この館に近づいてはいけませんよ。
 悪い魔物達が貴方を誘惑し、そして喰らってしまうでしょうから……。
 それなのに、貴方達は毎日喰われにやって来る―――館の妖気に誘われる様に……。
 
 ―――ああ、また御客様ですね……―――

    ********
  
 まだ昼だというのに薄暗い、森の奥深く―――数人の若者達が、その命を散らしにやって来た……。
「ちょっ……マジ怖いんだけどさぁ〜……」
 男の背に縋《すが》りながら怯える女、『和実《カズミ》』age:18。
「おっ……まえ、急にくっ付くなよ!あ〜ビビった……」
 和実に縋られながら怯えている男、『弘樹《ヒロキ》』age:19。
「いいじゃねぇかよ、弘樹さんは。俺なんか野郎だぜ?ヤ・ロ・ウ!」
 小柄ながらも男気のある少年、『飛馬《ヒュウマ》』age:16。
「そんな、飛馬君……だって怖いんだもん……」
 おずおずと飛馬の服の裾を掴んで放さない長身の男、『彰人《アキヒト》』age:20。
「あんた等ゴチャゴチャ煩いのよ!こんな調子じゃ何時まで経っても着かないわ!!」
 怖がる3人に渇《かつ》を入れる気丈な女、『美智子《ミチコ》』age:19。
 彼女が今回の旅行の企画担当兼実行委員長。コンセプトは『THE・ホラー』―――つまりは肝試し旅行。日本全国津々浦々、
 有名なホラースポットを巡るという企画自体は単純な物なのだが……メンバーがメンバーなだけに、道中は苦労が絶えなか
 った。和実・弘樹・彰人は自他共に認める―――いや、認めているのは彰人だけだが―――怖がりなのだ。特に彰人は最年
 長でありながら弟の飛馬に泣きつき無理矢理同行させた程の折り紙付き。そんな連中を怖がらせるのが彼女『恐怖のプレゼ
 ンテーター』こと美智子の楽しみでもあるのだが。
「これぞ最高にして本物もホンモノのホラースポット!! ここを訪れて還って来た人は居ないと言う正に理想的な恐怖体験が
 出来る場所なのよ!? 早く行かないと夕陽に映える洋館が見れないじゃない!」
 勢いよく振り返った美智子の眼に……後を向いて駆け出そうとする男女と、弟に縋り付いて腰を抜かした独活《うど》の大
 木と、それを振り払おうとしている少年が映る。
「コラッ、そこ!! 逃げんな!! 飛馬クン、お願いっ!」
「オッケ♪」
 美智子の命令に『何を』『どうする』と言う単語は含まれてはいなかったが、飛馬はサッと実兄を振り払うと猛ダッシュを
 かけ目標を捉えた―――いや、捕らえた。
「ダメですよぅ逃げちゃ!」
 2人の間に割り込み腕を取って、飛馬は人懐っこい笑みを浮かべ上目遣いで和実と弘樹を見遣る。
「飛馬クンっ、見逃してっ!!」
「頼むから逃げさせろ!」
 往生際の悪い2人はギャーギャー喚《わめ》きながら足掻《あが》くが、飛馬はその身体に似合わない力で自分より遥かに
 体格の良い2人を押さえつけている―――物凄く笑顔で。
「アリガトー♪飛馬クン、ナイス!本当に彰人の弟だなんて信じられないわ」
 未だに地面にへたり込んでいる彰人に冷たい視線を投げかけ、飛馬から和実と弘樹を『受け取る』。
「この私から逃げられるとでも思ってるの?ん?」
 ある種「怖い笑み」を浮かべている美智子に怯えながらも、2人は必死に訴えかける。
「だっ……て!! 『還って来た人は居ない』ってマジでヤバイじゃん!」
「そうだよ!! 本当に還れなくなったらどうすんだよ!?」
「なぁに言ってんのよ?」
 心底呆れたという顔をして、
「私がそんなヘマするとでも思う?あんた達はともかく私は生き残れる自信あるわ」
「「『ともかく』って何!?」」
 息をピッタリと合わせて強烈にツッコむ。しかし3人は未だ気付いていなかった……涙をぽろぽろと零す彰人と、それを何
 とか泣き止ませようとしている飛馬の存在に……。
 一同がくだらない事で言い争っていると―――
     ポツ……
「……え?」
「あ……め?」
     ポツ、ポツ……
「嘘……降ってきちゃった……」
     ザアァァァ……
「サイアクじゃないっ!! もぉっ、傘カサっ!」
 美智子が半分キレながらリュックから折り畳み傘を出そうとした、その時。
     ―――ピカッ……
「うわあぁぁっ!!」
「ぅわっ!馬鹿兄貴、くっ付くな!」
 彰人が悲鳴を上げながら飛馬に取り縋る。
     ゴロゴロッ!ピシャッ!!
「キャアァァァッ!!」
「もおぉっ!何なのよぉ!!」
「とにかくどっかの木の下へ……!」
 弘樹の一言で取り敢えず5人は近くの大木の根元に集まった。頭上には黒雲がたちこめ、時折その間を稲光が走りぬける。
 雨も勢いを増し、木の葉を叩く音が耳についた。
「もう……雨は降るわ日は暮れるわ……元はと言えばあんた達のせいだからね!」
「ヒドイよ美智子さん!俺は問題起こしてないしちゃんと協力したのに……」
「あっ、嘘ウソ!飛馬クンは別よ、勿論」
「何よ美智子ったら!まるで私達が悪いみたいじゃない!」
「そうだよ!俺達は只自分の身の安全の確保をだなぁ……って、雷の時に木の根元に居るのは危ないって誰かがっ」
「えぇい、煩い!!ゴチャゴチャ言わない!全く……こう暗くなって雨まで降ってきちゃ動けないわ」
「―――ぃ……」
「何だよ!? 言いたい事があるんならハッキリ言えよ!!」
「こ……怖いぃ……」
「だああっ!くっ付くなっつっただろぉぉ!?」
「はあぁ……弟に縋り付いて恥ずかしいとは思わないの?」
「だって―――飛馬君はしっかりしてるし……」
「テメェがしっかりしろよ、役立たず兄貴っ!!」
「お困りですか」
「ええ!何処からどう見ても困ってる……」
 ふと、美智子は口を噤《つぐ》んだ。
 ―――今のは、誰?
「「ぎぃやあぁぁぁぁっ!?」」
 例の2部合唱が辺りに響き渡り、彰人は失神した……。

