後編
鉄の柵を挟んで見た世界は、何とも言いようの無いものだった…ローズと名乗った男からは急に羽が生え、レモングラスを襲う。鳥の羽とは違う、骨と皮だけの生々しい翼・・・プログラムには魔族に関する基本データが入っているものの、実際にレンズから通して見るものにはかなりの迫力があった。
「これが"魔族"っちゅう奴か・・・」
シラカバは圧倒されたような顔つきで彼らの一部始終を眺めていた。大気をまるで鞭のように操るローズも凄かったが、その風を、指を鳴らすだけで一瞬に消せたレモングラスの方に目がいってしまう。
「なぁ、坊。」
シラカバは、視線を彼らからはずすことなくアザミに話しかける。彼もレモングラスに見入ってか、お互い目をあわすことが無く、生返事が帰ってきただけだった。
「今、ものすごい事思ってんけどな。」
「なに?」
「連れの兄ちゃん、人間とちゃうやろ。ひょっとして魔族なんか・・・?」
シラカバはゆっくりと彼のほうを見た。アザミも魔族という言葉に反応して、シラカバの方へと視線を向ける。
「あの兄ちゃんは、俺達の敵なんか?」
「・・・・・・」
アザミは黙りこくった。確かにレモングラスの事を説明しろと言われたら、対応に困るものである。まずスグリのことから話し、一緒になったきっかけも言わなければならないだろう。彼の思想も伝えなければいけない…かなり複雑な知恵の輪の上に生きているレモングラスのことなど、はっきり言って本人から直接、あの無駄に長い話を聞いてもらいたいほどでる。(何といっても、アザミに説明したのはレモングラスなのだ)少しして、ようやく伝えたいことがまとまったアザミはゆっくりと姿勢を正して話し出した。
「僕もよく分かってないんだけど…今はっきり言えることは、今ローズと戦ってるスグリおじさまは僕達の敵じゃないって事。」
「あの兄ちゃんはレモングラスっちゅう名前やなかったんか?」
「レモングラスの体には、レモングラスの魂と、スグリおじさまの魂と二つ入ってるんだって。どうして二つなのかは僕もよく説明できないけど…」
「じゃあ、あの兄ちゃんは今はレモングラスやのうてスグリっちゅう奴やねんな?んで、こいつは見てのとおり魔族で魔法が使える。しかも、俺達の味方やねんな?」
アザミはこくりと頷く。
「詳しいことは本人に聞いて?僕にはレモングラスの歴史はとうてい語れないよ…」
アザミがお手上げのポーズをしたとき、ローズの叫びが二人の耳を貫いた。超音波のようなとても不快な音である。二人は思わず耳をふさぎ、目をそむけた。我に返ってローズ達の方を見ると、先程とは殺気の量が全く違う彼が、首から上を煙に包まれているレモングラスに大量の魔法を浴びせていた。
「兄ちゃん!!」
この時、シラカバの脳に昔の映像がフラッシュバックした。魔族に虐められるように殺された科学者達、自我を崩壊させられて崩れるように倒れるアンドロイド、レプリカを見るも無残な姿に改造する人間、そして・・・彼らの屈辱的な過去に揺るぎ無き闘志が燃える。
「あいつを助けな。これ以上魔族に俺の大事な人達は殺させへん・・・!」
シラカバは手のリモコンで聴力をゼロにした。彼の周りから音は消え、景色がスローモーションのようにゆっくりと流れてゆく。シラカバはローズを見据えながらゆっくりと立ちあがった。シラカバにしがみついてくるアザミに視線を合わせずに…背中から矢尻の白い矢を取り出し、腕からはずした弓を構えながら慎重にあてがう。目は常にローズを射抜いて放さない。
「坊、危ないから離れとき。」
体を震わせてアザミが離れると、シラカバは深呼吸しながら矢を思いきり引いた。目標はローズの喉元。ローズがレモングラスに一撃を見舞おうとしている・・・今だ!!
