第42回卒業証書授与式 学校長式辞 令和2年2月28日(金)

  令和元年度卒業式 式辞
  校庭の、40本を数える桜の花のつぼみも日ごとにふくらみ、確かな春の息吹が感じられる今日、この佳き日に、多数のご来賓の方々、並びに保護者の皆様のご臨席を賜り、兵庫県立伊川谷高等学校、第42回卒業証書授与式を挙行できますことは、卒業生はもとより、在校生、職員にとりましても大きな喜びでございます。
  本日、ご臨席を賜りました皆様方には、平素より本校教育活動に深いご理解と温かいご支援をいただき、さらには、巣立ちゆく卒業生の門出に、華を添えていただきましたこと、心よりお礼申し上げます。

  ただ今、卒業証書を授与しました、224名の皆さん、卒業おめでとうございます。
  卒業証書には、一人一人のお名前、産んでいただいた日、本校1回生の1番からナンバリングされている個人番号が、一人一人に記されています。この世に一枚しか存在しない、伊川谷高等学校卒業の証です。
  本校の教育課程を修了し、めでたく卒業証書を受け取ることができましたことは、3年間、たゆまぬ努力を積み重ねてきた結果であります。その努力に対し、心から賛辞を送ります。
  晴れの日を迎えられた皆さんの胸中には、3年間の学校生活のさまざまな場面が、それぞれの思いをもって、蘇っていることと思います。
  合格発表の日のこと、初めて袖を通した制服、新しい友達・先生との出会い、静寂の「朝読」に始まる一日、高等教育の授業にテスト、「自主」「協同」の精神で進めた生徒会活動、遠足、切磋琢磨し、互いに高め合った部活動、盛り上がった球技大会、クラスが一体となった文化祭、私もナイターまで一緒に滑らせていただきました、北海道スキー修学旅行、つらくとも一歩一歩、足を前に運んでゴールしたマラソン大会、記念すべき第1回となった、伊川谷北高等学校との定期戦、少し照れながらも誇らしく、伝統のフォークダンスで締めくくった体育大会・・・そして、時代が「平成」から「令和」へと、大きく流れた頃からでしょうか・・・不安な気持ちを抱きつつ、真剣に自分自身と向き合い選択した進路・・・実に多くのことを経験・突破されてこられました。
  その日々の中、さまざまな出会い・人間関係があったことだと思います。ともに語り、笑い、はしゃぎ、また時には意見が合わず、口論し、涙したこともあったでしょう・・・これらの経験と、出会った友達は、生涯、失うことのない、自らの手で獲得した、確かな「財産」です。
  私は、「袖触れ合うも他生の縁」という言葉が好きです。江戸時代初期の武将で、徳川家康、秀忠、家光の徳川将軍家三代にわたり、剣術の指南役、指導者として仕えた、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の言葉とされ、柳生家の「家訓」となっているものです。
  小才(しょうさ)・・・小さな才能と書きます・・・「小才は、縁に出合って縁に気づかず」、中才(ちゅうさい)・・・中ぐらいの才能と書きます・・・「中才は、縁に気づいて縁を活かさず」、大才(たいさい)・・・大きな才能、優れた才能の持ち主を意味します・・・「大才は、袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」・・・偶然、側(そば)にいる人と服の袖が触れ合った・・・ただそれだけのことであっても、それは、その人と、産まれる前、前世から、何かの「ご縁」があって、この現生で、袖が触れ合ったのだ、この「ご縁」を大切に活かしていこう、という生き方を意味しています。
  現在、地球上に約70億の人が暮らす中、同じ時代に、同じ国、同じ兵庫県の伊川谷高等学校で出会ったことは、決して「偶然」ではなく、深く、有り難い「ご縁」で結ばれているということです。
  「人」と「人」の「間」で生きて「人間」です。本校での「ご縁」、どうか大切にしていってください。