    *******

「有難う御座います♪まさかあの館の人だったとは」
 上機嫌な美智子。その後にはビクビクしている和実と弘樹、気絶した彰人を支えている飛馬がいる。
「いえ、偶々《たまたま》通りがかっただけですから。でも良かったですよ。あと少し私が早ければ、最低1週間は誰も通ら
 なかったでしょうから」
 苦笑しながら車を運転している男―――確か『沢原』と名乗った―――は、例の『還って来た人は居ない』という館の執事
 をしているらしい。本人は30過ぎだと言っていたが、年齢を感じさせないなかなかの美形顔である……短くした黒髪にキラ
 リと光る黒い瞳、黒のスーツを着こなした色白で長身細身の男だ。
「もう時間も時間ですから、今夜は当館に御泊まり下さい。御嬢様には私の方から話しておきますので……」
「御嬢様……?」
 美智子が左隣の沢原を見詰めながら首を傾げる―――つまり、この車は外国車なのだ。
「ええ、『綾華《アヤカ》』様と申します。私が御世話をさせて頂いている方です。……ですが何分、御屋敷から御出になら
 れないものですから御友人も少なくて……。出来れば御嬢様と御友人になって下さると、私としても嬉しいのですが……」
「勿論ですよ!ねぇ?」
 と、後の面々に話を振る。
「はい!俺も御嬢様に逢ってみたいですよ」
 逸《いち》早く反応したのはやはり飛馬。遅れて、
「そっ、そうですね。あ、逢ってみたいかも……」
「うっ、うんうん」
 幾分……いや、かなり不自然なのは言わずもがな和実と弘樹。彰人は―――未だ気絶したままであった。
「有難う御座います。……あ、あれが当館で御座います」
 目線で示された先には―――まだ距離があると言うのに、私立大学くらいの敷地面積はあろうかという程の巨大な洋館が聳
 《そび》え立っていた。夕闇に飲み込まれる事無くその存在を誇示しているそれは……恐ろしくもあり、また美しくも感じ
 られた。
「ひょえぇ〜、デッカぁ〜」
「うん、ホント大きいね」
 反応を示したのは飛馬・彰人兄弟―――いつの間に復活したのやら、彰人は目を見開いて感嘆の声を洩らしている。兄弟を
 逆に感じるというのがここの特徴か。
 とにもかくにも、一行は館の敷地内へと入り込んで行った……。


