雪の精霊
第二部
十数分後、二人はテーブルをはさんで向かい合って座っていた。
テーブルの上には、イープの母親が作ってくれていた豆スープ、
パンと、アマナツの手土産の焼きリンゴ。食欲をそそる匂いは
ストーブで温めているソーセージだ。そして、温めたミルクを入れた平皿
を前に、テーブルの上に座るノンナ。
「結局のところ、こいつは話す事ができる訳かい?俺たちと同じように?」
アマナツは、食べるよりもまず先に質問した。イープはうなずいて答えた。
「こいつ、だなんて失礼だわ」ノンナは鼻をツンとして言い、自ら
話せることを証明した。
アマナツは目を丸くして、ウーンと唸った。
「この人間は?」ノンナは不信そうにアマナツを横目で眺めた。
「彼はアマナツ・ミカン。」
「イープの親友さ」と自己紹介する。
ノンナは、へぇ、という感じで二人を見比べた。
「俺は、イープは猫が嫌いだと思っていたよ」
アマナツは、ようやくスプーンを手に取った。
「嫌いだよ」イープは苦笑交じりで即答した。心なしか
皿やスプーンの位置が、テーブルの上のノンナを遠巻きにしている。
「あら、それは知らなかったわ」
この猫自身は、まったく気にしていない口調でイープを見る。
「私、飼われていたけど・・・」
「ほら、好きじゃなかったら、猫なんて飼わないぜ」
ノンナが話すという事実よりも、アマナツはイープの猫嫌いを
不思議に思い始めた。
「原因は、ノンナだよ」イープは横目で彼女をにらむ。
猫とは無関心というより、無頓着だ。ノンナはイープににらまれても
平気な様子だった。
「何かされたのか?引っ掻かれたとか?」
「そんなんじゃないっ」イープはムスッとした。「引っ掻かれた
ことはあるけど、原因はそんなんじゃない」
「俺の母さんは、昔ネズミに気に入りの冬物ショールをかじられて以来、
ネズミ嫌いだぜ。そんなもんなんじゃないんか、理由って?」
「違うって!」イープとしてはややムキになっている返事だった。
アマナツはからかった事を「悪かった」と謝って、
しばらく、黙った。
スプーンの音だけが聞こえる静かな間を一瞬だけ作り、
すぐ彼は話し掛けた。
「ところで、イープ。音楽会の調子はどうなんだい?」
「好調だよ」イープは一度スプーンを空けて顔を上げた。
「言ってなかったっかな?今年は冬至祭ではなくて、
前夜祭で弾くんだ」
「いや、知らなかった。冬至祭の音楽会の方がスケールは大きいのに、
残念だな」アマナツはつぶやいて答えた。
「でも、ソリストをやるんだ」
アマナツは眉を寄せた。「そりすと?」
「うん、ソロを弾くんだよ、僕。毎年はその他大勢の一人だけど・・・」
「じゃあ、主役なんだな」
「一曲だけね」
アマナツはうらやましそうにイープを見つめた。彼は目立ちたがりやだ。
校内学年演劇で、毎年主役を狙うが、今年は選考に落ちた。
結局、ただの大道具係になっている。
「その他大勢の方が気が楽だよ。ルノーに譲ろうかと思ったけど」
「うそだろ!」アマナツは信じられない!と手を止めてイープに目を張った。
「本気だったんじゃないだろう?ルノーなら、去年も今年の夏至でも
ソロを弾いてたぜ」
「うん、彼はうまいからね」イープは淡々と食事を続ける。
「今年の曲を知ってるかい?」口の空き間にイープが尋ねた。
「お決まりの”サンクチュアリ”だろ?他はまだ聞いてないな」
「”神様の贈り物”と”雪の精霊”。もし”雪の精霊”じゃあなかったら、
ルノーと替わってたよ」イープは苦笑気味に言った。
「その曲がソロなのか?聞いたことないなぁ」
音感をあまり持ち合わせていないアマナツでも、
音楽会に行くことは好きだ。イープが誘うからかもしれないが、
冬至祭、夏至祭でなくても時々鑑賞会に行く。だから、
彼もイープと同じくらいにはいろんな曲目を知っているのだ。
「だと思うよ」イープは他人にはめったにしない、にやっとして笑った。
「なんだよ」めったに見られないものや、聞けないことは、少年にとって
楽しい。
「どんなのか、聴きたいかい?」返事はいつも決まったものだと予想しているイープは、
手をフキンでぬぐった。
「もちろん」アマナツは、皿の残りを一気に口に流し込んで、席を立った。
食事に夢中だったノンナも、二人とも席を立つ異変に、ようやく
気付いたようだ。
「エプシロン、あなた、ピアノを弾くの?」と今更ながらに聞いた。
「ああ、うまいものだぜ」当人の代わりにアマナツがちゃっかりと答える。
彼女も興味を示したようで、皿から顔を離し、背筋をピンと立てた。
イープは、部屋の隅のピアノのふたを静かに開け、椅子には座らずに
立ったままですぐに弾き始めた。
アマナツは本来のピアノの椅子に座って、間近でイープの指先を
追って見た。「きれいな曲だな」ぼそっと横から誉めてやると、
イープは振り返ってアマナツを見て笑った。それでも正しく鍵盤を
たたく指を見て、そうとう練習したんだろうなぁ、
とアマナツは更に感心した。
”雪の精霊”は、サンクチュアリのように荘厳で重たい曲ではなく、
軽い和音の重なったものだった。
一区切りでイープは鍵盤から手を離した。
「いい曲だけど・・・、知らないなぁ」アマナツは眉間にしわ寄せた。
「そうだと思うよ」イープは思わせぶりに笑った。
「エプシロン・・・」
ノンナがテーブルを降りて、アマナツの座るピアノ用のいすの足元に
歩み寄って来た。イープは、少し後づさって、ノンナから遠ざかった。
「何?」声を掛けられていた彼は、間を置いてから答えた。
ノンナはすぐには続きを言わず、しっぽをくるっと曲げたり延ばしたりして、
考え込んでいる様子だ。
イープがもう一回「何?」と促すと、ようやく言った。
「私と一緒に、キュリアス島に来てほしいの」
イープは答えに詰まった。アマナツと顔を見合わせてみて、首を傾げてから
またノンナを見た。今度はイープが考える番だった。
「いつ?」
「冬至になる瞬間」短く聞くイープに、短く答えるノンナ。
「つまり、冬至の日の午前零時になる瞬間ってことかい?」
アマナツが横から口を出す。
「まあ、そう。前夜から冬至の明け方まで」
「何でそんな時間に・・・!」
続く・・・
・第三部(工事中) |
・第一部 |
・ご意見ご感想
 |
・文学作品
 |
・HOME
 |