都にて
天城<あまぎ>は、あれ以来、塞ぎこんでいた。何をするにも無気力で、あらぬ方向を向き、笑っているように、精神が、静かに病んでいた。
てしろは、天城のことが心配でならなかった。どういう事になろうと、自分だけは天城に付いて行こうと考えていた。
「誰だ?」
静かな部屋に、物音がし、てしろは振り返った。
「あ、ごめんなさい。少し、探検したくて」
物陰から現れたのは、少しだけ日に焼けた、少女だった。この少女にてしろは見覚えがあった。
「ここは天皇様の部屋ですから、静かにして、早くここから出て行ってください。ね?」
てしろのその言葉を聞くなり、その少女、日向<ひなた>は、今にも泣きそうな顔になっていた。
日向のその様子を見て、慌てたのはてしろだった。周りに、日向くらいの女の子もいないので、どういう対応をすればいいのか、分からず、てしろは混乱した。
「あ、ど、どうしたんだ、な、泣くのだけはやめてください」
自分でも、変なことを言っているとは思ったが、そんな言葉だけしか思いつかなかった。
「あの、この部屋、誰かいませんか?」
「はあ?」
おずおずとした様子で、うつむきがちに日向は、思いもよらぬことを言い出し、てしろは少々面食らっていた。
「あ、あのどういうことを……」
てしろの横をすり抜け、日向は天城の部屋に入り込んだ。止めようとしたてしろだったが、伸ばしかけた手を止めた。今まで、ほとんど何も見ようとしていなかった天城が、突然の訪問者のほうに目を向けていたからだ。
「お前は誰だ?」
てしろにとって、久しぶりに聞く天城の通る声が、抑揚のない声で響いた。
天城に呼ばれ、振り向いた日向は、笑いかけながら答えた。
「こんにちは。わたしは日向です。……あの、私を呼んだのはあなたですか?」
日向の目が真正面に向けられると、ほとんど座ったまま動かなかった天城がその場から離れ、日向に近づいた。
「そんな覚えはないな。どうしてここに来たんだ?君は」
凝視しながら、日向の様子を見つめている天城は、突然現れたこの少女に目を奪われていた。なぜか、この名前も知らない少女に惹かれていた。今まで感じたことのない好奇心が、天城の中で起こっていた。「この少女は一体?」そう考えながら、日向を見つめていた。
日向のくりくりとした丸い瞳に、天城の姿が映っていた。
「あなたじゃ、ないね。わたしを呼んだのは。この部屋に、他の人は……いないみたいですね」
部屋をしきりに見回し、日向は肩を落とした。
「奇妙なことを言うな。この部屋には、俺とてしろしかいないようだ。どうしてそんなことを言う?」
「……呼ばれたの、誰かに。ここから聞こえたような気がしたから。違うみたいですね、ここは。あの、お邪魔しました。天皇さん」
天城は、日向の『天皇さん』と言う言葉に、静かに動揺していた。この子にだけはそう呼ばれたくないと、なぜか思った。
出て行こうとする、細い日向の腕をつかんだ。天城は自分でも、どうしてこんなことしたのか、分からずにいた。
「俺は天皇じゃない、天城だ。お前の名前は?」
「日向って言います。それじゃあ天城さん、わたし、行きますね」
日向は、笑顔を浮かべ、天城のいる部屋を出ていった。
「あの子は、見たことがないな」
久しぶりに声をかけられ、てしろは、なぜか緊張してきた。
「ええ、日向は、七宝を探しに行った祓い師の妹で、掩乱様<えんらん>のお連れとして、今、預かっている人ですよ。話をしたのは今日が初めてですが」
「そうか」
気のない返事だったが、日向と出会う前よりも幾分か、いや、かなり気分が変わったらしい。
廊下をせわしなく走ってきた、歳の割には白髪の多い男が、申し訳なさそうに、中の様子を伺いながら声をかけてきた。