「沢原様、お帰りなさいませ」「お帰りなさいませ」
 顔のそっくりな美人姉妹―――恐らくは双子だろう―――が一同を迎える。
「ああ、『結花《ユカ》』君、『結美《ユミ》』君。この方々が森に迷われていたので、今夜はここに泊まって頂く事になっ
 たから。御部屋の方の準備を頼むよ」
「かしこまりました」「かしこまりました」
 同じタイミングで返答するので、どちらがどちらなのか全くもって判別出来ない。
「そうだ、結花君」
「はい」
 2人の内髪の長い―――背中までは伸びているだろうか―――長身の方が答える。
「皆様に館を案内して差し上げなさい……私は御嬢様に御報告申し上げなくてはならないから」
「はい、かしこまりました。―――それでは皆様、どうぞこちらへ……」
 見事な黒髪をなびかせ身を翻《ひるがえ》す姿は、女性陣から見ても美しく……男性陣に至っては―――と言っても彰人を
 除いて、だが―――見惚れて固まっている。
「飛馬君、どうしたの?早く行こうよ」
 彰人が飛馬の服の裾を引っ張り急かす。―――彰人、ナイス!―――美智子は心の中で叫んだ……この時程彰人を偉いと思
 った事は無い。
「御部屋は西棟の2階になります」
 こちらの状況など意に介さない様子で結花が先に立って連絡路を渡って行く。……そういえば、彼女はまだ一度も感情らし
 いものを見せていない様な……?和実と美智子は多少の不安を覚えつつ、彼女の後について行った。
「わぁ……っ」
 広い廊下には真っ赤な絨毯《じゅうたん》が敷かれ、左側には無数の窓が、右側の壁には無数の扉が整然と並んでいる。
「どこでも御好きな部屋を御使い下さい。御食事の時間になりましたら結美と御呼びしに参りますので」
 失礼します、と言い置いて結花は引き下がる。案外部屋割りはすんなりと決まった。本館への連絡路に近い順に和実、弘樹、
 美智子、そして飛馬・彰人。結局泣きついてきた彰人に圧《お》されて飛馬は相部屋にさせられたのだった。
「じゃあ取り敢えず一旦部屋で休んで……」
「探検しましょうよ!」
「「「「っええっ!?」」」」
 いきなりの飛馬の発言に全員が驚きの声を上げる。
「嫌だよ!飛馬君やめよう?怖いよぉ……」
 泣きじゃくるのではないかと思われる程に焦り懇願する彰人。和実と弘樹も同じ気持ちなのだろう……顔にありありと出て
 いる。美智子はと言うと、
「うーん、それも楽しそうだけど一応私達は突然やって来た云わば『余所者《よそもの》』なんだから、あまり勝手に出歩か
 ない方が良いと思うのよねー」
「そう、ですよねー……」
 もっともな事を言われしょげる飛馬。―――だが、
「……でも、見付かっても『トイレどこだか分かんなくてー』って言えば済む訳だし?しましょっか♪」
 悪戯《いたずら》っ子の笑みを浮かべて美智子がウインクする。
「ホントですかぁ!? やったぁ!!」
 ガッツポーズをとる飛馬とは逆に、
「「「ぅええぇぇぇ〜!?」」」
 かなり不満そうな3人……。
「あら、別について来なくたって良いのよ?じゃ、彰人、飛馬君借りてくわね」
「だっ、駄目だよぅ!! 飛馬君は僕と一緒なんだから!」
 既に踵《きびす》を返し歩き出そうとしていた飛馬に思いっきりしがみ付く……どうやら未知の物に対する恐怖よりも、弟
 を盗られるのではないかという危機感の方が勝《まさ》った様である。
「だぁっ!もぉ馬鹿兄貴!! ガキみたいな事すんなって!」
「飛馬君は僕と一緒に行ってくれるよね?ね?」
「行く行く行きますっ!! だからくっ付くな!!」
 ボカボカ殴られながらも、一緒に行ける事の方が嬉しいのか笑顔の彰人。ムクれながらも、それ程嫌では無い様で彰人の隣
 に立っている飛馬。
「……あんた達ってホントにブラコン兄弟よね〜」
 しみじみと美智子が呟く……それは恐らくその場に居る全員の意見だったろう。
「え……そうなの?」
「なっ!? コイツはともかく俺は違いますって!!」
「本人達の自覚が無いってのが致命傷だわ」
 後は何も言わせず、美智子はさっさと先を行ってしまう。その後を飛馬が……飛馬の後を彰人が慌てて追い、3人は通路の奥
 へと姿を消した……。
「―――」
 嫌な沈黙が和実と弘樹を包む……。
「……部屋に閉じ篭《こ》もってれば大丈夫よね!」
「そっ、そうだよな!じゃ……」
 当たり前だとでも言うように和実の部屋に入ろうとする。
「ち、ちょっと!! 異性と2人っきりになる程無防備じゃないわよ、私は!」
「だ、だって1人は危ないじゃないか!」
「私は1人で耐えるんだからあんたもその位しなさいよ!男でしょ!?」
     バタムッ!!
 思いっきり鼻先で扉を閉められた……。
「だってさぁ……怖いモンは怖いんだよ……」
 1人でブツブツと言いながら渋々自分の部屋へ向かう……だが。
「……?」
 フと『何か』の気配を感じて振り返る―――しかし、そこには薄暗がりが広がるだけでこれと言って異常は見受けられない。
 気のせいだろうか?……きっとそうだ。そう思う事にして前を向いた弘樹の眼に―――。
 
