兵庫県防災教育副読本「明日に生きる」
66/92

地震後の生活・疎開・学校再開阪神・淡路大震災を語り継ぐしんなんくらじょうあんしんしんしょくりょうつづじな震灯いふ上不安なつよ震震物じ料すでんとうたてもの64れ出し、いていた。ぼくは、たおから弟をだきかかえてがたおれるんじゃないぎていった。 地が起きたとき、暗れた家具からぬけ出せなくてあせっていた。お父さんは一番に起き上がり、ひ難のためにドアを開け、大声で子ども3人の名前をよんでいた。お母さんは、たおれてくる家具や落ちてくる電守りながら、妹に、「だいじょうぶよ。」と声をかけていた。ほんとうは、お母さんもこわかったんだろうけど、ぼくたちがこれ以わかった。それは、次の日、おばあちゃんの家に電話が通じたとき、泣いていたからだ。 お父さんは、ぼくを助け出してくれた後、家族を1階まで連「まだ寒い。外にいるとだめだ。」と言って、余を取りに上がった。今度地かと思うと、お父さんのすがたが見えるまですごく心配だった。 その後も、お母さんは食の物を取りに行くなどして、1日が、あっと言う間に過 そして、両親がいそがしくしている間、妹と弟が、ずっとぼくのそばにいることに気がついた。いつもはけんかをするけれど、妹は、夜もぼくの手をにぎってねる日が続思ったとき、家族の大切さがわかった気がした。 それから、2週間ほどたったころ、ぼくたちは、おじいちゃんの家にが来たら、この建集めに走りまわり、お父さんは身のまわりいた。妹や弟がぼくをたよりにしているとやみの中で妹と弟は泣に思わないようにがんばっていたのだと、後でがいつ来るかわからない中を、また12階まで車のキー明日に生きるぼくは一人じゃない

元のページ  ../index.html#66

このブックを見る