・・・ピ、ピ、プシューッ・・・
圧迫されていた空気が抜けて、ゆっくりと扉が開く。外に這い出ようとする空気を頬に受けながら、シラカバはゆっくりと目を閉じた。昔の記憶が走馬灯のようによみがえる…自分に息吹を吹き込んでくれた1代目の時雨、この世界の全てのことを教えてくれた2代目の時雨、忙しかったにもかかわらず自分に不自由無い生活環境を与えてくれた3代目の時雨、先日事故で亡くなった4代目の時雨、そして、4代目が息を引き取ると同時に目を開いた今の時雨…思えば一番付き合いが短いのも彼なのだ。何もできない彼に、よく怒ってばかりいたものだ。けれども、今一番彼に会いたい。今まで怒っていたことを詫び、笑顔を見せたい・・・
「行くで。」
シラカバは自分に言い聞かせるように声を出し、目を堅く閉じたまま第一歩を踏み出した。つま先から機能が停止していくのが分かる。足が異様に重い・・・
「アザミ、兄ちゃん!俺はここまでや・・・!」
「大丈夫だよ?ちゃんと喋れてるじゃない。早く目をあけてみなよ。」
「何言うとんねん!俺は心の中で喋っとる…ん!?」
そう言って、シラカバは激しくまばたきをした。目の前には、こっちを不信そうに見つめるアザミとレモングラスがいる。どうやら目は大丈夫なようだ。
「だって、足が動かんようなって・・・」
シラカバは両足を振ってみるが、ちゃんと動いている。じゃあ、先程の重みは一体何だったのだろう…
「アンドロイドも、緊張するんだね☆」
「緊張・・・か。これが緊張か、初めて体験したわ。」
レモングラスの言葉に妙に納得する。シラカバは軽くジャンプして緊張をほぐすと、今度は彼が二人の手をひいて、奥へと連れていった。何本ものコードをかいくぐり、箱を避けて、迷路のような道をすいすいと通りぬけてゆく。初めて入った場所なのに、道順は知らずと分かっていた。そして、今まで前方にあった小さく淡い光が、だんだん大きく、はっきりしてくる・・・
「これが、マザーへの最後の砦や。」
すりガラスでできた扉に、シラカバが手を当てた。何やら少し電子音がして、鈍い音を立てながら開く。扉が開くと同時に、向こう側に収束していた大量の光りがシラカバ達の目をくらませる。少しして目が光に慣れてくると、前方には細々した機械が大量に積み重なってできている大きな壁が彼らを威圧していた。機械達は生きており、電子音や機械音を出して交響曲を奏でている。
「す、すっごいや!!」
レモングラスが心の内を吐露する。その声を聞いて、威圧されていたシラカバが目を覚ました。
「そや、時雨や!時雨!どこや!?」
辺りを2,3度見渡して、目の前にある小さな石の置物に気付く。
「時雨!!」
シラカバは走り寄った。まさかとは思っていた。彼が、時雨がこの石だなんて…けれども、近づくにつれてそれが時雨であることが痛いほど分かってくる。
「し、ぐれ・・・」
前から見た彼は、何とも惨めだった。まっすぐに前を見つめている瞳がとても痛々しい。シラカバが彼の冷たい頬に触れようとしたとき、背後から時雨に自分の名を呼ばれた。急いで振りかえると、そこにはノイズの走った時雨のホログラムが立っていた。
「シラカバ、あなたなら魔族を退治してくれると信じていました。そして、あなたにはとても辛いことをさせてしまいました。ここに入るにはたくさんの勇気と決断力が必要だったでしょう?」
「時雨…何言うとるんや・・・」
そう言って、シラカバは時雨の肩に手を伸ばした。しかし、それはホログラムであるため彼の手をやすやすと通してしまう。シラカバは置き場の無い手を堅く握り締めながら、ゆっくりと元に戻した。
「私もここから出たかったのですよ?あなたに危険な真似はさせたくなかった。けれども、何処からか侵入した魔族に掴まってしまいましてね、このざまです。」