   ―――1人目―――
 
    ********

 灯りは点いているのだが辺りは薄暗く、分厚い絨毯によって足音は掻き消されるので案外易々と館内を探索出来る。
「外から見た時に分かってたけど……やっぱ広いわね〜」
「迷いそう……ちゃんとあそこに戻れんのかなぁ……」
「僕、覚えてるから大丈夫だよ」
「「え!?」」
 意外な所で意外な人物が意外な能力を持っている事が明らかになり、美智子と飛馬は大いに驚く。しかし本人は全く分かっ
 ていないらしく、
「シ〜ッ、大きな声出したら見付かっちゃうよぉっ」
 と1人焦っている。しかしそれも一理あるので2人は慌てて口元を押さえた。……幸い、誰にも勘付かれてはいない様だ。
「……ふぅ、どうやら大丈夫の様ね」
「っあー、ビビったぁ……」
「気を付けてよね」
「何に?」
 少女の、声。
「「「!?」」」
 弾かれた様に振り返った3人の眼に―――15歳程の少女の姿が映る。足音が聞こえないからだろうか……全く気配を感じ無か
 った。少女ははにかんだ様な笑みを浮かべると、
「何に気を付けるの?……あ、もしかしてアタシに?」
 クスクス、と声を上げて笑う姿は可愛らしい。白いフリルの付いたワンピースからは服に負けない位に白い肌が覗いている。
「えっ……もしかして、貴女が綾華様?」
「もぅ、様だなんて付けないで。綾華でいいよ、『美智子御姉様《おねーサマ》』♪」
 悪戯っ子の様な顔で美智子を見上げる。
「な、何で私の名前っ……!?」
「だって<サワ>に聞いたんだもん♪ちっちゃいのが飛馬クンで、おっきいのがその御兄さんの彰人さん♪でしょ?」
 心底楽しいといった様子で飛馬と彰人の方へ視線を向ける。飛馬は『ちっちゃい』と言われるのが嫌な筈なのだが、綾華の
 笑顔に見惚れていて反応は無い。彰人はと言えばこちらも笑顔で、
「そうだよ。宜しくね」
 などと悠長《ゆうちょう》に挨拶《あいさつ》している。美智子は取り敢えず自分の名前を知っていた事に関しては納得し
 た……だが。
「ねぇ、綾華ちゃん……<サワ>って、沢原さんの事?」
「そうよ」
 あっさりと肯定の答えを返される……美智子は苦笑した、辛うじて。あの沢原が―――落ち着いていて冷静で、クールな印
 象 の彼が―――<サワ>と呼ばれているのだ、この少女に……しかも可愛く。苦笑で収まったのは奇跡に近いか。
「ねぇねぇ、何してたの?探検?」
「そ、そう!だってすんごく広いじゃんこの館ってさ。あ、綾華さんの御父さんってスゴイんだねぇ!」
 飛馬が赤面しながら素直な感想を述べる―――が。
「ううん、パパは居ないの……パパが死んでからは<サワ>がパパ代わりなの。―――それにこの館はアタシのなのよ」
「あっ、ゴメ……って、「ええぇぇぇっ!?」」
 所構わずに大声で叫ぶ2人―――この少女がこんな巨大な館の主!? 息を全て肺から吐き出しても尚口をパクパクさせている
 2人に対し、彰人は多少驚いた表情を見せたものの、
「そうなんだぁ、すごいねぇ〜」
 と普通に賛辞を述べる。
「えっ、えっ!? じゃあ綾華さん達しか居ないの、この館には」
「ええ。アタシと<サワ>と結花ちゃんと結美ちゃんだけよ」
 という事は、とんでもなく広い館にたったの9人しか居ないのだ、今ここには。後は……闇と静けさがあるのみ。流石の美智
 子も思わず身震いする―――では、普段ここにはたったの4人しか居ないという事に……。
「ね、飛馬クン!イイモノ見せてあげる♪」
「えっ・・・・・・」
 こっちこっち!と腕を引っ張る綾華に引き摺《ず》られる様にズルズルと飛馬が遠ざかって行く。
「っ飛馬君……」
 彰人が呼び止めようとするが、子供相手に無理矢理引き止めるのも大人気無いと一瞬躊躇《ためら》う……それが判断ミス
 だった。既に飛馬は連れ去られてしまっていたのだ。
「……飛馬君……」
「いいの?御嬢様に飛馬クン盗られちゃったわよ?」
 目に見えて落ち込んだ彰人を面白そうに見遣る。
「……うん。飛馬君はちゃんと帰って来てくれるから……」
 そう言った彰人の瞳は、しかし言葉とは裏腹に不安で揺れていた―――。
 
