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裸足の女神 作者:賀来谷 あゆ
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「おはようございま〜す」 そう言って店に入ってきた前川紗恵に驚いて、高藤知は顔を上げた。 知はー昨日前川を振ったばかりだった。 その日は強かに酔っていて前後の記憶はあやふやなのだが、 その時の事だけはぽっかりと鮮明に覚えている。 そして、知が覚えている通りなら、紗恵は泣いていた。 自分には分からないようにしていたけれど、別れ際、確かに泣いていたように思える。 だから今日は、一緒だと知って、正直な話、とても気まづく思っていた。 それは多分お互いそうだっただろう。 けれど、紗恵は知に免罪符を突きつけたのだ。 「高藤さん。おはようございます」 と、知の目を見て、笑顔で言葉を交わす事によって。 「高藤さん、今日って2人だけなんですか」 「うん。今日暇だから。火曜だしね」 「じゃ、2人っきりですね。 ・・・・・・・・・嬉し―――――――い」 そう言って紗恵は、物凄く満面の笑顔を浮かべた。 一拍おいて知は、紗恵の頭を軽く小突いてぶっきらぼうに言い放った。 「馬――――――――――――――っ鹿」 「うーっわっ。ひどっ。ついでにセクハラ」 「いいから仕事しろ仕事」 そう言うと、知はそっぽを向いて、ワイングラスを磨き始めた。 まさかここまで素直に紗恵が気持ちをさらけ出してくるとは思わなかったので、 かなりの不意打ちをくらった。下手をすれば顔が赤くなっているかもしれない。 これが若さなのかと思う知は、今年二十六歳になる。 それなりに今まで色々な恋愛を重ねてきたが、 ここ数年駆け引きめいた事が主流となっていたので、 あんな無邪気な笑顔を向けられるのには弱かった。 さすがは高校生といった所だろうか。 それだけではなく紗恵の本来の性質による所も大きいのだろうが、 そう考えるのもなんとなくしゃくなので、知は年のせいだろうという事にしようと思った。 「高藤さん」 不意に紗恵が口を開いた。 紗恵はシルバーと呼ばれるナイフやフォークを拭きながら、手元から目を離さない。 「なに」 知もグラスを磨きながら聞き返す。 「私、昨日色々考えたんです。で、一つ聞きたいんですけど、 私が告白した時、嫌だなとか、迷惑とか少しでも思いましたか。正直に言ってください」 知は紗恵を振り返った。 紗恵は相変わらずシルバーを見つめている。 その瞳は心持ち険しく知には思う。 「正直・・・嬉しかったよ。嫌だとか迷惑とかは全然思わなかった」 「そうですか」 そう言って初めて紗恵は顔を上げてニッコリと笑った。 「なら私、好きでいるうちはあきらめないことにします」 「えっ」 知は一瞬、紗恵の言ったことの意味が分からなかった。 「というわけで、よろしくお願いします」 そんな知にはおかまいなしで、ぶんぶんと無理やり握手をすると、紗恵はさっさと仕事に戻ってしまっ た。 知は3回ほどぱちぱちとまばたきをする。 なんだかだんだん笑えて来る。 「おもしれぇ奴」 笑いを含んだ声でそう言うと、知も仕事に専念し始めた。 若い奴にはかなわないなと思いながらも、提示されたこのゲームのような 勝負のような恋愛に少し興じてみようという気持ちを抱きつつ。 ふいに2人きりのシフトと知った時の紗恵の笑顔が頭に浮かんだ。 「俺もヤキがまわったかな」 知はぼそりとつぶやく。 確かに自分はあの時、紗恵を可愛いと思っていた事に気付いたのだ。 けれど、知は結論を急ごうとは思わない。 楽しい恋愛ゲームは始まったばかりなのだから。 「さって仕事仕事」 知は頭に残っていた雑念を振り払うように言うと、自分もホールの方へ歩いていく。 こうしてゲームは始まった。 告白から始まった恋の行方は神のみぞ知る。 Fin |