地震後の助け合い阪神・淡路大震災を語り継ぐ呂ふろ営住宅震上断水がしじい続水車子すふろ呂ふろ呂じょうだんすいわるわるつづえいじゅうたくしんきゅうすいしゃようてつだわる70くなって伝ってこんかったんや。」 ぼくの家は、市きました。毎日、何度も何度も、給なりませんでした。とてもしんどい仕事でした。 水くみを始めてまもなく、ぼくは、あまり会うことがなかったとなりのおばあさんを、何度も見かけるようになりました。おばあさんは足を引きずりながら、小さなやかんを持って来ていました。足が悪いたらしく、小さなやかんもたいへんな様いのに、つらいやろうな」と思いながら、「水をくんできましょうか」の一言が、なかなか出ませんでした。 ある日の夕方、近所のおばさんが、となりのおばあさんのために水くみをしているすがたを見て、「自分もたいへんなのにすごいなあ」と思い、家に帰って、母にこのことを言うと、「助け合うのは当たり前やろ。何で手と、おこられてしまいました。 それから何日かして、いつものように水くみのために下へ下りていくと、となりのおばあさんも小さなバケツを持って下りてきました。母が、おばあさんを見かけて、「お風に入ってる?」と聞くと、おばあさんは、「ずっと入ってないわ。だから、体が気持ち悪と答えました。それを聞いた母は、「風に水をはってあげるから、わかして入りよ。」と言いました。の11階です。地の日から、半月以まで水をくみにいかなければでした。ぼくは、「足が悪うて。」明日に生きるおばあちゃん 風に入りよ
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