 
 和実は1人、ベッドに潜り込んで震えていた。
「んも〜……何も出て来ないでよぉ〜!? っとに―――弘樹、入れとけば良かったかな〜……」
 怖さを紛らわす為にはそれが最良だろう……だが、そう易々と男を入れる程愚かしい女では無いつもりだ。美智子も出て行
 っている今―――耐えるしかない。
「怖くない〜怖くない〜……」
 自己暗示の域である。シーツを頭から引っ被《かぶ》りブツブツと呪文の様にして唱え続ける……と、
     ガタッ
「!?」
 必要以上にビクリとして息を呑む。―――身動きもせずに固まる事数分間……漸《ようや》く音源が部屋の外からだと分か
 ると、安心から溜息《ためいき》が洩れる。
「はぁ〜……もぉビックリさせないで……」
「和実様」
「っぅ!!」
 突然声を掛けられて再び硬直する……扉の向こう側からの、声―――聞き覚えのある。
「あ……結花、さん?」
「結美です。御食事の用意が整いましたので御呼びしに上がりました」
「あ、結美さん!? スミマセン、直ぐ行きます〜!」
 ほっとしてベッドから素早く抜け出すとドアへと駆け寄り、勢い良く開け放つ。その先に―――無表情で栗色ショートヘア
 の女性が立っていた……。
 
   ―――2人目―――

    ********

「遅いですねぇ、和実さんと弘樹さん……」
 漸くお腹も満足してくると、ふとこの場に居ない2人の事を思い出した。
「きっと怖過ぎて出て来れないんでしょ?我慢出来なくなれば来るわよ」
 飛馬の発言にさほど取り合わず、美智子はフォークを口へと運ぶ。
「……う〜ん、オイシイ♪結花さんと結美さんが作ったんですか?」
 本人達の方へ向きながらそう言うと、栗色の髪を整えているショートヘアの女性―――結美が答えた。
「いいえ。これらは全て沢原さんが御作りになっています」
 平然とした表情で事実を告げただけ、といった所か。……だが、
「っええ!? 沢原さんがぁ!?」
 驚いて脇に控えていた沢原へと視線を移す。そこには苦笑した、僅《わず》かに頬を染めた沢原が居た。
「いえ……何せ独学なものですから……御気に召しましたでしょうか」
「ええ!とっても美味しいです!! ね?」
「うん!うちの母さんよりも上手いよ」
「有難う御座います」
 はにかんで笑う沢原は、本当に実年齢よりも若く……いや、幼くさえ見える。しかし、次の瞬間にはまた普段のクールな無
 表情に戻ってしまった。その原因は、
「綾華様」
「どう?美味しいでしょ、<サワ>の料理♪」
 食堂へと入って来た綾香は皆に向かい、ふっと微笑む。
「<サワ>はね、味だけじゃなくて栄養面にも気を遣ってるのよ」
 そこで表情を一変させ、淀《よど》んだ瞳で口の端を引き上げ、
「例えば鉄分なら血、とかね♪」
 一同の手がピタリと止まる。沢原は少々困った顔をした。
「綾華様、御戯れを……。私はそんな趣味の悪いことは致しません」
「あら、冗談よ。皆、本気にしちゃったの?」
 クスクスと笑う少女の顔は、いつもの可愛らしいものに戻っていた。
「じょ……冗談なら早く言ってよね!うっかり気を失いそうになっちゃったよぉ」
 彰人は涙目で胸を撫で下ろした。
「俺なんかうっかり吹きそうだったじゃないか!」
 飛馬は口元を押さえていた。
「あんた達って……」
 美智子は呆れていたが、顔面蒼白ではあった。
「ま、私は分かってたけど。・・・・・・でもホント、和実と弘樹は遅すぎだわ。呼びに行こうかしら」
 美智子が立ち上がろうとすると、栗色ショートヘアの結美がスッと一歩前に出た。
「和実様は気分が優れないので外の風に当たってくると言っておられました」
「あら、そうなの?そう言えば気分悪そうだったもんね。・・・・・・じゃあ、弘樹の方は?」
「存じ上げません」
 美智子はそう、と軽く返事をするとフと彰人の皿へと目を遣る。
「ああっ!アンタなに人参残してんのよ!沢原さんに失礼でしょ!?」
「だっ、だって嫌いなんだもん・・・・・・」
「そんくらい目ぇ瞑《つむ》って食え!」
「ええーっ!? 嫌だよぉぉっ」
「いえ、御嫌いなら残して下さっても構いませんので・・・・・・」
 沢原の申し出に表情を明るくする彰人……しかし。
「ダメですよ沢原さん、甘やかしちゃ!」
 すかさず美智子が渇を入れる。そして無理矢理に彰人の口元に人参を押しやり食べさせようとする。
「むぐむぐぅ〜っ」
「しっっかりと噛みなさい」
 恐ろしい形相《ぎょうそう》で睨《にら》み据えられて、えぐえぐ言いながらも何とか忌《いま》まわしいものを飲み下す
 事に成功した。
「宜しい」
 満足気《まんぞくげ》に微笑む美智子から逃げる様に彰人は飛馬の後ろに隠れると、こっそりと顔を覗かせて、
「美智子……酷い」
 彰人らしい本人なりに精一杯の抵抗に、周囲から笑いが起こる。非難された筈の美智子も、縋られている飛馬も……沢原達
 も。―――珍しく、口を押さえて笑っている結花と結美の視線が、意味ありげに絡まった……。


