見事にバス停で順番抜かしにあう。俺は三十分もこの場に並んでいる。
俺も被害者だし、俺より後の並んでる人も被害者だ。
(キレちゃダメ!俺は大人だ。今年で三十歳。そこそこ食っていける芸人だし!
そもそもこんな事でブチ切れるのもおかしな話)
だが、俺のピュアなモラリスト君は、髪型どころか、心までピッチリ横分けの七三なので、ある程度テレビにも出ている顔にも関わらず、横入りした高校生どもに、やや大きめの関西弁で皆の為にも叱ってやろうと思いました。
しかしながらそこで、ふと、自分が大阪にいた時を思い出しました。どんな事を思い出したかというと、ただ一つ、もめごとになったら必ず俺の場合には、口の他に手が出ることを。
昔から何故か俺はすぐもめる。残念ながらこの世に生を受けた時から俺はもめやすい体質のようだ。穏便に済ませようという精神が無いわけではない。出来るなら、なるべくもめごとを避けたいタイプなのだ。
しかし、悲しいかな俺の素晴らしく優しい心の器が表面張力ギリギリまで、溢れる怒りを我慢しているにもかかわらず、ワザとなのかそれとも、素でバカなのか、その器のメモリーを超えをさせてくれる輩が多いのだ!そこを分かって欲しい。 口でダメなら行動で分からせろ!俺が昔から信じ続けている格言である。もしその高校生に
「芸能人のクセにバスなんかに乗ってんじゃねーよ」だなんて言われたらもう最悪!
俺の怒りメモリーは限界に達し、例によりきっと高校生をしばいてしまうでしょう。
万が一そんな事をしてしまえば、社会的制裁、ワイドショーのダブルパンチをまともに受け、
相方にも多大なる迷惑をかけてしまう。
(なんせこいつには、嫁と子供がいる!なんてこった!何で結婚してんの?いつ結婚したの?)
そんなグズグズした気持ちの時は、相方の子供ノリちゃんのパーフェクトな笑顔を思い出す事に尽きる。(ありがとう、ノリちゃん!君はまるで、オッチャンの天使だよ。君がいてくれて本当によかった。)
とにかく業界から干されてロングバケーションだけはごめんだ。それにそうなってしまえば、
こいつが怒涛のように怒る。
小杉 ナツ
朝早くに仕事があって、そのまま深夜に帰宅した時、誰もいないはずの俺の部屋には煌々と明かりが。オカンか、と思い部屋に入ってみれば、ベットの上には菓子を汚らしく食う女が・・・・。
見事に俺の部屋は、お前色に染め上げられていた。
何故お前は俺の家に住み付く?何で俺のタンスの中身は全部外に出されて、
逆にお前のパンツが俺のタンスの中に入ってんの? 絶対おかしいやん!
その当時別れたばっかりの女の子の写真までも勝手に捨てられていて、
あんまりにもムカついたから
「ピーナッツみたいな顔しやがってナニ俺の家に勝手に入りこんでリフォームしてくれとんじゃ〜!」
って言ったら、お前は般若のお面そのものの顔をして、俺の首の頚動脈をガスッつかみ、
脳に血液を送らせることを意図的に中止させられた。
(人殺し!お前いま本気で俺を殺そうとしたやろ!)
お前がキレる理由が分からない。だって、俺とお前は数年前に別れて俺が東京に来てからずっと
会ってなかったんやで?(そんなアホな話があるかい!)
俺は独身のはずなのに何であんなに事あるごとに俺はこいつに怒られるのでしょうか・・・?
ある日、仕事仲間と朝までカラオケしてた時、「帰れないコール」なるものを家に電話入れないでいたら、罰としてあろうことか冷たい床の上で冬の布団なしで寝かされたりされた。
(お前は俺の嫁と違うやろが!だいたい何で自分の家に電話せなあかんの!)
俺は、この女が鬼に見えて仕方が無い。だけど付き合っては分かれる事をいまだ数年繰り返している、どうしようもない怠惰なグダグダカップルであった。
(正直、別れたい・・・・。もうええやろ?ナッちゃん!)
