じ赤十字ちつ波じ神路災震じごぶじち路北淡庫部地震源地に物震じじ震神路大震災じ民初じ地震察0じべ阪神路大震災戸防局応民民なはんしんあわだいしんさいこうしょうぼうきょくたいおうじゅうみんせきじゅう(人)7001995年1月 17日18日19日20日21日22日23日24日25日26日さい しょがいなみあわきゅうしんがいさつ600500400300200100かんほくだんひょうなんたてものおおしんさつしんしんげんがいしんやくさいたいはんしんあわだいしんさいじゅうみんしょじゅうみんさつ社会わきにねているぞ。」 町は、兵県南が全半かいとなるひ害のときは、各地で同時に生きうめになったり出火したりするので、だけではきゅう命きゅう助の人数が足りません。全国の消ぼうやけいがとう着するま多くのしょう害ある中、長時間海にもぐり、津れた人たちのそうさくを行いました。の震を受けまし発生から約 このようなじょうきょうで、多くの命をすくうのは住消ぼうやけい察い家族のじょうほうも、近所の住ら知っていることがあります。日ごろから地いきの人とつながりをもっていれば、いっそうのぼうさい・げんさいにつながるでしょう。物がで流さ11時間後、自えい隊・淡ではかいされた家にきゅう出されたといわの72時間(3日間)がかぎといわの助け合いです。が十分につかんでいな4年けが人や病人が次々と運ばれる中、全国から医しが集まって、治りょうにあたりました。「この家は、ばあさんがげん関「子ども部屋は台所の上だ。」 淡島の旧近く、多くの建た。しかし、この町では、地いきの人が近所の家のじょうほうを持ちより、がれきの下で消えそうになった命を次々に助け出しました。そして、地でに、生ぞんしていた人、なくなった人、すべてのきゅう出を終えていたそうです。 地の直後、このような助け合いは各地で行われました。阪屋からきゅう出された3万5000人のうち、2万7000人は近所の住れています。 さい害時のきゅう命きゅう助はスピードが大切です。最れています。しかし、大ひさい地の消ぼうやけい察のおうえんのとう着は早くても2日め、3日めとなります。(写真提供 神戸新聞社)はんしんあわ・淡だいしんさい生ぞん死ぼう 神市消の対(写真提供 神戸新聞社)(写真提供 神戸新聞社)(写真提供 海上保安庁)53命をすくうには最初の72時間が勝負公の助けを得る海上ほ安ちょうなど大阪すくった地いきの助け合いのときに多くの命を・淡
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