 結局、和実と弘樹は最後まで来ず、食事を終えた3人は部屋へと戻って行った。
「和実さんも弘樹さんも、腹減らねーのかなぁ」
「そうだよねぇ。だっておやつの時間から何も―――あれ?」
 不意に彰人が声を上げた。
「ん?どした?」
「飛馬君、あそこって……和実と弘樹の部屋だよね?」
「ええ?」
 指で示されたそこは、確かに和実達の部屋で……何故かドアは開け放たれていた。やはり心配だったのか、彰人が珍しく自
 分から部屋を覗きに行き……
「うわあぁっ!飛馬君!!」
 物凄い勢いで方向転換をすると、一目散に飛馬に飛びついた。
「どわーっ!! いちいち飛びついてくるなよ、臆病兄貴!! 一体どうしたんだ!?」
 彰人は個室のドアの方を震えながら指差していた。
「和実と弘樹が部屋にも居ないよー!妖怪に浚《さら》われたんだあ!!」
「何でそうなる!?」
 飛馬は自分の兄に激しい突っ込みを入れると、つい反射的に美智子を探してしまった。また何か言われそうで―――しかし。
「あれ、いない……」
 美智子はいつの間にか姿を消していた。
「兄貴、どうやら美智子さんも妖怪に浚われたらしいぜぇ?」
 飛馬は面白半分で彰人をおちょくる……その筈だった。
「そんなわけないよ。美智子は単独で探検しにいったに決まってるじゃない」
 全く怖がる様子もなく返事をしてくる兄に、飛馬は呆れたように頭を掻いた。
「その考え方の差は何なんだ?まあ、わからんでもないが……」
 本人が聞いたらただでは済まないであろう会話をしながら、2人は呑気に構えていた―――紅き誘いへの秒読みを、感じ取る
 事も無く―――。


