避難所での生活阪神・淡路大震災を語り継ぐちょうせんじんぶっちしし地日朝鮮人資資日朝鮮人謝じ震興災あ所籍あかんしゃじょこくせきかくざいにちちょうせんじんしんともなんしんさいともぶっふっこうささざいにちなん67生活をから物の声があがった。に助け合うことで乗りこえたこの校庭でのできごとは、人々となった小学校や中学校などのいたるところで、多くのがとどく。それらの物という悲しいできごとではあったが、の人々と、共に支は、日本人、在してきた。人々のえ合いながらひ難「今から、おにぎりとキムチを配ります。」 その声に人々は集まってくる。「わたしたちは日本人やけど、もろてもええのかな。」「同じ人間やないですか。」 各の在にかかわらず、同じように分けられた。「つきあいがなかったのに、何十年来の友人のように助けてくれる。」と、日本人から感 地発生から数か月がたった。町もだんだんと復生活にも活気がよみがえってきた。やがて、日本人がこの学校の校庭から去る日も近いことだろう。震それを、共の心から消えることはないだろう。 また、ひ難日本人が、さまざまな国送った。
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