芸歴回想集
芸暦11年。東京に出てきてはや5年。俺もやっと世間に認知されてきた。
売れてない時はもう最悪で、ノイローゼ、いわゆる芸人病と呼ばれる症状にさいなまれ続けた。
先の見えない将来、自分の才能、女がらみ(一番多い)、相方への不満(もう無限大)
ノイローゼにかかるネタは腐るほどある。それに耐えられずやめていく仲間が増えていった。
毎日が苦痛。不定期に会社から 突然、舞台の出番が入るから、まともにバイトも出来なくて
金がとにかく無かった。家に引きこもる時間が異様に増えた。人としゃべるのが苦痛に感じる時があった。いっそのこと大阪から飛んじゃいたい時もあった。
でも実際にそうした他のコンビの相方は、コンビ2人もろとも見事に会社から消された。
飛んだコンビと、ファンの子に手を出したヤツは徹底的にこの世界から潰されるシステムだ。
だからコンビ同士監視しあう状態に自動になった。(恐怖!)
もちろん俺たちコンビも例外ではない。消される事はノーギャラで3年間舞台に立つ事より勘弁だったから、飛びたくても飛べる根性と、俺たちの芸で会社に「食わしてやってる」という、自由好き勝手に出来る大物の優越感は相方と共に無かった。 一体何度この仕事を辞めたらどんなに楽だろうと思ったか。
たとえ出番があってもギャラは300円。ネタがウケれば次までなんとかテンションだけでやっていけるけど、ウケなければ当分仕事がもらえない事を指す。だから俺は関西若手の頂点に立つために必死だった。
時には舞台が処刑場に見えた。舞台は自ら死にに行くようなもので、怖くて怖くて、ひどい時には、前の出番のコンビのネタを見ながら、舞台袖でマジ失禁してしまったこともあった。
ビショビショのズボンとガクガク震える俺の足は絶好のイジリネタ。だけど、面白ハプニング
「失禁」がつい今しがたあって、それを客にしゃべりたいのに、声が全然出なくて、
顔面蒼白、脇汁ドロドローっと出てきた時、相方は俺の精神状態を察知し、
その舞台でする予定だったネタを飛ばして、相方のオールアドリブで、俺がしゃべらないで済むよう、持ち時間7分間ずっと、俺の失禁をネタにしてしゃべり続けた。おまけに客の笑いを付けて。
客にはちょっと変わったスタイルの俺達のネタだっただろうけど、俺にとってはそれはものすごい光景だった
その訳はこういう事があったからだ。
「・・・・自分必死やな。そんなに必死になる事がどこにあるん?」
温和な俺が初めてブチ切れする引き金になる相方が吐いたセリフ。 奇声を上げて怒鳴り散らす俺は
気付いたら仲間の芸人たちに羽交い絞めにされて、相方を殴る事を止めさせられていた。
我を忘れることを初めて体験したという貴重な日だった。女と付き合ってても一度もそんなこと無かったのに
(ごめんな〜でもマジで好きやってん!)
その当時ボケ担当の俺の方がキャラのおかげもあって目立ち、相方は影が薄かった。
お笑いの評論家には「あそこのコンビは岡村(俺)やな。」とまで言われてしまい、
(出たてのコンビには有りがちな批評なんだけれど。)当の本人もおそらくそれを悩んでいたのだろうか。俺が死ぬ思いでオケツから痔が出しながらネタを作っていたのに、俺の女とネタ作り。(なんだそりゃ)完全にお笑いを放棄し腐りきっていた。
いつもと同じ様に、出番前にもネタを考えていた時、相方はそれを手伝うどころか、
その時の俺の顔見てあんな事言いやがった。
俺は売れたい一心で、毎日死ぬ思いで過ごしてきたのに相方と舞台に立つ気持ちがこんなに違ってたのかと思うと、全てが許せなくて、泣きながら相方を殴ったのだ。(俺って熱いナァ・・・)
絶対、客にも舞台袖で奏でる俺の奇声は聞こえていたはず。
その日の舞台は最悪だった。 相方は一言もしゃべらなかった。相方の妙に腫れぼったい顔と、
俺だけが怒涛のように舞台の上で一人しゃべっていたのを、 ただ客は、不思議そうに俺たちを見ていた事だけ覚えている。
つい最近のこと。街で素人に声をかけられたとき、
「アノ時に喋ってた原西さん(相方)の例の話って本当なんですか」って言われた。
俺は怖くなった。(8年ぶりに失禁しそう!) 俺はその最低舞台上で、仲間内でしか笑えないし、
話せない様な相方の秘密を、紐を切ったタコのように喋っていたらしい。
(というか、となりにいた相方は笑えない自分の暴露話されてんのに止めろや!)
