兵庫県防災教育副読本「明日に生きる」
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じ地震害に成日本大震災物水車田災た手て景は助おし要死助しふかた団通科連隊田じ地震つ波をだんさつきゅうすいしゃつうれんたいあきしんなみがいたてものこうけいすくつづひっきゅうじょいわひつようあきしんさいかたきゅうじょ社会きゅう急車、消ぼう車をゆう先して通すきん急交通路のかくほやはんざい予ぼうのパトロールを行いました。を取りのぞき道をつくる作業を行いました。また、給4年をはけんしひさい者のきゅう助や、たおれた建たり、かせつぶろをつくったりもしました。の後に発生した火さいの消火活動や津でひ害受けた家屋からのきゅう助活動などを行いました。がいひがしほんたい(写真提供 産経新聞社)だいしんさいしんすいがいへいせい(写真提供 産経新聞社)(写真提供 兵庫県警)がい第9師第21普(秋県)県を震まってしまいましてしない作業を続活動は進まず、と中で心なんだ」と仲間たちと声をかけ合いながら、必当日の夜に出が広いたけま52で救活動を行いました。 ちゅうとん地のある秋て、早朝に岩県に入りました。 ひさい地の様子を見て体が固た。わたしがこれまでに見たことがない光がっていたからです。「一人でも多くの命を救い」という思いがわたしをふるいたたせました。 毎日、どろの中を進む果したが、思うように救が折れそうになりました。しかし、まだどろの中でわたしたちの助けを待っている方のことを思うと「自分のつらさなんてたいしたことない。自分たちが今がんばらないでどうするんだ。自分たちが今必けい察自えい隊や水など大きなさい害人の命をすくうことです。2011(平23)年の東ました。消ぼうが発生したとき、何より大切なことは、でも、多くの人がけん命に活動しさい害時に命をすくう仕事

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