「あの、すみません。赤い櫛をした娘を見ませんでしたか?」
声をかけてきたのは掩欄で、どうやら日向を探しているらしい。走り回っていたのか、法衣が少し乱れていた。
「ああ、日向ですか。もうこの部屋にはいませんよ」
てしろの返答に、掩乱は軽く会釈をすると、また走り出していた。
「どうしたのだろうな」
「さあ、わかりません。何か御用がおありなのでしょう。日向に」
「変わった娘だな」
「はい……」
天城は静かになった廊下を見つめ、つまらなそうに息をつき、さっきまで座っていた椅子に座りなおしたが、精神が病んだままの状態ではないことがてしろの目で見ても分かった。
部屋に、やわらかな風が吹き込んでいた。
桔梗
二人と一匹は、異様な状況に置かれていた。
閂角<せんかく>は冷や汗が止まらず、伽羅<きゃら>の方はと言えば、直立
不動のまま、動こうとしない。銀狼など、腹を向け、横たわりながら泡を吹いてい
た。それは滅多にないような光景で、見ているものは、見て見ない振りをして、そ
の場からそそくさと離れていったことだろう。
「何で動けないんだ!」
「知らないわよ、そんなこと」
伽羅は、声を出すのも辛いらしく、一言言っただけで、息が上がっていた。
閂角も、体が動かないこの事態を作った男を見つめ、眉間に皺を刻みつづけて
いた。
「おお、怖い顔だな。しかし、そんな顔をしたって無駄さ。お前らは、このまま何も
出来ずに朽ち果てるんだからな」
男は、面白そうに笑いながら、閂角に近づき、黄金色の尾で、頬を軽く、触れる
くらいに叩いた。
「趣味が悪いな。それじゃあ、質の悪い役人のようだ」
体が、指一本動かない状況で、閂角は、男の尻尾につばを吐きかけた。
「黙れ!誰が愚かな人間など同じだと?やはり、お前の命は、今絶つ!」
見下している人間と同類にされたことで、男、桔梗は激昂した。
「出来るもんか。お前が動けば、この金縛りだって解けるんだろうからな」
図星だったらしく、桔梗は黙り込んだ。どうやら、桔梗は、その目で人を金縛りに
する力もあったらしい。九尾の狐の中でも、そんなことが出来るのは、多分、桔梗
くらいだろう。
「そうだね、確かにその通りさ。だが、七宝があることは知っているんだろう?」
桔梗の切り札は、やはり七宝だった。烏<からす>の時がそうだったが、七宝
を使われ、力が上がると、面倒なことになるのは解り切っていた。烏の件で、嫌と
いうほど解っていたからだ。
「だけど、こんなところに野晒しなんて、趣味が悪いわよ!……どうせならもっと、
美しく死にたい」
伽羅がそう呟くと、男の姿をしたままの桔梗が目だけで笑っていた。
「そうか?いい死に方だと思うぞ。生殺しさ。もし死ねば、烏がその肉を食ってくれ
るだろう。憎い祓い師の肉だ、肉の一かけも、いや、骨のひとつもないほど食われ
るだろうさ。野晒しではないだろう?」
薄ら笑いを浮かべ、桔梗は男の変化を説いた。元の九尾の狐の姿になると、桔
梗から感じる威圧感が増した。
「そ、そんな死に方だけはイヤーーーっっっ!!!」
「俺もいやだ」
桔梗の言う、二人の死に様予想は、想像するだけで鳥肌が立つほど気色が
悪かった。一人、生々しく想像できる閂角の表情は、実に冴えなかった。
「大きな顔をしていられるのも今のうちだ。もうすぐあの方もやって来られる。その
時が楽しみだよ。あたしも大手柄が立てられる」
目を細め、裂けたような口を、さらに裂けさせ、桔梗は言った。
「へえ。まだ生かしておくつもりなのか。烏を成敗したというのにな。あいつもj寛容
になったもんだな」
「うるさいね。お前など、あたしが手をだしゃ、いつでも殺せるんだよ。口の聞き方