  さて、皆さんには、これまでも、何度か、「命」についてのお話をさせていただきました。
  約137億年前の「ビッグバン」による「宇宙」の誕生、約46億年前に、この「地球」が誕生、その地球上に「生命」が誕生したのは、約38憶年前、そして、ようやく、およそ700万年前に「人類」が、アフリカで誕生し、その後、いくつもの種に枝分かれし、誕生と絶滅を繰り返しながら進化してきました。最新の研究によれば、分かっているだけでもおよそ20種もの「人類」が地球上に暮らしていたと考えられています。時には複数の人類種がすみわけて共存し、あるいは熾烈(しれつ)な生存競争を繰り返していたと考えられています。
  そして、その進化のバトンを受け継ぐ、最終ランナーとして登場したのが、私たち「ホモ・サピエンス」です。やがて、ほかの「人類」は全て絶滅し、「ホモ・サピエンス」は地球上で唯一の「人類」として生き残ったわけです。
  ・・・この壮大な時間の流れの中で、皆さんは十数年前に、この世に生を受けられました。産んでいただき、育てていただき、きょう、ここに「存在」しています。
  皆さんの「存在」自体、奇跡としか言いようのない出来事なのです。
  「俺なんか、私なんか、どうなっても、誰にも関係ない」・・・時々耳にするフレーズです。とんでもありません。あなた以外、あなたの代わりができる人は、世界中どこを探しても、絶対におらず、壮大な時の流れの中で誕生した、一人一人、絶対無二の大切な「存在」、「命」なのです。
  皆さんのお父様、お母様には、それぞれ、お父様、お母様がおられます、その、それぞれのお父様、お母様にも、それぞれ、お父様、お母様がおられます。そして、その、それぞれのお父様、お母様にも、またそれぞれ、お父様、お母様がおられます。幾世代にもわたり、連綿と続いてきた「命」。その「命」の「炎」が一度も途切れることなく続いてきたからこそ、今、ここに、皆さんの「存在」「命」があるのです。皆さんの身体の中には、幾百万、幾千万という、先祖の連綿たる「命」の「炎」が燃えているのです。
  また、皆さん、今朝、何を食べられましたか?昨夜は何を食べられましたか?
  かわいい牛の「命」を、 豚の「命」を、鶏の「命」を、元気に泳ぐ魚の「命」を、野菜もすくすく育ち、確かな「命」を持っています。数えきれない数の「命」をいただいて、私たちは、今、ここに「命」を維持しているのです。私たちの「命」の中に、無数の動植物の、大切な大切な「命」が内在しているのです。
  皆さんの、身体の中で燃える、幾千万もの、先祖の連綿たる「命」と、動植物からいただいた「命」への感謝を思えば、軽々に、「死にたい」「生きたくない」など、言えるはずもありません。自分の「命」は、既に、自分だけの「命」ではないのです。全力で、天寿を全うすることこそ、受け継ぎ、いただいた尊い「命」に報いる、唯一の道ではないでしょうか。
  ・・・最大の親不孝は、ご両親、保護者より先に「命」を失うことです。そして、人生最大の後悔は、この世のステージに立たせてくれたご両親、保護者の方に、親孝行、恩返ししない内に、ご両親、保護者を失うことです。
  皆さん、今日は、大きな親孝行をしています。親孝行を重ねてください。人類最大の愛情とは、「親」から「子」に注がれる愛情です。
  明治維新の精神的指導者で、山口県、萩(はぎ)市に開いた私塾、「松下村塾(しょうかそんじゅく)」において、後(のち)の明治維新で重要な働きをする、高杉晋作、久坂玄瑞、そして、初代内閣総理大臣であり、初代兵庫県知事でもある伊藤博文ら、多くの若者に思想的影響を与えた、かの「吉田松陰」も、安政の大獄で処刑されるとき、「親思ふ 心にまさる親心 今日のおとづれ 何と聞くらん」「親思ふ 心にまさる親心 今日のおとづれ 何と聞くらん」と、たいそう親孝行であった吉田松陰でさえ、「私が親を思う心よりも、私を思いやる親の気持ちの方がはるかに深い。私が、処刑されたと親が聞けば、どれほど悲しむことだろうか」、という歌を詠んでいます。
  皆さん、思い起こしてください。皆さんの高校入学を、ご両親、保護者の方がどれほど喜んでくれたことでしょう。そして、通学路は安全だろうか、新しい友達はできたかな、クラスには馴染めているだろうか、部活動は順調だろうか、雨が降れば、傘を持っていったかを心配し、帰りが遅ければ、事故に巻き込まれてはいないかを、口数が少ない時には、学校でいやなことでもあったのかと、また、多くの友達の多くが、買って持っている物があると聞かされれば、同じように買い揃えてくれたこともあったでしょう、学年が上がれば、成績はどうだろうか、進路は希望通り決まるだろうか・・・毎日毎日、皆さんのことを見守ってきてくれました・・・あたりまえのことではありません。既に義務教育、いわゆる、保護者の義務は終わっているのです。めったにあることではない、「有る」ことが「難しい」「有り難い」ことなのです。
  ご両親、保護者、ご家族の方に、この人生の大きな節目で、「ありがとう」の気持ちを、是非、言葉にして伝えてください。
  そして、これからは、「感謝」の気持ちで「恩返し」・・・「感謝報恩(かんしゃほうおん)」です。ご両親、保護者の方の笑顔を増やしていってください。皆さんを、最も知り理解されているご両親、保護者の方の笑顔が増えるということは、それは、皆さんが、「人として正しい道」を歩んでいるということを意味しているのです。
  これからの人生を歩む中で、様々な判断を求められることがあります。そのときの判断基準、物差しは、ご両親・保護者の方から、皆さんが幼少のころから授かっている、皆さんの身体の中心に宿っている、素晴らしい「人生観」「哲学」に他ならないのです。なぜなら、それは、いつも、「人として正しい道か」、それとも「人としての道を外しているか」、「人様に迷惑がかかっていないか」、「我が子が恥をかかないか」という、ご両親、保護者の方にとって、最も愛おしい皆さんに、「人」として幸せな人生を歩んで欲しいと、純粋に心の底から願う、深い愛情から発生している「人生観」「哲学」であるからに他ありません。
  これまでの人類史上、数え切れないほど多くの人々の心を救い、今なお導き続けている「三大聖人」と言われる方がおられます。仏教の開祖「釈迦」、キリスト教の「イエス・キリスト」、そして儒教の開祖「孔子」です。
  この天才的宗教家のうち、紀元前6世紀の中国で生まれた「孔子」と、その弟子とのやりとりを、孔子が亡くなった後に、弟子たちの手でまとめられたのが、あの有名な「論語」です。その中に、次のようなやりとりがあります。
  孔子の、約3千人にものぼる弟子の中で、とりわけ優秀な「子貢(しこう)」という弟子が、孔子に尋ねました・・・「先生、たった一語で、一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、そういう言葉がありますか」と。すると、孔子が答えています・・・
  「其れ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(な)かれ」・・・「それは思いやりです。自分がされたくないことを人にしてはいけません」・・・紀元前6世紀の中国で生まれた「孔子」が、人生で最も大切なことは「思いやり」であると語っているのです。そして、これを、仏教の開祖、釈迦は「慈悲(じひ)」として説き、キリスト教のイエス・キリストは「愛」と呼んで説いています。「三大聖人」の説くところは、実は一つなのです。
  「人」が「人と人の間」で、「人間」として生きる時、皆が、幸せに生きるために必要な「心」は、既に明確に示されているのです。
  ここで、ふと考えてみてください。「恕」・・・思いやりの心、「慈悲」、「愛」・・・これこそは、まさに、皆さんが、幼少の頃から、ご両親、保護者の方から授かり、皆さんの身体の中心に宿っている「人生観」「哲学」と合致するのではないでしょうか。
  「三大聖人」が、多くの民(たみ)の幸せを願い、悟った境地は、皆さんを、何より大切な存在とされ、心から皆さんの幸せを願われるご両親、保護者の方の思いの境地と一致するものなのです。皆さんにとって、最も大切で、最も偉大な存在は、何千年、何世紀を遡(さかのぼ)る必要などありません・・・最も身近におられるのです。