「好き勝手するのもたいがいにしいや!」
シラカバは思いきり引いていた矢を勢いよく放した。結果は見事命中。矢は彼の喉を完全に貫いていた。
「何をする!!」
ローズのかすれた声がシラカバに向いた。その声を無視してシラカバはなおも矢を彼に打ち込んでくる。額、両手首、胸、腹、両膝…すべての箇所が射抜かれたとき、ローズは力無くへたり込んでしまった。
「な、なぜ…私は・・・声も…出なく・・・」
ローズは自分の置かれている立場に慌てふためきながら必死に矢を抜こうとした。しかし、その矢はローズの体に無数のコードを張っており、矢尻から送られる何かをしきりにローズに投与している。
「・・・・・・!!!」
既に声も出なくなってしまったローズの鋭い視線を受け流しながら、シラカバはゆっくりと口を開いた。
「それは、先代が作った魔族に対抗する唯一の武器『破魔矢』や。矢尻の中に入っとるウイルスがお前の体を侵して、細胞を壊しとる。」
シラカバはまた、ゆっくりと弓を構えた。背中から少し太い矢を取り出してあてがう。
「おっさんは感がいいから、もう分かったやろ?これが、俺を最強にしてる理由や。」
ゆっくりと息を吐いて集中力を高める。ゆっくりと、けれども力強く矢を引いて・・・
「この矢はお前を一生動けん体にする結界矢。あの世でじっくりと味わうんやな!」
自分にも、相手にも渇を入れるように叱咤して、シラカバは矢を放した。矢はまっすぐローズの肋骨下辺りに飛んでいき、彼に刺さる瞬間に先端が分かれて彼に巻きついた。矢の反動でローズは一緒になって飛ばされ、壁に激しくぶち当たる。
「がはっ!!!」
ローズの口から血が吹き出る。けれどもそれをぬぐう力も、反撃をする力も彼には残されていなかった。彼には悪魔のような赤い目でシラカバを睨むしか出来なかった・・・
「はよ、死にさらせ。お前を倒して時雨を探しに行きたいんや。」
シラカバの言葉を聞いて、ローズはあからさまにほくそえんだ。それが彼の、最後の表情だった。ローズはゆっくりと目を閉じ、力無く矢にもたれた。
「長かったわ・・・」
シラカバは溜息をつきながら聴力を元に戻した。
「まだ終わっとらんわ。こんなもので魔族を殺せたと思うてか。」
「何!?どういうこっちゃ!!」
スグリの言葉に、シラカバは体を振るわせた。これだけやったのにまだ足りないと言うのか・・・
「魔族が『死』という言葉を使うときは、自分の魂が消えるとき。こやつはまだ肉体も残っておるではないか。」
そういって、スグリは右手からメビウスの輪を出現させると、ローズに向かって放り投げた。
「「アーク・ド・ゲート」」
彼の呼びかけと共に、輪は金色に輝いてローズの上からゆっくりと降りてくる。その輪に彼は吸い込まれるように消え、輪が地に降り立ったときにはもうローズの姿は跡形も無く消えていた。彼が消えると同時に檻も崩れていく。どうやら彼が存在している間だけ発動している仕掛けだったのだろう。
「奴を異空間へと飛ばした。しかし、これはほんの足かせにすぎん。奴はまた必ずやって来る・・・」
「何で、そないなこと分かるんや。」
シラカバはまるで引力に轢きつけられるように、スグリの側へと近づいた。
「あんたは、一体…」
スグリは目を閉じてしまったまま、彼の問いに答えた。
「それは、我が魔族だからだ…我は…魔王スグリだからだ・・・」
「待たんかい!あんさんには聞きたいことが山ほどあるんやで!?」
まるでこの場から消えてしまうようなスグリの口調に、シラカバは焦りを覚え、激しく彼を揺さぶった。
「また・・・あ、える・・・・・・」
シラカバに意味深な余韻の言葉を残して、スグリはこの場を後にした。再び彼の目が開いたときにはもうスグリの面影は無く、いつもの能天気なレモングラスに戻っていた。
「な、なに!?僕には金目のものなんて何も無いよ?それに、男を好きになる趣味は無いからね!?」
「何、馬鹿なことぬかしとるんやワレ!!」