その時喋ったことを全く記憶に無いことが怖かったし、何より一番褒めて欲しいのは
相方をグーでバチコン殴らなかった事ね。
本番前という事で、手の平の一番硬いトコで顔面の血の出にくいピンポイントを数回、
正確には殴ったのではなく叩きました。
(これ好感度UP。相方は俺に感謝しろ。俺はエライ!俺サイコー!)
俺のこの行動にブチ切れたのが、有害物質ビニール袋、小杉ナツ! その当時は俺とお前は
付き合っていたのに、この女は俺が相方を叩いた数百倍の力を持ってして、
グーで血の出やすい所を数回殴ってけつかる!
(一応人に見せる顔やぞ!ナニ考えてんねん!お前関係ないやろ、この****女!)
そもそも、殴り飛ばした時ハッキリと「私の男にアンタは何すんのよ!」とか言うなや!
一応お前の男は俺と違うんか・・・?
その時から俺はお前がこんなヤツだったのかって理解出来た。信用出来ない女。理不尽な女・・・・。
次の日に即別れた。しかもお前から。
(「アンタには思いやりがないワ。」だってさ。誰が誰を思いやる気持ちを、失せさせたのかな?
俺だと答える奴は、お前とお前が飼ってるでっかいカメレオンぐらいでねぇの。
触ると顔面めがけてジャンプしてくるハ虫類。)
もめごとがあった日を境に、俺らコンビ仲は以前にも増して悪くなった。
その間に起こった例の俺ブチ切れ暴行事件。皮ジャンピーナッツバター事件。
軍手ビロビロ使えへんやん事件など様々なもめごとが勃発し続けた。それで一番ひどかったのが
舞台に原西が来なかったこと。何回「相方階段から落ちましてねぇ〜」って客に言ったことか。
俺らのファンのオバちゃんが舞台で俺が1人で出るたびおひねりで見舞金くれたことか。
社員に何度相方が来れない言い訳を苦し紛れについたことか。
何度会社からクビ宣告を引き伸ばしに引き伸ばしたことか。
今や伸びきったゴムは元に戻りません。
俺は俺で相方にナツは盗られたし、ムカつく相方の分まで漫才のネタは考えんといかんし、
まるで仕事をしてない相方とギャラは同じだし、俺の妹は岡山のサラリーマンと不倫してるらしいし、
もう何もかもが嫌で嫌でしょうがなかった。
そしてコンビ間のギスギス状態の最高潮の時期。 そもそもコンビ仲が悪くなるタイミングが悪すぎたのだ。
仕事がなくて売れてない時期なら即刻コンビ解散していたところなのだが、
週3回の舞台の出番に加え、単独ライブのチケットも即完売し、テレビもラジオにもたくさん出さしてもらって売れてきた若手が一度は通る超忙しい時期だった時で毎日仕事が入ってるから解散しようにも出来ない状態だった。
世間からも興味を持たれて、社長直々褒められたり、何より屈折数年の日々努力の毎日で
せっかく名前が売れてきたのに、こんなウハウハな時期に解散なんてハッキリ言って美味しくないのが俺たちの中での暗黙の了解だった。そんな時に俺の失禁事件が起こったのだ。
俺は完璧主義者に近い。その反面相方はいい加減主義者の末期。とどのつまり相方みたいにテレビだから
テンション上げて、ラジオだからって死んだ目でやるなんて出来なかった。
仕事をしている限りは全ては芸人の俺を演じ続けることが金をもらう当然の条件であると思う。
だがその条件クリアがもっとも厳しかったのがネタをやる舞台だ。
その頃の俺らのスケジュールは無茶苦茶で一時期ネタもないのに毎日舞台の出番を入れられたときがあった。その前までテレビラジオ雑誌の仕事が入ってて、ネタ合わせをするどころか、ネタを作る時間さえなくて、