  奇(く)しくも、今年は、「5G(ファイブジー)」、いわゆる、「第5世代移動通信システム」元年です。通信技術の進歩は日進月歩、すさまじい勢いです。これまでの「4G(フォージー)」から「5G」に進化し、格段の「高速・大容量」、そして、多くのデバイスとの同時接続を実現することで、医療・自動車・製造・メディアなど、あらゆる分野がその恩恵(おんけい)を受け、社会の「スマート化」を牽引(けんいん)していく、インフラ技術になると期待されています。これが、「AI:人工知能」と融合(ゆうごう)することで、18世紀末以降の、水力や蒸気機関による工場の機会化における「第一次産業革命」、20世紀初頭の、分業に基づく電力を用いた大量生産を実現した「第二次産業革命」、1970年代初頭からの電子工学や、情報技術を用いて、一層のオートメーション化をもたらした「第三次産業革命」、これらに続く「第四次産業革命」と評されているのです。
  私たちの生活は、これら科学技術の進歩・発展から、多くの恩恵を被(こうむ)っています。それを否定することは誰にもできないでしょう。しかし皆さん、「人間」の本質そのものが変わっていくものでしょうか?・・・人間の進化の歴史は、そんなに浅いものではありません。スマートホンの中に、パソコンの画面の中に、人生はありません。生身の人間どうし、集い、目を見て挨拶を交わし、語り合い、空気を読み、人として信頼関係を構築し、協力し合い、地に足着けて歩んでいくのです。そして、人を愛し、人から愛され、補い合って、ともに力を合わせて歩んでいくのです。これこそが、「人」の「生き方」、「人生」なのです。
  さらには、科学技術が進歩・発展すればするほど、それまで以上に、「人として、何が正しいのか」、「正しい生き方なのか」が問われ、もし、それを誤れば、人類滅亡の道を歩むことは、火を見るよりも明らかなのです。
  皆さん、ご両親・保護者の方から授かった「人生観」「哲学」、判断基準、物差しで、「人として正しい道」を歩み続けてください。
  「人として正しい道」を歩む中、必ずや、大きな壁、逆境に出会うことがあります。そんな中、人生で成功するために必要な「究極の能力」がありましたね。「知能」や「学歴」、「外見」や「身体的能力」の差ではありません。これこそが「グリット(GRIT)」、「やり抜く力」です。「グリット(GRIT)」こそが、さまざまな道において、成功に求められる「究極の能力」であることが、さまざまな職業で成功を収めている人たちの、共通点の研究から明らかにされているのです。
  「一沈一珠(いっちんいっしゅ)」、海に潜(もぐ)る海女(あま)さんは、一旦潜ったなら、どんなに息が苦しくとも、一個の「真珠貝」を見つけ出すまでは、決して浮かび上がってきません。
  コツコツと続けた勉強、つらくともやり抜いた生徒会活動や部活動、昨日、皆勤賞を受けられた16名の驚く粘り、これらは、見事な「グリット」「一沈一珠」なのです。
  「志」を高く、それぞれ進む分野で、「笑顔」を忘れず、「グリット:やり抜く力」「一沈一珠」の精神を持ち、「人として正しい」と判断した道で、幸運にもいただけた「命」の炎を燃やし続けてください。
  必ずや、幸多き「命」が運ばれる「運命」を得て、真に心豊かな人生が待っています。そして、人生の目的・・・「自らの『魂』を磨き、『心』を高め、獲得した力で、世のため人のために役立つ人となる」・・・ここに向かい、突き進んでいってください。
  私たちは、自らの存在、発言、行いが、他の人の人生の役に立ち、その人を幸せにすることができたと実感したとき、最大の幸福感が得られます。
  「世のため人のために役立つ人となる」・・・この「人生の目的」こそが、実は、私たちの最大の幸せ、幸福感につながっているのです。私たち人類は、「利己主義」ではない他を思いやる、他の幸せを願う「利他の心」を実践することこそが、自らの幸せにつながるよう創られているのです。
  もし、「利他の心」で、世のため人のために力を尽くしたならば、たとえ、突破が難しい局面、難局にぶつかっても、天地から、目には見えない不思議な力が与えられ、必ずや、無事、突破できるのです。この世の中は、そのように創られているのです。そもそも、宇宙全体が、目には見えない不思議な力によって、見事に調和ある活動が保たれているのです。
  皆さん、どうか幸せな人生を歩んでください。私は、二度と、この壇上から皆さんにメッセージを送ることができません。強く強く、皆さんの幸せを祈っています。

