兵庫県防災教育副読本「明日に生きる」
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避難所での生活阪神・淡路大震災を語り継ぐあ共さむ者ごじべ戦後最大級神路大震災戸舎籍べ神戸朝鮮初級学校在日朝鮮人同せんさいだいきゅうこくせきひがしこうざいにちちょうせんじんがいはんしんあわだいしんちょうせんしょちゅうきゅうあまさいこうこうしゃがっこうやくきょうどうなんなんしゃうしなじょうやくささとも(数字については原文のとおり)66れ、水道もガスも止まったまま。電気のとてつもない大きさが、だれの目にもはっり、そしてひ難に、神のまちはおそわれたのである。をぼんやりとながめるだけで、に、今は約のひ難きょ50人のって行き場のは30万人。100人の日本人と約生活だ。家を失「ドドーン。」 1月17日、午前5時46分、とつぜんの大きな大地のゆれに、人々はねむりから覚 まだ夜の明けきらぬうち、人々はくずれ落ちた家から外へ出て、ゆくえのわからぬ家族の名をさけんだ。あまりのことに、人々はまだ状うがつかめなかった。せまり来るほのお、くずれた高速道路、かたむき、今にもたおれそうなビルの群も使えない。 明るくなるにつれて、ひ害きりとわかってきた。死者5500人余「あの学校ではいったい何をしているのだろう。」「どんな人がいるのかな。」 地いきの人々は、そう思いながら校一度も足をふみ入れたことのない人がほとんどであった。ただ、自分たちとは国 その東ない人々に、「校庭を自由に使ってください。」と、学校がよびかけたのだった。まされた。の阪・淡のちがう子どもたちが通っていることは知っていた。・中がいっしょにいる。共明日に生きるに支え合って

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