「うーん、やっぱ広いわねぇ……黙って1人で来たのはまずかったかな?」
 美智子は自分の足音しか聞こえない薄暗い屋敷内を、あても無く歩き回っていた。もしかしたら和実と弘樹が食堂へ来るま
 でに迷ってしまったのではないかと思ったのだ。美智子は知らなかった―――結美が和実を迎えに行った事を。
「やばい、私が迷うかも……。あの2人連れ回しときゃ良かったかなぁ」
「案内しましょうか?」
 泣き言を呟く美智子の背後から、淡泊な少女の声が聞こえた。
「あ、綾華ちゃん!」
 美智子が驚きながら振り向くと―――全く人の気配を感じなかったからだ―――白いフリルをひらひらさせた綾華が居た。
 彼女は静かに笑ってこちらを見上げている。
「美智子御姉様♪どうしたの?」
「え、ううん……。和実も弘樹も居ないから何処行ったのかなって……」
 それを聞き、一瞬綾華の目が怪しく光る―――美智子は気付かなかったが。
「アタシ、見たわ。2人共ね」
「えっ!ホント!?」
 美智子は素直に喜びの声を上げた。
「連れてってあげましょうか?」
 綾華は少女らしい無垢《むく》な笑顔を見せた。美智子は深く頷く。
「うんうん、是非お願いするわ」
「じゃ、こっちよ……」
 綾華と美智子が暫く歩くと、下へ続く階段に行き着いた。
「綾華ちゃん、2人ともここに居るの?」
「ええ、そうよ」
 綾華はあっさり返答した。美智子は階段の先を恐る恐る覗き込む―――底知れぬ闇が支配する、空間を。
「ここは1階だから……この先は地下室?やけに暗いじゃないの。本当に和実と弘樹はこの先に居るの?」
「行ったら判るわ」
 綾華に急かされ、美智子が先に立って暗い階段を下りて行く。階段の先は蝋燭《ろうそく》の光で少し明るくなっていて―
 ――辛うじて中の様子が窺える。……異様な匂いが、小さな部屋中に充満していた。
「な、何よここ……」
 美智子は恐怖に身震いし綾華に向き直る。
「何なのここは!? 貴方達は一体……」
「何って、見たら判りそうなものじゃない?そう、ここは処・刑・場♪」
 美智子が見てしまったモノ……それは、床に撒き散らされた―――どす黒く変色してしまったものから、鮮やかな朱まで―
 ――おびただしい、血液。明らかに複数の人間から―――それは辺りに転がっているモノ達から想像がついた―――流れた
 であろう血で作られた、惨劇の跡……。
「御友達のところに連れてってあげる♪」
 綾華は例の可愛らしい笑顔を崩さずに、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「あなたには特別に好きな方法を選ばせて差し上げますわ。何でも良くってよ?ギロチンがいいかしら?絞首、水責め……そ
 れともナイフが御好みかしら?ああ!あと火炙《ひあぶ》りってのもありますけど……アタシって最近心臓を集めるのが趣
 味なのよね、人間の生き血は御肌に良いって言うし。だから火炙りはあまり御勧めしないわ」
「い、嫌……いやああぁぁあぁっ!!」
 美智子は我を忘れて形振り構わず階段を駆け上がろうとした……瞬間。
「結花ちゃん!結美ちゃん!」
 突如として現れた双子は機械的に動き、美智子の両腕を捕まえて完全に動きを封じた。いくら動揺していたとはいえ、美智
 子は自分の直ぐ傍に居た双子の気配までも感じることが出来なかったのだ。
「ねえ、貴女達が悪いのよ。アタシ達の領域を侵すから……。大人しく和実さんと弘樹君みたくアタシのコレクションになっ
 てよ♪……あら、そろそろ飛馬君の方も仕事をしてくれる時間かしら?うふふ……」
 美智子の悲鳴は、虚しくも地上に届くことは無かった―――。

