追悼式阪神・淡路大震災を語り継ぐ災父母そふぼじ経験地震。通甲山山川むは勢開業席良よはじけいけんおおしんゆめよろこしんさいしんゆめおおぜいさいかいなんろっこうさんはましゅくじゅぎょうくうせきかぶとやまがわひさなかはじこうつう(数字については原文のとおり)74でなくなられた全ての方々のごめい福をおいのりしれているのに、こういうところを見ていると、よけいされ、授びもつかの間、それからのほうが、何だかさびしくなった気めてしだった 初めに、この震ます。 1月17日、今思い出してもこわいあの日のこと。ぼくにとってはもちろんのこと、父や母、そして、祖した大 たったの十数秒間ゆれただけで5000人をこす人々がなくなり、交もうや水道、ガス、電気がたたれ、町がこわれてしまったなんて、どうしても信じられません。夢 悪い夢を見たのだったらいいのにと思っても、一歩外へ出ると、ゆがんだ道路、こわれた家々、さまよいひ難 太陽は明るくかがやいているのに、六いすがたを見せているのに、そして、浜ちがにぎやかに群に悲しくなってしまいます。 ぼくは、なんだか、心にぽっかりあなが開いてしまったような気がします。 どうして、ぼくたちの町はこんなにもあれ果どうして、こんなにも大 考えても考えてもなっとくがいきません。 1月30日、学校が再と会えた喜がします。花をかざったつくえや空や甲はいつもと変わらなには、今年も来た水鳥たててしまったのだろう。しぶりに友だちにとってさえ、生まれて初ではなかったのだろうか。する人たち……。や夙の人たちがなくなってしまったのだろう。が始まりました。久が目立つからです。仲明日に生きる悲しみを乗りこえて
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