご災後要めざ覚い以上水車ふ不者者屋川つや灯か屋川復やなのかもしれに水をくみに明日に生きる花と水
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