  保護者の皆様方、本日は、誠におめでとうございます。高等学校の3年間は、成長・変化の激しい時期であり、お子様の健やかな成長を願って支えてこられた皆様には、さぞや、ご苦労も多かったことと拝察いたします。それだけに、今日の佳き日を迎え、立派に成長されたお子様の姿に、感慨も一入(ひとしお)のことと存じます。
  職員一同、心よりお慶び申し上げますとともに、今日まで本校にお寄せいただきました深いご理解と多大なるご支援・ご協力に、改めて感謝申し上げます。
  また、ご多用の中、ご臨席を賜りましたご来賓の皆様には、重ねてお礼を申し上げ、今後とも、本校の教育にお力添えを賜りますようお願い申し上げます。
  地域の皆様におかれましても、温かく本校生を見守っていただき、誠にありがとうございました。今後、卒業生が、社会のさまざまな分野で活躍することで、地域に恩返しできるものと信じています。

  さあ、卒業生の皆さん、いよいよ出発の時です。自らを信じ、胸を張り、正々堂々と、正面突破で進んでいってください。伊川谷高等学校は、永遠に、皆さんを見守り、応援し続けます。   それでは、希望に満ちた出発の日にあたり、この学び舎(や)を巣立ちゆく卒業生の皆さんの、前途に「幸」多からんことを、心から祈念し、「式辞」といたします。
  42回生、誠に素晴らしい学年でした。学校長として、誇らしい限りです。


           令和2年2月28日

          兵庫県立伊川谷高等学校校長 川崎 芳徳