いきのいい裏手パンチがレモングラスに炸裂する。レモングラスはそれを軽々と避けながら、少し呆け面したアザミの後ろに逃げ込んだ。
「アザミくぅ〜ん☆★この人に襲われるぅ〜」
「気持ち悪い声を出すなっての。」
レモングラスの応対を軽々と流し、アザミはシラカバの側へと駆け寄った。
「それよりもさ、時雨さんが心配だよ。早く探しに行こうよ。」
「そうやな…すっかり忘れとった。」
言葉を最後まで紡ぐことなく、シラカバは奥の扉へとダッシュをかけた。アザミも彼の後へとついて行く。
「なんだよ、なんだよぉ…ひどいよぉ・・・」
ただ、いじけていたレモングラスだけが置いてきぼりを食らってしまったのである。
探すこと数時間。全ての部屋を見尽くしたアザミとシラカバは、いったんロビーに戻ってきていた。シラカバは険しい顔をしながら行ったり来たりを繰り返し、アザミはレモングラスを慰めていた。
「一体、どこに消えたんや!?」
「もしかして…もう連れて行かれちゃったんじゃないの?」
シラカバの憤った言葉に、アザミがおずおずと返事をする。
「その可能性は低いよ。」
やっと機嫌のなおったレモングラスが、よどんだ空気に淡い光を放つ。
「ローズ達魔族が欲しいのはシラカバ君であって、時雨さんは人質だったと思うんだ。勧誘に失敗する可能性があるんだもん…警戒は厳重にしないとね☆」
「つまり、時雨はまだここにおるっちゅうことなんか?」
シラカバはレモングラスに詰め寄った。レモングラスは冷や汗を流しながらも笑顔で応対する。
「ワープの魔法はかなりの精神力を要するってスグリンが言ってたよ?」
「ねぇシラカバ、探してない部屋は本当に無いの?」
アザミの問いかけにシラカバはうなりをあげた。
「うーん・・・ちゃんと見たで?俺が入ったらあかんマザールーム以外は・・・」
「「そこだ!」」
レモングラスとアザミは同時に声を張り上げた。まごつくシラカバの手を二人でとって、彼らは再び奥の扉へと駆け出した。
「確か、あそこだったよね!?あの奥の緑の扉の!!」
道中、アザミが何度もシラカバに確認する。シラカバはただ生返事をするだけだった。彼らが目的の部屋の前にたどり着いたとき、シラカバが言いにくそうに口を開いた。
「あんな、俺…ここに入ったら機能が止まってしまうんや。」
「「なんだって!?」」
恐ろしい形相で二人が振りかえる。言葉も全く同じだ。シラカバは苦笑いを浮かべながら、頭を軽く掻いた。
「ここには、超精密機械が置いとるんや。ちょっとの導体でもすぐに電磁波を狂わしよる。でな、俺みたいな金属の塊みたいな奴が入ったら…俺どころか全てのヤツが一発でおじゃんや。マザーも、それを支えとる建物も、レプリカも、草花もみんな・・・」
最後の言葉を紡ぐシラカバの顔はどこと無く切なげだった。アザミは彼の顔を見てなんだかやるせない気分になる。しかし、レモングラスだけは違った。生みの親と同士を天秤にかけているシラカバの胸倉を勢いよく掴んだ。
「そんなこと言って、自分が止まるのが怖いんでしょ!?きれいごとばっかり並べて、自分を正当化させたいんでしょ!?どうしてすぐに時雨さんを助けてあげないの!?君は時雨さんにとってたった一人の肉親なんだよ!?ここが壊れるなら、壊れる前に逃げたらいいじゃない。レプリカ達が止まったら、僕達がどうにかしたらいいことじゃない!たとえクローンでも、生きてるんだよ!?取り返しのつかない、たった一つの命を持ってるんだよ!?」
一気にまくし立てたせいで、レモングラスの息は荒々しくなっている。シラカバはゆっくりとレモングラスの手をもどし、きびすを返して扉の方を向いた。
「俺が止まったら、ちゃんと助けてや。レプリカ達の面倒も、ちゃんと見るんやで。」
「「うん!!」」
アザミとレモングラス両方の声が、彼の背中を押す。
「兄ちゃん、ありがとな。おかげで目ぇ覚めたわ・・・」
シラカバはゆっくりと深呼吸をすると、扉のロックを解除した。
つづく