時雨は笑いながら白衣のすそをめくった。そこには、膝までが石になっている両足が映し出される。
「あなたはまた、私にトロいからと言って怒るでしょう?だから、私にしかできないことをここに施しておきました。」
時雨がにっこりと微笑む。それにつられて壁が一斉にうなりをあげた。
「今日から、ここに入ることを許可します。レプリカやアンドロイドに対抗するだけのシステムを彼らに組み込むことに成功しましたから。」
「時雨…」
石化の侵食が、もう胸の辺りまで来ている。
「私が石になっている間、彼らの面倒を頼みますよ?さよならは言いません。きっとまた会えます・・・いえ、会って見せます!」
石化が喉元までやってきた。
「もう時間が無いようです。それでは・・・最後まで迷惑をかけて、すみませんでした・・・」
ホログラムはそこまでだった。大きな音を立てて、映像が途切れる。頬に涙が伝っていた。かなり辛かったはずなのに、最後まで笑顔を絶やさなかった時雨を見て、シラカバは目頭が熱くなった。
・・ピ、シッ・・・
後ろで亀裂の走る音がして、シラカバは石像の方を見た。先程まで何とも無かった石像に無数の亀裂が走り、少しづつかけてきている。
「時雨!あかん!!」
シラカバは思わず手を伸ばし、両肩をしっかりと掴む。その瞬間、ねじが外れたようにあっさりと崩れてしまった。そして、今ごろになってローズの最後の笑みがよみがえる。あのときの笑みは、このことを言っていたのだ・・・
「しぐれ・・・時雨ぇぇぇぇぇっ!!!」
シラカバは膝をつき、大声を張り上げた。この時ほど、涙が出ない自分の体を恨めしく思ったことは無い。いつのまにかレモングラス達が傍まできていて、アザミは手を組んで祈りをささげ、レモングラスは石像のかけらを丹念に調べていた。
「これは、呪い…邪術系だね。さすがにこれはかけた本人にもなおせないよ。」
「スグリはんやったら元にもどせるやろ!?あの人は魔王なんやろ!?」
シラカバはレモングラスの手を堅く握った。けれども、レモングラスから返ってきた答えはNOだった。
「呪いは、かけた本人にしか解けない魔術なんだ。いくらスグリンでも精神力が持たないと思う・・・」
シラカバはまた咆哮した。叫ぶことしか出来なかった。アザミはゆっくりとシラカバに手を差し伸べるが、レモングラスがそれを制した。そして、シラカバを残してその場を去ってゆく。アザミは何度も振り向きためらって、どっちつかずの状態が数分続いたが、意を決してレモングラスの背を追っていった。緑の扉が閉まる直前、アザミはもう一度シラカバのいる遥か彼方を見た。そこには、主の死を悲しむ機械達の痛々しい悲鳴が四方にこだましていた・・・
・ ・・ちゅ・ぴ・・・チュピチュピ・・・
「んん・・・なぁに・・・?」
いつの間に寝てしまっていたのだろう。レモングラスは頭の上に陣取った青い鳥を掴み、目の前に持ってきた。レプリカは彼が起きたことを確認すると、手の間からすり抜けて奥へと飛んでいってしまった。隣ではアザミが、まだ微かな寝息を立てている。レモングラスは今までの事を整理しながら、寝ぼけ眼で辺りを見まわした。時雨さんが死んでしまって、シラカバが泣いて…彼を一人にしておきたくて、僕とアザミはマザールームの外に出た。それからどっと疲れが押し寄せてきて、千鳥足でロビーまで戻ってきて、それから、それから・・・
「ステンドグラスの光があたるところで、いきなり倒れやがったんだ。」
「うわぁぁっ!」
いきなりのアザミの声に、レモングラスは驚きの声をあげた。
「ごめん、起こしちゃったみたいだね☆」