いつも舞台に出囃子が流れる直前に舞台袖で何をするか決めていた。
その時相方は「シャベリで流すで」と俺に言うのだが俺はあくまでネタをするために舞台に上がっているから
シャベリで出番を流すのがイヤでイヤでしょうがなかった。
するネタが無かったらトークで出番を流すのも一つのテクニックだと思うが、そうやって一度楽なほうに流れると流れたまま、もう二度と漫才をすることが出来ない気がしたからだ。
だから俺はネタをすることにこだわり続けた。ではネタが無いのにどうやって出番を埋めていたかというと、
舞台上でネタを作っていくのだ。だが俺の頭の間の中だけでネタの構成が出来ていては何の意味が無い。
まず最初に俺が怒涛のようにしゃべる中でいくつかのポイントをしゃべり、リアルタイムで相方の頭の中にも俺の頭の中と同じ構成が出来るように話す。そこまで辿り着くまで約三十秒弱。
そして2人の頭の中に大まかな漫才の組み立てが出来上がったところで俺らの舞台がやっと始まる。
オチは未知。気だるそうに舞台ADが持つカンペの残り時間から、ちょうどオチまでにネタを膨らませ引っ張っていくのだ。2人の歯車がかみ合わなければ舞台は成立しない。
俺は相方に分かる様 短時間でポイントを上手くしゃべらなければならないしそして同時にボケて
客にウケなければならない。
関西若手芸人のトップのプライドにかけて舞台を完璧に仕上げなければならない。
そして俺が無理矢理ネタに持っていくからにはコンビの名を汚してはならない義務があった。
俺はこの漫才のスタイルを始めてからひどく追い詰められた。
こうして様々なプレッシャーから俺は失禁をしてしまったのだ。
いまこうしてよく考えてみると、俺よりテンパってたのは実は相方の方かもしれない。
トークで流すつもりがいきなりネタらしきものを毎日始める俺に 相方の顔は確実に変形していた。
(タチが悪いのは相方がイヤがってんのを俺が楽しんでる所だ)
いく分俺の頭の中には今日の舞台の構成が入ってるからやや余裕がある。
だが何の情報も知らされてない相方にとって丸腰で舞台に立つほど恐怖なモノはないはずだ。
相方は俺の言ったポイントをチョイスしてそれを俺がボケやすいフリにかえて行かなければならない。
体全身、目、表情を上から下まで完全に使い、ツッコミの言葉も客をくすぐるセリフまわしを選ばなければならない。フリはボケの生命線と言っていいだろう。そこにもまた大きなプレッシャーがある。
だいたいツッコミもただ単にボケの間違いを訂正するだけではだめなのだ。
体全身、目、表情を上から下まで完全に使い、ツッコミの言葉も客をくすぐるセリフまわしを選ばなければならない。そこで目立ちすぎたらボケが食われるしウザイ感じの漫才になってしまう。そこにもまた原西が頭をひねらなければならないボケには無い大きなプレッシャーがある。
ホント難しいなぁ。漫才って。
そんな事を毎日、目の前にベタリと張り付く何かに見られながら必死に漫才を俺達はする。
グチャグチャの頭の中はナツの事も相方の仲もすっかり忘れていた。
それからしばらく経って、超ハードスケジュールから一段落した頃、家に一本の電話が届いた。
原西だった。ひんやりした、カタコトの原西の言葉は俺が心の中で何回もつぶやいたセリフと同じだった。
「今出てこられる?話したい事があるねんけど。」
「来た」と、直感した。
今もこんな状態だから、あいつが解散を持ち掛けたら、すんなり解散してやるつもりだった。