   ―――3人目―――

    ********

「ひ、飛馬君!やっぱり美智子も妖怪に浚われちゃったんだぁぁっ!!うわあぁん!!」
 彰人は相変わらず、弱気な発言を繰り返していた。
「コイツ本当に俺の兄貴かよ!?っていうか真っ先に美智子さんは探検しに行った、って言ったのは兄貴の方だろ!!」
 兄に悪態をつきながらも、飛馬もここまで来ると神経が衰弱してきていた……皆が居ない不安と、恐怖で。皆の個室の前に
 2人で話し始めて、かれこれ40分は経っている。とは言っても、話題の進展は全く見られなかったが。
「おやおや、御2人共。仲がよろしいですね」
 気が付けば目の前に沢原が居た―――今しがた現れたとでもいう様に物音1つさせず、気配すら無く。ここの住人達は気配を
 消して行動する事が常なのか?2人は同時にそんなことを思った。
「ああ、そうだ。飛馬君……貴方にプレゼントしたい物があるんですよ。どうぞ」
 沢原は小さな紙袋を飛馬に手渡した。大きさにしては重みのある物に疑問を抱きつつも、飛馬は直ぐに中身を取り出して……
 そして驚愕した。黒光りする、ずっしりと重いモノ……
「銃……!?」
「その通りです。御気に召しましたでしょうか?」
 沢原はにっこり微笑んだ―――しかし、その瞳は笑ってなどいない。
「えっ……と、そりゃカッコイイですけど、使ったこと無いし……第一使いもしないし。それにこれじゃあ、銃刀法違反……」
「心配する必要はありませんよ」
 笑顔を崩さずに沢原は飛馬へと歩み寄る―――そして。
「君は既に私達の仲間ですから」
 飛馬の耳元で、呪文の様に囁かれる、言葉。飛馬の瞳は突如として虚ろになり、ゆっくりと彰人へと向き直った。
「ひ、飛馬君……?」
 彰人は恐る恐る飛馬の顔を見詰める……が、そこには最早いつもの飛馬はどこにも見られない。沢原は再び話し始めた。
「私はね、楽しみなんです。貴方達の様な仲の良い兄弟がどのように壊れるのか……。さあ、貴方達で最後なんですよ。です
 が、飛馬君に限っては綾華様が御気に召されたのでね……我々の新しい仲間となって頂きますよ。そう、かつての結花君・
 結美君と同じ様に、ね……」
 不気味な笑みを浮かべた後、沢原はその場を少し離れた。安全な所で一部始終を見届けるつもりらしい。
「ああ、そうそう。言い忘れていましたが、綾華様は最近心臓を集めるのを趣味とされておられるらしく……私としてはもう
 少し女の子らしい趣味を持って頂きたいとも思うのですが、あの方は1度言ったら聞きませんからね……飛馬君、どうか心臓
 は狙わないで頂きたい。……それに、頭を狙った方が確実に殺せるというものですよ」
 長く細い指で己の頭を指し示して見せる。飛馬は沢原を一瞥すると、力の入っていない冷たい表情で、ゆっくりと銃を構え
 た。彼の瞳に映っているのは、兄ではない。沢原達の仲間としての最初の仕事を果たす為の、標的でしかない。
「う……嘘だよね?飛馬君、じょ、冗談だって言ってよ。ねえ……」
 瞳に涙を一杯に湛えて、引き攣った笑顔で飛馬の方へと一歩踏み出す……
     ―――ガウンッ!!
 静かな屋敷の中では、銃声がよく響いた。狙いは見事なことに……彰人の脳天に寸分の狂いも無く風穴を開けていた。硝煙
 の匂いと血の匂いが入り混じった、既に生命反応を無くした肉塊の転がる音が支配する空間に……その空気を破る、音。ゆ
 っくりとした、沢原の拍手……。
「見事です。なかなかいい筋をしておられる」
 そう言いながら沢原は、飛馬の方へ近寄る。よくよく見てみると飛馬は段々息が荒くなり、大量の汗を流していた。不思議
 に思い肩に手をかけようとした瞬間、突然飛馬がそのまま銃を自分の喉元に突きつけた。沢原は素早く状況を察知し、銃を
 払い除ける。
「……どうやら綾華様の洗脳が甘かった様ですね。まあ結果オーライで良しとしましょうか……さあ、来るのです飛馬君。完
 全に私達の仲間になる為に……」
 沢原に腕を引かれる飛馬の頬に、一筋の涙が伝い落ちた……。

   ―――4人目―――

   ―――そして―――

    ********

 この館に近づいてはいけませんよ。
 悪い魔物達が貴方を誘惑し、そして喰らってしまうでしょうから……。
 それなのに、貴方達は毎日喰われにやって来る―――館の妖気に誘われる様に……。
 
 ―――ああ、また御客様ですね……―――

    **********

「いやー、まさか貴方がこの館の人だったとは」
 4人の男女の内、1人が言った。
「けど本当に綺麗な所ねえ。で、綾華御嬢さんは何処かしら?」
 別の1人が周りを見渡して言った。キョロキョロと目当ての人物を探す。
「綾華様は今、お休みになられています。どうやら遊び疲れてしまわれたようでして……。では、まずこの館の住人の紹介か
 らさせて頂きましょうか。申し遅れましたが私は沢原という者です。そして……」
 沢原はある方向を見やる。
「結花で御座います」「結美で御座います」
 双子は丁寧に一礼する。
「へえ、双子かあ。美人だなあ」
「ちょっと!」
「あはは、お前正直過ぎ」
「あ、その子誰?ちょっと可愛くない!?」
 4人の間で会話が飛ぶ。そして残りの1人が一礼した。
「飛馬と申します。僕は新人でして、ここの生活にまだ慣れていないので至らぬ点も多々あるかと思いますが、その御無礼を
 御許し下さい」
「あー、気にしない、気にしない」
「そうそう、コイツより無礼なヤツいないから」
「何ですって!?」
「ほら、あんたはまたそうやって……」
 再び4人の間で気楽な会話が弾む。……少なくとも今の内は。
「御部屋は西棟の2階になります。案内致しましょう」
 そう言って飛馬は静かに歩き出した……今日の犠牲者を引き連れて―――。


 ―The End …… or it continues ?―