兵庫県防災教育副読本「明日に生きる」
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しょうしょうよよつづつづこうこうししえんえんしょうしょうてんてんがいがいぜんぜんどどしゃしゃささようようひっひっししがいがいくくすいすいがいがいししあいあいごごかかざいざいつづつづまんまんぞくぞくふっふっこうこうしゅしゅさいさいかいかいきびきびおうおうへいへいせいせいすがたすがたしょしょぞくぞくささようようどどしゃしゃさささいさい道徳50のごう雨にみまわれ、ぼくたちの町はいっしゅんにして何もかもがのごう雨にみまわれ、ぼくたちの町はいっしゅんにして何もかもが財財を運を運きました。きました。足足興興とともに、ぼくたち野球部も、甲甲とともに、ぼくたち野球部も、 ある日、練習で心も体もつかれきってしまったぼくた ある日、練習で心も体もつかれきってしまったぼくたちは、下を向いたまま帰っていました。商商ちは、下を向いたまま帰っていました。かったとき、かったとき、「お兄ちゃんたち、わたしたちの分までがんばってな。」「お兄ちゃんたち、わたしたちの分までがんばってな。」「がんばれ、野球部。応応「がんばれ、野球部。開開しました。しかし、秋の県大会しました。しかし、秋の県大会な練習ができなかったことを後かいすることな練習ができなかったことを後かいすることしく、もうやめたいと思うこともたしく、もうやめたいと思うこともたえんしてるで。」えんしてるで。」将将のの呼呼びかけで、みんびかけで、みんきました。きました。子子園園をめざして練習をめざして練習店店街街を通りかを通りか 2009(平平 2009(成成21)年8月9日、とつ然然21)年8月9日、とつうばわれてしまいました。土土うばわれてしまいました。多くの悲しい姿姿多くの悲しい ぼくの所所 ぼくの属属するする佐佐練習どころではありません。いても立ってもいられないのです。あくる日、先生や主主練習どころではありません。いても立ってもいられないのです。あくる日、先生やなでなで佐佐用用の町にボランティアに行くことにしました。の町にボランティアに行くことにしました。「うっ、こんなにひどいとは……。」「うっ、こんなにひどいとは……。」 あまりの悲さんさに、はじめは声も出ませんでした。 あまりの悲さんさに、はじめは声も出ませんでした。「とにかく、できることから始めよう。」「とにかく、できることから始めよう。」 ぼくたちは、みんなの役に立ちたい一心で、家の中の ぼくたちは、みんなの役に立ちたい一心で、家の中のどろやどろや土土砂砂をのけたり、水につかったたたみや家家をのけたり、水につかったたたみやび出したりしました。みんな必必び出したりしました。みんな そんなぼくたちに、ひ害害 そんなぼくたちに、ひ「ありがとう。お兄ちゃんたち。」「ありがとう。お兄ちゃんたち。」と、温かく声をかけてくださいました。と、温かく声をかけてくださいました。「ぼくたちより何倍もつらい思いをしているはずなのに……。」「ぼくたちより何倍もつらい思いをしているはずなのに……。」 かえって元気をもらえたような気分になりました。 かえって元気をもらえたような気分になりました。 そんなボランティアに明け暮暮 そんなボランティアに明け ようやく町も少しずつ落ち着き始め、ぼくたちも大会に向けた練習を再再 ようやく町も少しずつ落ち着き始め、ぼくたちも大会に向けた練習をは1回戦で敗れ去去は1回戦で敗れはありませんでしたが、試試はありませんでしたが、 高校3年生、最最 高校3年生、にはげむことができるまでになりました。しかし、えん天下の練習は厳厳にはげむことができるまでになりました。しかし、えん天下の練習はびたびありました。びたびありました。砂砂であふれた道路、こわれた家の前に立ちつくす人、たくさんの人のなみだ、であふれた道路、こわれた家の前に立ちつくす人、たくさんの人のなみだ、がありました。がありました。用用高校野球部は、大切な秋の県大会に向けて練習をしなければいけないのですが、もう高校野球部は、大切な秋の県大会に向けて練習をしなければいけないのですが、もう死死です。どんなにたいへんな作業もつらいとは思いませんでした。です。どんなにたいへんな作業もつらいとは思いませんでした。で苦しんでいる町の人たちは、何度も何度も頭を下げて、で苦しんでいる町の人たちは、何度も何度も頭を下げて、れる日々が夏休み中続続れる日々が夏休み中りました。水水りました。害害後のボランティア活動で満満後のボランティア活動で合合に負けたくやしさは強く、帰りのバスの中はちんもくが続続に負けたくやしさは強く、帰りのバスの中はちんもくが後後の夏がやってきました。町の復復の夏がやってきました。町の6年ぼくたちの夏

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