そして俺はこの世界を辞める。それが、才能のあるお前にあげれる、ダメ相方の俺からの最後の感謝に気持ちであった。
俺は最後の舞台にぴったりのネタを作っていた所だった。最後に立つ舞台ぐらい相方としっかりネタ合わせして悔いの残らない芸人生活を終えるつもりだった。それぐらいのわがままを言う働きはしてきたと思うから。
ネタの原稿を持って、会う約束の場所に行った。
ド深夜のアホみたいに寒い時。心も体も凍えて死にそうだったけど、原稿を握っていた俺の右手だけは、ヤケドしたみたいに熱くて、ヒリヒリしていた。俺のお笑いに対する情熱はただモンじゃないなと、改めて芸人としての最高の誇りに俺の心臓は熱く燃え上がった。
しかしよく見れば本当に手に火傷をしていただけだった。
思えば家を出る前にお茶を飲もうとポットのお湯をコップに入れようと試みた時、
自分の手にはコップを持ってなくて、まともに熱湯を手に受けていたことを思い出した。
テンパリ過ぎである。 (カッコ悪ゥ〜・・・チョット解散ためらってるやん・・・!)思わず赤面した。
夜の冬空の下に立つと2年前ナツが俺に向かって
「アホ芸人!アンタはいつ私と付き合ってくれんのよ!」ってキレ気味に怒鳴ってた事を思い出す。
何故怒っていたのか・・・・?そもそもこいつの思考回路は単純なのだ。
眠い→寝る。と同様に好きな男が出来た→相手の意見を伺わず強引に付き合うなのだ。
十年経った今でも俺にはあの女の頭の中がまだ良く分からない。 いろいろな事をうだうだと考えていたら、
しかめっ面した、原西が現れた。
覚悟して来たつもりなのに奇妙な2人の間に流れる空気は俺の心臓はバクバクさせた。
最後の漫才練習してくれって言えばいいのに。俺の言いたい事はこれだけなのに。
口説き文句より遥かに簡単なのに。こんな短いセリフさえも口からはなかなか出なかった。
吐きそうな青い顔をした原西をよそに、思い切って口火を切ったのは俺だった。
「・・・ナツは元気か。」
一番突付いてはならない話題に何故か触れた俺。一番ビックリしたのは俺だ。
ナツの事なんて、どうでもよかったのに、割り切った事だったのに俺の本当の心の一番言いたかったことは、ネタなんかよりナツの事だった。
今まで、別れた女からきれいサッパリ手を引くことが最高の男前であると信じていた。
だから今さら盗られたナツについて相方と話をする事は、女々しすぎてカッコ悪い最低の男がする事だと、自分のケジメに言い聞かせていた。失恋の苦しみはそんなものだと当たり前に受け止めていた。 でも、今回ばかりはナツへの熱い思いは縛り付けてあった上っ面だけの男のプライドというダサダサのビニール紐を物凄いスピードで解かしてしまったのだ!黙ってるだけが男前じゃないんだって事だ。言いたいことがあればハッキリ言って自分でしっかり納得する事が、ナツをあきらめる失恋なのだ。
(メッチャ格好イイ〜俺!)
「ナツちゃんがな・・・さっき「アンタショボ過ぎんねん」って。フラれてん・・・・。」
原西のこの言葉には唖然とした。
んなバカな!俺よりお前をとった女がそんな事言うわけないやん!
俺がナツにフラれてたった数ヶ月の事だった。確かにお前はショボいけど。 悪い奴じゃない。
そうすると、突然原西がめちゃめちゃデカイ涙をこぼして泣き出した。目から涙を出してるだけで、声をひと言も漏らさず泣くので、ある意味とても気味が悪かった。(一体なんやねん!)
