四,
商店街はザワつき始め、人通りも増えた。
向かいの時計屋は,まだひっそりとしていて,中から時計の
秒針の音が聞こえ,針子の揺れる音がする。
余計に寂しさがつのっていった。
乾物屋の前を通ると、干物の並び替えをしていた奥さんが
アジの干物のはじをくれた。くわえて走っていると、こんなこと
が思い出された。井尾田氏がこまいに火を通しながら、話し
てくれたことである。
「子供の頃読んだ、お伽噺だがね。遠い昔、世界は、あの空
の上の国の人達の、箱庭だったって言うんだよ。空間は、手
の平に乗っかるぐらいに小さくて,可愛らしい箱庭だったんだ。
空の人々は、毎日それを眺めて,お互いの箱庭の比べっこを
していたんだとさ。」
彼は、一息ついて空を見上げた。秋の空に鰯雲が流れていく。
「でもある日、一人の子供が紅葉した山の箱庭を、空の下に
引っくり返してしまったんだ。小さなガラス箱から、開放された
山は大地に広がっていってね。赤や朱色や黄色が、冷たい
空気に溶けていって、その辺り一面だけが、色鮮やかに
染まっていったんだよ。」
それから先、空の住人は次々に自分の箱庭を引っくり返し
始めた。ガラス箱は割れ、その破片が星になり、やがて世界
が出来上がったのだそうである。
井尾田氏は話し終えると、自分でもきっと箱をわっただろう
と言った。
「ものの見方や,考え方と同じじゃないのかな。小さく閉じ込め
ているよりは、大きく幅広く考えたいと思わないかい?」
私からすれば、箱庭などはどうでも良かったが、井尾田氏の
こういった理念の講釈は、嫌いではなかった。
「視界を広く優しく保つことができたら、言葉が通じなくとも、
きっと様々な形で理解が成立するんじゃないかな?
多少の課程はいるだろうけど。」