御津町の歴史探訪
御津小学校の近くには歴史がいっぱい
@石器時代 御津町では遺跡から15000年ぐらい前の石器が採集されています。
ナイフ形石器
有舌尖頭器など
石器は黒曜石
サヌカイトという石が
使われている。
A古墳時代
輿塚古墳は、瀬戸内海を一望する丘陵台地に立地する古墳時代前期の前方後方墳です。全長は、110m、後円部径65m、前方部の幅36mで、兵庫県下で5番目に大きい古墳であった。
B風土記の世界 「石海の里伊津」「浦上の里御津」の地名が記さ れている。
伊津の浦
(岩見)の風景
C奈良時代
碇岩南山瓦窯
お寺の瓦を作っていた。
圓融寺 行基菩薩が聖武天皇の勅願によって建てたお寺
D平安時代
平知盛軍対源行家軍の戦いの場となる。
新舞子の静かな海もかつては
血なまぐさい戦場の場であった。
源平の戦いが繰り広げられた
今の新舞子海岸である。
E赤松氏の時代 新田軍と赤松軍の戦場となる。
中寺・・・本堂は小さいが寄せ棟づくり、三つどもえは赤松家の 家紋で陣幕を模様化した二つ引両は足利家の家紋である。
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F江戸時代
江戸時代は、龍野藩領より、四国丸亀京極氏領となる。
苅屋公民館の東側に建てられている「苅屋共有財産の碑」
苅屋村は四国丸亀藩の領地であったことが記されている。
G明治時代 丸尾重次郎が、明治10年「神力稲」を発見する。
すばらしき 我がふるさと 御津町
町名の由来 「息長帯日売の命 御船の泊 故に御津と号す」
(おきながたらしひめのみこと)
今から約1280年前に作られた「播磨風土記」によると、神功皇后が、三韓征伐に行く途中天然の良港であるこの地に船をつけられたことから「御津」と名付けられたと記されている。津とは古い言葉で「港」のことである。