こいつが号泣するを見るのは3年前先輩たちと組んで、夜中に寝てる原西の家に襲撃して原西をハメた時以来だった。
大勢で原西を全身ガムテープでぐるぐる巻きにして身動きできない状態にしてから、
バリカンで原西の髪をズルムケに剃ってやった。
恐怖におののき大泣きするハゲ原西の顔は芸人達のツボ中のツボにハマリ大爆笑されていたことを思い出した。
バリカン襲撃ハゲ事件から数日経ったのにまだ相方の様子がおかしいから理由を聞いてみると、
なんとハメられた次の日は原西の妹の結婚式だったそうだ。金が無かったから、髪を整える為散髪屋にも行けず所々ムラのあるみずぼらしい頭で妹さんの晴れ舞台に出席したことを数日経った今でも後悔していたらしい。
これに関してハメた芸人達はマジで引いてしまい、
(アホだな〜芸人って!常識なんか考えてたらやってらんないよ。)
ハメた芸人1人につき2000円を妹さんに向けて御祝儀&慰謝料としてあげたとさ。相方の恋人の恋人
ばらばらと止まらない相方の涙が俺の共感を強く呼んだ。
好きでいてくれたんやなぁ・・・。
ポツリとそう思いかけた。でもお前は俺の共感なんか求めてないと感じた。
お前が俺にして欲しいことは同じ女を愛した男同志で酒を交えて慰め合う事じゃなくて、
俺に許してもらう事でも何でもなくて、ただ1つ、
泣いてるお前を笑わせてみろって事なんだろなって思った。
理由は無い。ただなんとなくそう思ったから。
だから実際原西がそんなふうに思ったいたかは知らないけれど、そう思える根拠はある。
それは、辛い時、死にそうな時、嬉しい時、
頼れるのはお互いだけの状況の中を何年も過ごしてきた俺達コンビだからこそわかる誰にも理解できない
恋愛の方程式みたいなものがある。相方は最愛の恋人であると、昔師匠にそう教えられて納得した。
「相方分かるで〜。あの女はもともと生まれた時点で人と付き合ったらあかん物体やねん。
俺もあの女にさんざんいいトコだけしゃぶり尽くされてエライ目にあったんやで〜。前もな・・・・」
その後は缶ビール1本で出るわ出るわ、あの女の尽きぬ俺達への悪事が。
あの女の悪口を丸一夜言い合って過ごした。
(と言うより俺がほとんどグチってたんだが、相方の方はまだ未練たらたら・・・・)
同じ女を好きになってグダグダになり解散するコンビなんて腐るほどいるのに俺達の場合は
特殊な例だったのかもしれない。 奇跡だと、仲間の芸人達に次々賛美された。
確かに普通の精神で今までどうり付き合える人間はほとんどいないだろう。
相方は朝一の電車の中でコテンと寝た。変な話だが、その時ものすごく相方が愛しく感じた。
愛情とも似ても似つかない不思議な安心感が。やっぱお前とお笑いがしたい。普通にそう思った。
それと同時に
「老けたなぁ・・・こいつも」
5日間ロクに寝ないでも仕事できた奴なのに、
今は缶ビール1本でコテンと寝るようになってもうたんやなぁ〜。
俺も眠い。お前と同じスピードで老け始めてるわ。あーあ、体の衰えも、女の好みも似てるんやねぇ。
俺らは丸一日仕事がたまたま無かったのをいい事に電車の中で眠り続けた。
ヨダレを垂らして仲良く寝りこける我らバカコンビを 朝と夜に2回とも見ているラッキーな人がたぶんいると思う。御堂筋線を何往復もして夜のラッシュも過ぎた頃、視線を感じて、ふと目を覚ました。
そしたらフワフワした俺の頭の中にナツが現れた。それは本当のナツだった。
横の相方はまだ寝ている。
「アンタら電車ん中で十六時間寝てたで。」
「そうか・・・、2回とも俺らを見たお前は大阪一のラッキーガールやで〜」
「・・・アホちゃうん」
俺に理不尽この上ない行動をしてきた女が目の前にいるのに、怒りだとか恨みは全く湧かなかった。
昨日腐るほど悪口を言ったせいもあるけど、もっと別の理由だ。何だろう?分からない。
でもなんとなくだけどナツの目だ。俺を見る目が違う。その目を見てたら、怒りなんて感情どうでもよくなってくる。
まっすぐ伸びたナツの視線は、俺を見ていた。 だらしない姿の俺の何を見ているんだろう?
