兵庫県防災教育副読本「明日に生きる」
44/92

4年へいまきめいまきまきにいがたちゅうえつおいたねせいなみうたしんかわだいみなみなみたねさんりくうたなみがいふうけいみなみさんりく42で大切な家族はゆくえ不をまく場所はないだろ 2011(平も、大きな津命と人々の生活をうばいました。 ふっこうにはまだまだ時間がかかり、ひなん所での生活は津人々の心に大きなかげを落とし始めていました。がれきがてっ去されたあと地は草木も生えていない、あれた野原になっていました。 牧さんは、昔、歌になり、そして変「何もかも流されてなくなってしまった……。」 牧さんは、しんさいの後、大 ある日、牧「新県中うか。ふるさとが元にもどるには時間がかかる。だけど、このあれた風なんてたえられない。」と、知人の及を受けました。このひまわりの種は「はるかのひまわり」とよばれていました。道徳23)年3月11日。ゆたかで美しい海に面した南がおしよせ、あらゆるものをおし流し、いっしゅんにして多くの人地区で町長をしていました。津わり果てたふるさとのすがたに心をいためていました。さんは、のひさい地からゆずり受けたひまわりの種さんから相談きだった海を見ることができませんでした。町歌地区にでひ害にあったのままにさく「はるかのひまわり」南三陸成三陸津つ波つ波つのつつふ野津波かは明のす野好野のじ潟越地震景川

元のページ  ../index.html#44

このブックを見る