「あれだけぶつぶつと耳元で小声を出されたら、誰だって不快で目が覚めちゃうよ…」
アザミはゆっくりと伸びをして、レモングラスの肩にもたれた。
「ここには、夜がないんだね。光りがずっと綺麗なまんまだ…」
「機械に昼夜なんて関係無いんだよ、きっと。」
レモングラスはアザミの頭に自分の頭を乗せながら、二人はしばらく色とりどりの崇高な光りを体に浴びせていた。
「・・・お腹すいたね。」
「うん。」
「でも、シラカバはお腹も心もすいてるんだよね。」
「…そう、だね。」
そのとき、辺りにベーコンの焼ける香ばしい香りが漂ってきた。レモングラスとアザミは、めいっぱい鼻を利かせて香りの元を探る。
「「二階の、あそこだ!!」」
彼らは急いで階段を駆けあがり、手前の白い扉を力一杯押した。目の前にある白いテーブルにはさまざまな料理が勢ぞろいしている。
「「おいしそう!!!」」
「それは俺からのお礼や。タンと食え!?」
奥からエプロン姿のシラカバが、フライパン片手にやってきた。
「「これ、シラカバが全部作ったの!?」」
「そうや。なかなか上手いやろ?さ、腹へっとるんやったらはよ座って食いな。」
いたずらっ子のような笑みを浮かべ、シラカバはレモングラスとアザミに食を勧めた。その笑顔を見て彼らは安堵し、極上の笑みをシラカバに返す。
「それでな・・・こんな所で何なんやけど、頼みがあるんや。」
料理をおおかたたいらげ、レモングラスとアザミがえびのフリッターに手を伸ばした時、シラカバは神妙な面持ちで彼らに話しかけた。
「俺を、お前さん達のパーティーにいれてくれへんか?」
アザミは意見を求めるような目でレモングラスを見た。シラカバを入れる、入れないは彼の中にいるスグリが決めるのだから…
「どうしても、時雨の敵を討ちたいんや。ローズをこの手で、いてまいたいんや。言われたことは何でもする!決して迷惑にはならへん!だから・・・」
シラカバは床に手をついた。
「たのむ、この通りや!!」
見るに見かねないシラカバの姿に、アザミは目をそらした。そしてレモングラスの腕を引っ張り、結論を出すようにとせかす。レモングラスは最後のりんごジュースを一気飲みすると、おもむろに立ちあがって出口へと歩いていった。
「レモングラス!!」
「兄ちゃん!!」
アザミとシラカバの声も空しく、レモングラスは扉を開く。
「言ったはずだ。また会えると・・・」
彼の言葉を消すかのように、白い扉は音もなく閉じてゆく。呆気に取られたシラカバは、扉が閉まるのを見届けてからアザミに同意を求めた。
「あれは、"ええよ"って言っとるんやんな。」
「"いらない"じゃないよ…OKだよ。やったじゃん!これからずっと一緒だよ!?」
アザミは喜び勇んで椅子から飛び降りると、シラカバに思いきり抱きついた。シラカバは気が動転していたが、すぐに喜びの雄叫びをあげた。…扉の外では、レモングラスが父親のような優雅な笑みを浮かべていた。
「早くしないと置いてっちゃうよぉぉぉ!!」
レモングラスの声に、アザミとシラカバは反応して勢いよく立ちあがった。
「シラカバ、時雨さんはどうしたの?」
「あいつの一番好きなところに埋めてきた。」
「あいさつは?」
「もう、ばっちりや☆★☆」
シラカバが親指を立てる。それを合図に、二人は思いきり床を蹴った。扉の向こうにはレモングラスとスグリが待っている。それぞれの思いを胸に、彼らは未来へと通じる扉を開いた。
・・・時雨、お前はよう「鳥になりたい」って言うとったよな。安心し。お前の一部を一番気にいっとった鳥にいれたったさかい。そんでな、俺も頼みがあんねん。俺は必ず帰ってくる。帰ってくるから、それまでこの青い鳥の中にいて、レプリカ達と俺の帰りを…待ってくれへんか?・・・
つづく