なんや着てるジャージはドロドロやし、寝起きでいつもの男前は微塵も無かったはずなのに。
「稼げるうちに稼がなあかんで?アンタら。」
また金の話か。と言いかけて、ナツはブチィーンてな感じで俺の髪の毛を 約2000本ほどむしり抜いた。
「なにすんの・・・・?お前は」
意識がやっと冴え始めたのにまた頭の後ろの方に意識が飛んだ。死んだ俺の2000本の髪の毛さようなら。
そしてポッカリ空いた俺のピカピカの頭皮さん 初めまして。僕が岡村です。よろしゅう。
「篤史・・・・」
パァーン!
電車の汽笛 。
ニッコリ笑ったナツ。
そしてお前はふらりと電車を降りた。 呆然とする俺。なにも頭に浮ぶ答えは見つからない。
そして気付けば、相方が着ていたダサい赤緑のジャンパー剥ぎ取ってナツを追いかけた。
改札にひとつ響くヒールの音。ワザとかかとを鳴らして歩くのがお前の癖。
ワザと上がった息を殺して肩を止めた。
「なぁ、ナツ、雨降ってるやん!カサ持って来てへんやろ?この上着カサ代わりにして一緒に帰ろう」
俺らはひとつの上着に2人で入って、星いっぱいの透き通る真冬の空の下でならんで歩いて帰った。付き合い始めた夜と同じ空だ。ダサい上着のジャンパーが俺らのムードぶち壊しだったけど。
(ったくあの タコ、もっと気の利いた服着てろよな〜)
今の俺はちょっと前の相方よりタチが悪い。女にドロドロ。相方は残りカスの弁当の寄せ集めみたいで
一番可愛そうだった。
十年経っていまだ持っていた解散記念漫才の原稿。引越しの準備をしていた時たまたま見つけた。
読み返してみれば、とうてい世にさらせたモンじゃないネタだった。
よかった。あんなの舞台でやってたらケガどころか瀕死の状態で舞台降りる事になってたわ。
でもその原稿は当時の俺の頭ん中の象徴。それをゴミ箱に入れられるわけがなく、
(当然。それを否定すれば昔の俺もろとも否定している事になるから)
しばらくテレビの上に飾っていた。
ナツありがとう。
そして3年後。 今夜の舞台の出演中、原西はずっと眉間に深いシワを寄せていた。
それは俺のキャラなんだから舞台ですんなって、言いそうになったけど妙な 相方の雰囲気に思わずのまれた。心配になって舞台を降りたとき
「女にフラれたんか?」と話しかけたら
「ちがう。俺は今から大阪の女の子に別れを伝えに行くんや。」
突然、意味の分からないセリフを神妙な顔で言うと今度は俺に食ってかかった。
「お世話になったタレに『ごちそうさまでした』って言わんかったら男として最低や!」
相方は怖い顔して怒鳴り散らす。(いやぁ〜!相方がついに壊れた!)
「お前という男は、いつかは結婚する女性たちを、帰らないかもしれない大阪に残して
東京へ仕事しに行くんですか?」
(なるほど・・・!)
俺の答えはすでに出ていた。
「相方と東京行くけど、お前はどうする・・・?」
俺は電話越しにナツの冷血ぶりをひどく痛感することになった。
「あっそ。行けば。」
(せめて「待つ事は出来ないけど大阪で応援してる」 ぐらい言えんか・・・・?)結果的に俺らの関係はここで終わった。 芸の上で大阪からは何も持っていかないし、引きずらない。大阪を捨てるわけじゃないけど、今までの俺たちは忘れる事にした。
今までの人気、変なプライド、過剰なまでの自信、これらは俺達に必要ないもの。
いるものはたった一つ、俺たちの意地。
大阪時代と違って東京では甘い汁は一滴も吸わせてもらえない事を覚悟していた。
俺らが積み上げてきた笑いのフィールドがいわゆるの甘い汁だ。
自分を知る人がいるホームなら好き勝手しても容易に受け入れてくれる。それが無い完全なアウェイでは余所者はきれいに排除されるのだ。そうして俺たちはお笑いの頂点を目標に東京へ仕事しに行った。
ふりだしにもどる。
オシマーイ☆
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