に気を付けな」
「……なるほど、今にも殺したいらしいが、あいつに止められているようだな。自分
の楽しみを優先させる、嫌な奴だからな」
桔梗の体から、閂角を覆うような殺気が溢れ出ているのを感じ、閂角は、軽く、
口を滑らせた。
「ああ、もう、あの方って誰よ!いいかげん話しなさいよーっ!」
伽羅の言葉に、桔梗が振りかえった。
「お前なんぞに言うことじゃないね。教えてほしければ、こいつにでも聞きな。あたしよりもよーく知っているんじゃないか?」
「教えてくれないもの」
不満そうに頬を膨らませた伽羅の様子に、げんなりとした様子の閂角が口を開
いた。
「おしゃべりが過ぎないか?桔梗。俺も、今ので気づいたことがある」
金縛り状態のままというのに、やけに自身満万で、口元に笑みを浮かべたまま
の閂角の態度には、桔梗も閉口した。
「お前、七宝が使えないだろう?」
伽羅の表情が歪み、痙攣していた銀狼ですら、意識を閂角と桔梗に向けてい
たが、また意識をどこかに飛ばしていた。
「なに言ってるのよ、使えないわけないでしょ!どんな妖怪だって使えるものなん
だから」
伽羅のその言葉に、過剰に反応したのは、他ならぬ桔梗だった。ひどく動揺して
いるらしく、尻尾がぶるぶると震えていた。
「なぜそう思う?」
震えたままの桔梗の問いに、閂角は表情を崩さず答えた。
「お前が、手柄を立てたがる割には、七宝を運ぶのを烏に任せたからさ。七宝を
あいつのところに自分で持って行きたがるはずだろう?」
「そうだな、その通りさ。この忌々しい七宝は、あたしの手には収まらん。その手に
触れるだけでも嫌だね。まるで無防備に結界に突っ込むような衝撃が来る。あん
なもので力が増す奴らが信じられないね」
吐き捨てるように呟いた桔梗は、目を見開いた。
「七宝が、妖怪をパワーアップさせるなら、祓い師はどうだろうな」
「な、何をするつもりだ!」
その言葉を聞き終わらないうちに、閂角は金縛りを解呪を唱えた。本当はそれく
らいの芸当は出来るが、あえてしていなかったのだ。
もちろん桔梗を油断させるために。
「ほう、それでどうするつもりだ?」
桔梗は、閂角の周りの気の力が、増大していくのがわかっていた。「これが七宝
の力か」それを思うと舌打ちせずにはいられない。
「これで終わりだ」
「ぎゃあああああっっっ」
桔梗の絶叫とともに、伽羅と銀狼にかかっていた金縛りが解け、さっきまでいた
はずの桔梗の姿は、影も形もなかった。
「え、何をしたの?」
ようやく動けるようになった体を動かせる喜びに浸ることなく、伽羅が尋ねると、
閂角は、巻物を指差しながら答えた。
「破魔の言葉だよ。本来は追い払うことくらいにしか働かないんだけどな。ここま
での威力があるとは思わなかった。七宝の力が恐ろしいと、改めて思ったな」
使っている本人もびっくりの威力で、閂角も、いつもより興奮して見えた。
「じゃ、桔梗はどうなったの?」
「多分、消えた。と、思う。そうじゃなきゃ、俺にはわからない」
「そう」
擦り寄ってきた銀狼をなでながら、短く答えた。
程なくして、桔梗の隠していた七宝「銀」を、銀狼が探し出し、七宝の回収も何と
か終わった。
「次はどこに行くの?」
伽羅ののんきな言葉に、前のめりになりながら、閂角は
「そうだな、山も飽きたし、海にでも行くか?」
「賛成!」
そんな二人のやり取りを見つめながら、銀狼は歩き出した。
暖かな風が、森中を吹き抜け、生命力を感じる匂いが風に運ばれた。
残りの七宝 あと 五個!
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